25 王都へ
冒険者たちを労う宴は、屋敷の前庭で行われる。
賑やかな喧騒を横目に、私と両親、マーカスは、揃ってユリウスたちの見送りに出ていた。
「それではロニ、道中お気を付けて」
豪奢な馬車の前で、私はロニに笑顔で告げる。
一応、家紋の付いていない馬車で乗り付けて来たようだが、細かい彫刻など凝った装飾が施されているので、一目で上位の貴族のものだとバレバレだ。
詰めが甘い。
「…お気遣いに感謝します」
ロニがぎこちない態度で礼を述べる。
ユリウスは既に馬車に乗っている。
窓のカーテンはしっかり閉められていて、中の様子は窺えない。
王子様御一行は、これから馬車で街まで移動し、宿で1泊した後、王都へ帰るそうだ。
一応、父が貴族の最低限の礼儀として夕食に誘ったのだが、『冒険者と同じテーブルを囲むのは無理だ』と断られた。育ちの良いお坊ちゃんは大変である。
ロニが丁寧に一礼して、馬車に乗り込むために扉を開ける。
「殿下、失礼いたします」
ちらりと見えたユリウスは、真っ青な顔で毛布を抱き締め、奥の席に丸まっていた。
『祓いの儀』のショックが大きすぎたらしい。
「…母上、殿下はアンネマリーのメンタルチェックを受けたのですか?」
馬車が走り去った後、母に訊いてみると、綺麗な笑顔で首を横に振られた。
「いいえ。『怪我は無い。医師でもない者の診察など不要だ』とお断りされましたよ」
「………それは、仕方が無いですね」
この世界、実は精神科医やカウンセラーといった職業が正式には認められていない。
治癒術師や医師が患者の相談に乗る事は多いが、メンタル分野の専門家という概念が存在しないのだ。
だから、メンタルチェックを断られても仕方無いが…我が家の役割に無くてはならない存在を軽く見られたようで、正直癪に障る。
…まあ、これ以降、奴が我が家に近寄る事はまず無いだろうし、トラウマを抱えたまま生きて行けば良い。
「──さあ、後は宴だ」
気分を切り替えるように、父が言った。
全員で宴の会場に移動すると、何も言っていないのに冒険者たちが移動し、宴会場中央までの道が出来る。
素直に進んだ先で、執事が拡声の魔法道具を父に手渡した。
「あー、さて…」
冒険者たちは飲み物を手に父に注目している。
メイドたちが素早く私たちにジョッキやグラスを手渡して来た。父と母は黒エールの入ったジョッキ、マーカスはシードル、私はジンジャーエールベースのノンアルコールカクテルだ。
別に酒が飲めないわけではないのだが、この後王都に向けて発つことを考慮に入れて、アルコールの摂取は控える事にした。
「──皆、今日はご苦労だった! ここから先は無礼講だ! 大いに飲み食いしてくれ! 乾杯!」
父がジョッキを掲げると、冒険者たちがワッと沸いた。
「乾杯!」
「おっしゃー!」
「カンパーイ!」
「食うぞー!」
とてもシンプルな挨拶に、豪快な態度。
思い思いにジョッキやグラスを掲げ、あるいは食べ物のテーブルに走り出す者たち。
久しぶりに見る我が家の『いつもの光景』に、私は顔を綻ばせる。
(うん。これが、うちだ)
貴族らしくない、と眉を顰める者も居るだろう。野蛮だと軽蔑する者も居るだろう。
だが、これがアンガーミュラー家。
冒険者たちと共に、密かにこの国を守り続ける守護者の在り方だ。
他家から嫁いで来た母は、最初とても驚いたらしい。
今は冒険者たちと笑顔でジョッキを打ち合わせ、飲み比べして勝つくらい宴を満喫しているが。
(…うちの母、酒豪なのよね…。毎年母に挑んでは撃沈する冒険者たちも冒険者たちだけど)
もはやそれが宴のメインイベントの一つになっている。
その光景を眺めつつ、クラッカーと揚げ物をつまんでいると、ラフェットとレオンがやって来た。
「ハイ、クリス」
「ラフェット、レオン。お疲れさまです」
ラフェットはパスタを山盛りにした皿を、レオンは野菜と肉の串焼きを3本、手にしている。
楽しそうで何よりだ。
「爆発事故に巻き込まれて重体って聞いてたけど、元気そうで良かったわ」
ラフェットがにこやかに言う。
あくまで口調は自然だが、多分彼女には、その話が嘘だとバレているだろう。
「ええ、おかげさまで。まあ実際は──」
「実際は?」
周囲の冒険者たちも、談笑する振りをして聞き耳を立てているのが分かる。
私は唇の前に人差し指を立てて、ニヤリと笑った。
「『まだ本調子ではないので、私もマーカスも、またしばらく療養に入らなければならない』……という事にしておいてください」
言った瞬間、周囲の何人かが飲み物を吹いた。
ラフェットが破顔する。
「そういうことね」
「了解した」
ラフェットとレオン、とても悪い笑みが重なる。周囲からも笑いが漏れた。
皆、歴戦の冒険者たちだ。世の表も裏も見ているから、口裏合わせもお手の物。
一応、冒険者ギルドへは『クリスティンとマーカスは屋敷にて療養継続中』という表向きの情報を流す事になっているが、この反応なら後は冒険者たちが上手くやってくれるだろう。
…そういえば、ユリウスとロニにも、『私は自宅療養中だ、王都へ行く事は誰にも言うな』と念押ししておいたが…大丈夫だろうか。
冒険者たちは信用出来て、王族とその側近が今一信用し切れないあたり、少々物悲しいものがある。
「今度は何を企んでるの?」
「少々、ごたごたがありまして。どこまで出来るか分かりませんが、とりあえず色々と一掃する前提で考えています」
「…また物騒な事を言い出したな」
「荒事が起こりそうなら遠慮無く声掛けて。貴女の依頼だったら、どこへだって駆け付けるから」
「ありがとうございます」
その後も冒険者たちと談笑し、母と冒険者の飲み比べを囃し立て、父やマーカスや冒険者たちと『祓いの儀』の戦略についてああでもないこうでもないと話し合い、宴はつつがなく終わった。
今日の冒険者たちの宿は、うちの屋敷の西棟だ。
酔い潰れた仲間を背負って行く者、部屋で二次会をやろうと酒とつまみを抱える者、陽気に笑いながら歩いて行く者など、三々五々、西棟へ動いて行く。
並行して会場の片付けも進み、30分もすると屋敷の前庭はいつものがらんとした状態に戻った。
残ったのは、父と母、私とマーカス、シルク、シフォン、そして手の空いた使用人たち。
「さて…」
父が上空を眺め、
「エルダー、頼む」
《うむ》
名を呼んだ瞬間、闇から滲み出るように、ミッドナイトオウルのエルダーが地面へと降り立った。
エルダーはそのまま全身に魔力を巡らせ──あっという間に、見上げるほどの大きさになる。
《準備完了じゃ。クリス、気を付けて乗るのじゃぞ》
「はい」
私が乗りやすいように、エルダーが軽く上体を落としてくれる。
王都へ向かう最速の手段。
それは、このエルダーによる高速夜間飛行だ。
「クリス様」
アンネローゼとアンネマリーが私の前に進み出る。
アンネローゼの姉、アンネマリーは、緩くウェーブの掛かった空色の髪を後ろで一纏めにしている。
顔立ちと服装はアンネローゼとほぼ一緒だが、常に無表情のアンネローゼとは異なり、いつでも穏やかな微笑みを浮かべているので、雰囲気はかなり違う。
そのアンネマリーは、何故か私のバックパックを背負っていた。
「アンネマリー、それは私の荷物では?」
「はい。こちらの中身は王都での滞在に必要な物だけでしたので、私が王都までお運びします。クリス様は、ショルダーバッグのみお持ちください」
流石母の腹心、気遣いがすごい。
アンネローゼもバックパックを背負っている。
中身はアンネローゼとアンネマリーの滞在用品だそうだ。
メイドのシエラからショルダーバッグを受け取ると、シエラがとても真剣な目でこちらを見詰めて来た。
「クリスティン様、どうかお気を付けて」
「ええ、シエラ。ありがとう」
笑顔で頷くと、私はシルクと共にエルダーの背中に飛び乗った。
「エルダー、よろしくお願いします」
《うむ、任せておくが良い》
自信満々の念話と共に、エルダーが上体を起こす。
「クリス、行ってらっしゃい」
「気を付けてな」
「はい、行ってきます」
「姉上、無茶はしないでくださいね」
「それは状況によりけり、ですね」
マーカスに釘を刺されたが、笑顔ではぐらかしておく。
《シフォン、そちらの事は任せたわ》
《はい、お母さま!》
家族と挨拶を交わしていると、アンネマリーとアンネローゼが魔力を纏い、ふわりと浮かび上がった。
「クリス様、我々は先行して滞在先を確保しておきます」
空色の髪が、薄く緑色を帯びている。
実は、彼女たちは人間ではない。
人間とよく似た姿を持つ、風精霊だ。
ここから王都まで飛行するのは、息をするより簡単なのだという。
「ええ。アンネマリー、アンネローゼ、よろしくお願いします」
「お任せください」
アンネマリーがにこりと笑った直後、2人の姿はものすごい勢いで上空へ消えた。
エルダーがばさりと翼を広げる。
翼長5メートル。
小型飛行機に匹敵するサイズのフクロウが、軽く翼を振るだけで音も無く浮かび上がる。浮遊魔法の効果だ。
《では、行くぞ》
「皆さま、行って参ります」
『クリス様、行ってらっしゃいませ!』
使用人たちの声を最後に、私たちはアンガーミュラー領を飛び立った。
──一路、王都へ。




