23 祓いの儀
翌日の昼前、身支度と打ち合わせを済ませ、私はアンガーミュラーの屋敷の屋上へとやって来た。
我が家は、貴族としては一般的な3階建て。
ただし、その屋根の中央部分、北半分が屋上になっているのは非常に珍しい。
その屋上は普段、主に北側の森を監視するのに使われている。
今回の『祓いの儀』でも、果たす役割は大きい。
《…もうすぐ来るわね》
視力を補助する魔法を使い、シルクが報告してくれる。
『来る』──この言葉が意味する事は一つ。
『祓いの儀』が始まる。
「分かりました。シルク、マーカス、シフォン、準備を始めましょう。行けますか?」
《ええ》
「はい、姉上」
《行けます!》
マーカスが私の後ろに立ち、胸の前で軽く両手を合わせる。
左右にシルクとシフォンが並び、私は手にした弓を構えた。
弓は弓でも、身の丈近くある巨大な弓だ。多分、この国にある実用弓で最も大きい。
「何だ、あれは…!?」
背後で緊張感に欠ける声。
ユリウスに集中力を乱されそうになりながら、私はひたすら前方の森を見据える。
「ミスリルとオリハルコンを多用した、特殊弓です。当家でもクリスティン以外には扱えません」
「待て、弓だぞ? この距離で何を狙う?」
まあ確かにその通りだ。
ここから森まで、徒歩で1時間ほど掛かる。距離にして5キロから6キロ程度だろうか。
いくら特殊な弓だからと言って、森から出て来るものを狙うとして、この距離ではどう考えても射程外だ。
──普通に何かを射ようとするなら。
シフォンの魔力が放たれ、私たちの足元に巨大な魔法陣が展開する。
《魔力接続!》
瞬間、体内の魔力の流れが変わった。
──他人と魔力を共有する特殊魔法。
比較的単純な術ではあるが、魔力を共有したところで、そもそも他人の魔力を制御すること自体が困難を極めるため、『実用的ではない』と言われている魔法だ。
だがこの『祓いの儀』においては、これこそが要になる。
「姉上、行けます!」
今シフォンが接続したのは、私とマーカスの魔力。
マーカスの声に弓を構えたまま頷いて、私は魔力を展開する。
「──“生き抜く意思は全てを貫き”」
「“守護者の盾は全てを砕く”」
マーカスと共に古式言語で呪文を呟くと、つがえた矢の先端に小さな魔法陣が浮かび上がった。
《照準補正!》
そこに、シルクの補助魔法が重なる。
薄緑色の魔法陣が左右に貼り付き、魔力干渉による甲高い音が微かに聴こえて来た。
地上がにわかに騒がしくなる。
屋敷の前方、湿原地帯に展開した百数十人の冒険者たちの一部が、私たちの姿に気付いたようだ。
「お嬢、坊ちゃん!」
「クリスさま! マーカス坊!」
「姐御ー!!」
一部、少々おかしい呼び名が聴こえる気もするが。
テンションの高い冒険者たちの声に、私は口の端を上げた。
急な日程の前倒しで迷惑を掛けたが、彼らのコンディションは問題無さそうだ。
「あの、クリスティンたちが唱えているのは──魔法か?」
「我が家の祖先が残した書物から、マーカスが復元した魔法です。現代の魔法とは少々扱いが異なり、消費魔力量も大きいため、滅多に使えませんが──」
ユリウスの質問に、父が解説を入れている。
私はマーカスと共に呪文を唱え続ける。
最初は小さかった魔法陣の周囲に2重、3重に文様が浮かび上がり、徐々に大きくなって行く。
そうしているうちに、遥か前方、北の森の上空が黒く濁った。
《来るわ!》
轟──!
シルクの警告とほぼ同時、大型魔物の咆哮のような声が届いた。
びりびりと空気が震え、窓枠がガタガタと揺れる。
背後で何かが落ちる音がした。
「で、殿下!」
ユリウスが腰を抜かしたようだ。
(…そういえば、荒事は苦手だとか言ってたような)
だからと言って、フォローするつもりは欠片も無いが。
昨夜、父と母から『祓いの儀』に関する説明を受けていたはずなのに、身構えていなかったのが悪いのだ。
『祓いの儀』とは、北の森に集まった瘴気を分解、浄化し、魔素へと還す儀式。
その方法は、正直かなり荒々しい。
黒い濁りがどんどん増え、森を覆い尽くさんばかりになると、中から突如として黒い影が飛び出して来た。
「何だあれは!?」
「瘴気が凝って形を取ったもの──『瘴魔』です」
瘴魔は、超高濃度に収束した瘴気が生き物のような姿になったもの。魔物のように振舞うが、魔物とは似て非なる存在だ。
姿形は様々で、一般的な魔物の形をしている事が多い。
ただし、全身が紫を帯びた黒色で、瞳の色は血のような紅。寒気がするような気配を帯び、一目で異常な存在だと分かる。
実は今、森から湧いているのは瘴魔だけではない。
瘴気で凶暴化した魔物や、変質した動物──『瘴気種』も含まれるのだが、黒い姿は遠く離れたこの場所からでも良く見えた。
何故なら、
「と、飛んで来るぞ!?」
「…ドラゴン型の瘴魔が3体、ワイバーン型が十数体といったところですね。どうやら、瘴気の王が気を遣ってくれたようです」
「あれのどこが『気を遣っている』んだ!?」
ユリウスがうるさい。
(…いかん、集中集中…)
森から飛び立った飛行型の瘴魔は、一直線にこちらを目掛けて飛んで来る。
飛行型が多いのは、こちらが倒しやすいよう、瘴気の王が配慮してくれた結果だ。
通常ならば主戦力は地上の冒険者たちになるので、陸上型を多く、しかも交代で戦えるよう散発的に瘴魔たちをけしかけて来てくれるのだが、今回は状況が違う。
短期決戦。
超遠距離狙撃で、相手勢力の大半を潰す。
「──“貫け”」
マーカスが最後の言葉を唱えると、私の眼前、一抱えほどの大きさまで広がった魔法陣が──左右に増えた。
2つ、4つ、6つ。次々左右に展開して行く、全く同じ形の魔法陣。
同時に、ものすごい勢いで魔力が吸われて行く。
でも、まだ足りない。
ミスリル製の矢をつがえ、弦をギリギリと引いたまま、ひたすら待つ。
そうして──魔法陣の数が20を超えた時点で、私はようやく発動の言葉を口にした。
「──千の光矢!」
ヴン、と音がして、魔法陣が一斉に白い光を帯びる。
同時に矢を放つと、魔法陣を通り過ぎた時点で矢は白く鋭い魔力の刃に姿を変え、魔法陣から生み出された無数の光の矢と共に上空へ飛び出す。
その勢いは、一般的な矢とは全く違う。
放物線すら描かず、光の矢は迫り来る上空の瘴魔たちに向けて真っ直ぐ飛び──そのまま先頭のドラゴン型を貫いた。
光が触れた部分を中心に、直径1メートル程の範囲が円形に抉れる。それが、複数ヶ所。
ボロ雑巾のようになった先頭の瘴魔はそのまま失速し、空中で灰のように崩れて消えた。
一方、光の矢の威力に気付いた後続は大きく身をよじって避けるが、
「──させるか!」
《逃がさないわ!》
マーカスとシルクが叫ぶと、光の矢は鮮やかな弧を描いて急旋回し、背後から飛行型瘴魔の群れを打ち貫いた。
──これが、この術最大の特徴。
術者の制御に応じて軌道を変える、事実上のホーミング機能を組み込んだ特殊術式。
ただし、私だけではそこまで正確に制御できない。
この術における私の役割は、魔力の提供と、術の基本的な部分の構築。
シフォンが私とマーカスを繋ぎ、私が制御し切れない部分を、卓越した魔力制御の才を持つマーカスが全て担い、シルクが命中精度を限界まで上げる。
全員揃って初めて、この術は成立するのだ。
──ウオォォォォ!
飛行型瘴魔が全て光の矢に貫かれ、空中で塵と消えるのを見て、地上の冒険者たちが歓声を上げる。
これで、準備は整った。
私は屋上から身を乗り出し、拡声の魔法道具を使って冒険者たちに呼び掛けた。
「ここからは、みなさんのお仕事です。お気をつけて、よろしくお願いしますね!」
同時に、物見台の鐘が鳴る。
迎撃開始の合図に、冒険者たちは思い思いに声を上げながら一斉に駆け出した。
今回の冒険者の中には、ラフェットたちを始め、2等級、3等級の高位冒険者がゴロゴロ居る。
油断は出来ないし、アフターケアは必須だが、まず負ける事は無いだろう。
「……」
安心して息をつき、振り返ると、ユリウスはぽかんと口を開けたまま硬直していた。
斜め後ろに付くロニも似たようなものだ。見事に固まっている。
まさか、『祓いの儀』がここまで派手な戦闘行為だとは思っていなかったのだろう。
「…王位継承者に必要な知識を甘く見たツケですね」
私はぼそりと呟いた。




