24 出発準備
その後、何発かミスリルの矢を大型の陸上型瘴魔に打ち込み──一番大きな熊っぽい瘴魔にヘッドショットを決めたら冒険者が『俺の獲物がー!?』と悲鳴を上げたので、私はそこで戦場を離れた。
なお、ユリウスとロニはうちの父に強制的に連れられて、冒険者たちが戦う現場を見学しに行った。
瘴魔が灰と化して消える時には周囲に『誰かが過去に抱いた負の感情』を撒き散らすのだが…無事に帰って来る事を祈ろう。
大規模魔法を制御し切ってへとへとになっているマーカスに肩を貸し、シルクとシフォンを伴って物見台に登ると、母が悠然と戦場を眺めていた。
「母上」
「クリス、マーカス、シルク、シフォン、ご苦労でした」
こちらに向けてちらりと微笑み、すぐに冒険者たちへ視線を戻す。
その手には、身の丈以上ある巨大な武器──長柄戦斧を携えていた。
「左翼が手薄になります。第3隊、動いてください」
拡声の魔法道具から冷静な指示が飛ぶ。
何を隠そう、この場の全体を見渡し、冒険者たちに指示を出しているのはこの母──ジャスティーン・アンガーミュラーその人だ。
武の名門貴族出身の母は兄たちに混じって教育を受けたそうで、貴族女性では非常に珍しく、各種戦術・戦略に精通している。
武器の扱いも得意で、長柄戦斧を持たせれば他に比肩する者は居ないらしい。
若い頃の二つ名は、『赤金の戦姫』──赤みを帯びたオリハルコン製の武器を、軽々と、微笑みを浮かべて振るう様は、王宮の騎士すら震え上がらせたという。
そんな母の指示は未来でも見通しているのかと思うほど的確で、冒険者たちの信頼も篤い。
第3隊と呼ばれた冒険者パーティは、すぐさま左翼へフォローに入った。
「母上、前線に出なくてよろしいのですか?」
前線に出ても的確に指示を出せるのがうちの母の恐ろしい所なのだが、母は首を横に振った。
「あなたたちが討った飛行型瘴魔が予想以上に多かったので、今回は私が出なくても大丈夫でしょう。ハロルドは既に前線に出ていますから」
ほら、と指し示す先に父が居るらしいが、正直遠すぎて判別できない。
と言うか父、王子様に付いてるんじゃなかったのか。
「ユリウス殿下は戦線から少し離れた所で座り込んでいますね。負の感情に中てられて、動けないようです」
王子、前線に行くまでもなくダメだったらしい。
屋敷を出てすぐの所でへたり込んでいる人影を確認し、溜息をついていると、母が私の名を呼んだ。
「ここはもう大丈夫ですから、出立の準備をなさい。どれだけ掛かるか分からないのですから、入念にね」
「はい、母上」
その場にマーカスとシフォンを残し、私とシルクは物見台を降りる。
自室に戻って軽鎧を脱ぎ、武装も一通り外してベッドに放り投げると、まずは服を引っ張り出した。
《装備を片付けてからにしなさいよ…全く》
ブツブツ言いながらも私が脱ぎ散らかした装備を丁寧に魔法で洗浄し、専用のクローゼットに仕舞ってくれるあたり、流石は私の自慢の相棒である。
貴族としての普段着に平民服、室内着、寝間着、冒険者に近い動きやすい服、化粧品、念のためのアクセサリー各種と少しだけ格が上のドレス。それから、寝袋と簡易テントと調理器具──
《ちょっとクリス、野営じゃないんだからそれは要らないわよ》
「王都で泊まる所も決まっていないので、念のためと思いまして」
《同行するのが、エルダーとアンネローゼとアンネマリーでしょう? 何とかしてくれるわよ。少なくとも野宿にはならないわ》
「…分かりました」
《何でそんなに残念そうなのよ…》
街で野宿も面白そうだとか思っていた訳ではない、決して。
その後もあれこれとシルクに突っ込みを入れられながら荷物をまとめ、最終的には何とか大型リュック1つとショルダーバッグ1つに収まった。
これなら自分で背負って行ける。
満足して頷いていると、控えめなノックが響いた。
「どうぞ」
「お嬢様、荷造りの手伝いを──あれ?」
リュックとショルダーバッグを見てきょとんと首を傾げた若いメイドに、私は微笑んだ。
「ありがとう。もう終わりましたので、大丈夫ですよ」
「あっ…す、すみません!」
自分の行動が遅かったのかと、顔を真っ赤にして謝って来る。
今日、うちの使用人たちは『祓いの儀』のバックアップとして忙しく動き回っている。
私個人の都合で振り回すわけにはいかないと思って声を掛けなかったのだが、予めちゃんと言っておくべきだったか。
「謝らなくて良いのですよ、シエラ。今日は皆忙しいので、自分で出来る事は自分でやろうと思って、敢えて声を掛けなかったのです。──『祓いの儀』は無事終わったのですか?」
「は、はい! えっと、冒険者の皆さんも、大分お屋敷まで戻って来られています」
「それは良かった。この後、冒険者の方々への労いの宴がありますから、もう少しだけ頑張ってくださいね」
「はい!」
どうやら、今回も滞り無く終わったようだ。
メイドのシエラを笑顔で送り出すと、入れ違いに別のメイドが入って来た。
「クリス様、出発の準備はお済みでしょうか?」
「ええ、アンネローゼ。そちらは?」
「私たちの方も、問題ありません」
淡々とした声で応じるのは、母の腹心、アンネローゼ。
母がこの家に嫁入りする際、実家から連れて来たメイドのうちの一人だ。
肩口までの真っ直ぐな空色の髪にメイドのお仕着せという姿からは想像も出来ないが、この家の使用人の中でも屈指の戦闘能力を持つ『護衛メイド』である。
「今回は私の我儘に付き合わせてしまいますが、よろしくお願いしますね」
「お任せください。クリス様にはもっと我々を頼っていただきたいと、使用人一同、常々思っておりますので」
「あら」
むしろ全力で頼っているつもりなのだが…難しいものだ。
「アンネマリーは、冒険者たちのメンタルチェックが終わり次第合流いたします。出発は夕食後というお話でしたが、変更はございますか?」
アンネローゼの双子の姉、アンネマリーは同じく母の腹心で、メイド兼メンタル系のカウンセラーとして働いている。
『祓いの儀』で瘴魔を倒し、負の感情を全身で浴びた冒険者たちに心身の不調が残らないよう、儀式の後は冒険者たち一人一人に向き合い、精神状態をチェックするのだ。
大変な仕事だが、最近はカウンセラーの後進を育成し、彼女自身の負担は少しだけ減ったらしい。
「ええ、変更はありません。予定通り、夕食後に王都に向けて出発します」
「承知しました」
私が頷くと、アンネローゼはきびきびした動作で一礼し、部屋を出て行く。
すると今度は、窓の外からコツコツとガラスを突く音がした。
《あら、エルダーだわ》
シルクが窓を開けると、ふわりと風が流れ、窓枠に1羽の鳥がとまった。
《久しぶりじゃのう、クリス》
のんびりとした念話に、私は丁寧に一礼する。
「お久しぶりです、エルダー」
見た目はフクロウだが、色合いは普通のフクロウより一段濃く、月夜を思わせる金色の眼は深い知性を宿す。
ナイトオウルの亜種、ミッドナイトオウル。風と闇の魔法に長けた魔物の一種だ。
「お忙しいところ、私の我儘でお呼び立てして申し訳ありません」
《良い良い。ハロルドの愛娘の頼みじゃ、いくらでも力を貸そう》
エルダーは父の相棒で、普段は北の森周辺で暮らしている。
今回の『祓いの儀』でも、冒険者たちをこっそりサポートしていた。
『こっそり』なのは、姿を見せたら最後、冒険者たちに敵認定されて討たれかねないからだ。
シルクたちケットシーのように人間に寄り添う魔物として知名度の高い存在ならともかく、魔物は基本的に討伐対象として認識されている。
…実際には、エルダーのように人間に力を貸してくれる個体も、人間に敵対しないよう気を遣ってくれている魔物も多いのだが。
《夜ならば、わしの力も存分に使えるでな。久方振りの遠距離飛行じゃ、楽しませてもらうとしよう》
楽しそうな口振りに、私も笑顔で頷いた。
「はい。よろしくお願いします、エルダー」




