22 アンガーミュラー家のご令嬢は王子様を見限ったようです。
殺気が薄れ、同時にユリウスに対する怒りや関心も薄れて行く。
脳裏にこれからやるべき事を思い描き、私は父と母に向き直った。
ユリウスが全く当てにならない以上、フィオナの件は私が動く。
あの素直で優秀で頑張り屋な後輩が、体調不良を理由に突然出勤しなくなり、そのまま辞めるというのはあまりにも不自然だ。
恐らく、アードルフに何か言われたか、されたかしたのだろう。
それに、
(…あんまり考えたくないけど…)
アードルフは人事部長の取り巻きの一人だ。
現在進行形で私や王宮のケットシーたちが調査している『例の件』に、フィオナが巻き込まれていないとも限らない。
──もしそうなら、私は本気で人事部長を去勢する。
直近の問題は、明後日に迫った『祓いの儀』。これは絶対に外せない儀式だから、出来るだけ早急に片付ける必要がある。
次の問題は、王都への移動手段。フィオナにはっきりと分かる異変が起きてから既に2週間経っている事を踏まえると、馬車では遅すぎる。
それから、王都でやるべき事に対する戦力の確保。私だけで出来る事には限りがある。
取り得る最善の策は──
「父上、申し訳ありませんが、『祓いの儀』の開始を明日に早めていただく事は可能でしょうか?」
「ああ、構わん」
「それから、『エルダー』にご協力をお願いしたいのですが」
「良いだろう。私からも頼んでおこう。1ヶ月でも2ヶ月でも、好きにすると良い」
「ありがとうございます」
私の考えなどお見通しなのだろう。即断即決。父の返答はとても早い。
こちらの会話を1割も理解できていないであろうユリウスを放っておいて、私は母にもお願いをする。
「母上、『アンネマリー』にもご協力いただきたいのですが──」
「ええ、構いませんよ。ただし、『アンネローゼ』も一緒に連れて行きなさい。何が起こるか分かりませんからね」
「ありがとうございます」
母の答えも早かった。打てば響くとはこの事か。
「マーカス、『祓いの儀』の初撃の出力を上げたいのですが、どこまで行けますか?」
「姉上の望むところまで、応じて見せますよ」
マーカスが目に強い光を宿して口の端を上げる。
心強い家族たちの言葉に少しだけ表情を緩めて感謝の言葉を口にした後、私はすっと表情を消してユリウスに向き直った。
「早急に王都に向かいます。ユリウス殿下、情報の提供に感謝します」
ユリウスがぱっと表情を輝かせる。
「そうか! では、すぐに王宮文官復帰の手配を──」
「──何を勘違いしているのですか?」
その発言は予想の範疇だったが、あえて白々とした眼で首を傾げる。
「私は、『王宮文官として復帰する』とは、一言も申しておりませんが」
「………え? いや、だが、王都に行くのだろう?」
「王都に行くのは、フィオナの安否を確認するためです」
「フィオナの安否?」
「ユリウス殿下、何も確認していないのでしょう? 本当に体調不良なのか──彼女が生きているのか否かも」
「…!」
貴族とは、一般に体面を第一に考える生き物である。
フィオナが何らかの理由で仕事に行けなくなったとして、その理由が報告通りの『体調不良』とは限らない。
まして、最悪の事態が起きていたのだとしたら、親がそれを素直に報告するとは思えない。
…もう私には関係無い?
そうかも知れない。
けれど、『過去』に仕事絡みで死んだ身としては、フィオナの事が他人事とは思えないのだ。
(それに、今回のフィオナの件、私にも責任が無いとは言い切れないし…)
解雇される時、どんな手を使ってでもあの無能上司を道連れにするべきだった。
そんな後悔ばかりが胸に刺さる。
だから行くのだ。
まかり間違っても、どこぞの無能上司と王子様の尻拭いをするためではない。
「ですので、王宮には参りません。私以外の方々でどうにかしてください」
「そんな…! 現時点で、既に第2統括室の仕事には支障が出ているんだ!」
悲痛な声が上がったが、私はにっこりと笑みを浮かべた。
その台詞、お前が言う資格は無い。
「どうにか出来ないはずは無いですよね? 人員が足りない状況下で、部署のトップが往復2週間も掛けてこの西の最果てへ呑気に馬車旅行に来ていても仕事が回せる程度には、優秀な人材が揃っているのでしょう?」
淡々と指摘すると、場の空気が──厳密には、王子様とその従者が凍った。
「……え? ……あ……」
部長という多忙な役職を持ち、緊急事態だという自覚もあるのに、仕事を放り出して従者を引き連れホイホイここに来ている時点で、『手が回らない』という言葉に説得力は皆無だ。
本当に仕事が回らないのなら、本人は机にしがみ付いて、伝令カラスの特急便でうちの父宛に嘆願の手紙でも出すべきだった。
…まあ直接来てくれたお陰でこうしてボロが出て、私が状況も分からず文官に復帰するという事態が防げたわけだが。
「…まさか、遅れた分の仕事もクリスティンが何とかしてくれる、とか思っていたわけではありませんよね?」
「…そ、…」
図星だったらしい。ユリウスは陸揚げした魚のように口をぱくぱくして、沈黙した。
怠慢ここに極まれり。
見通しが甘いにも程がある。
私は従者に視線を移した。
「ロニ・マーキス様」
フルネームで呼ぶと、従者ことロニがびくりと肩を揺らした。
マーキス侯爵家とアンガーミュラー家は昔から親交があり、ロニとも子どもの頃からの付き合いだ。
私がこうして改まった口調でフルネームを呼ぶ時は、飛び切り機嫌が悪い時だと知っている。
「ユリウス殿下の側近は、優秀な方揃いのようで。大変素晴らしいですね」
「……お褒めに与り光栄です」
ぎしぎしと音が鳴りそうな態度で、ロニが応じる。
どうやら私の、『王子が暴走したら止めるのがお前ら側近の仕事だろうが。今まで何してた、この阿呆』という思いは伝わったようだ。
もう彼らに話す事は無い。
私が席を立とうとすると、ノックも無しに扉が開いた。
《面白そうな話をしているな》
「だ、誰だ!?」
ユリウスがギョッと目を見開き、ロニが身構える。
貴賓室で待つにも飽きたのか、瘴気の王は面白そうに部屋を見回し、堂々とした態度で入って来る。
「瘴気の王…姿を見せてしまってよろしいのですか?」
《何、こやつらはヴァイゼンホルンの直系とその側近であろう? 構わんさ》
にやりと笑う。
…うん、暇すぎて聞き耳立ててたな、このお方。
「貴様、無礼だぞ!」
半ば無視されているのが気に入らなかったのか、私の苦言に対する八つ当たりか、ユリウスが怒りの表情で叫ぶ。
私は深々と溜息をついた。
「無礼は貴方ですよ、ユリウス殿下」
「なっ」
「自ら名乗りもせず、父や私が紹介するのも待たず、子どもの駄々のように暴言を吐くのが、王家のやり方ですか?」
「!」
ユリウスの顔に朱が上る。立ち上がろうとするのを、ロニが抑えた。
「殿下、どうか冷静に」
ロニの方は、私や父たちの態度で、瘴気の王が特別な存在である事に気付いたようだ。
父が立ち上がり、丁寧な態度で互いを紹介する。
「瘴気の王。こちらは、現王陛下の第3子、ユリウス・ヴァイゼンホルン王子殿下と、その側近のロニ・マーキスです。ユリウス殿下、こちらは瘴気の王──我がアンガーミュラー家の最も大切なお役目、『祓いの儀』において、中心的な役割を担うお方です」
「祓いの儀…?」
ユリウスはさっぱり分からないという顔で首を傾げた。
…王位継承権を持つ王族は全員、アンガーミュラー家やその他貴族家の役割について一通り教えられているはずなのだが…。
「ユリウス殿下、ご存知のはずでは?」
念のため訊いてみると、ユリウスは全く悪びれずに首を横に振る。
「いや…?」
『………………』
地獄のような沈黙が落ちた。
まさか、本当に、王族としての基礎知識を身に付けていないとは。
興味の無い事は記憶の片隅にすら残らないのだろうか。
…そういえば、この男は『内政に力を入れているから』という理由で外交の場にほとんど姿を見せないと言うが…もしかして、『相手国の事を全く知らないし覚える気も無いから、他国の賓客に失礼の無いよう、陛下の判断で出席させない事にしている』というのが実情なのだろうか。
本当に大丈夫か、この国。
《くくく…》
瘴気の王が笑い声を漏らした。いや、笑い事ではないのだが。
《これは傑作だな。──丁度良い。ハロルド、折角の機会だ。この王子様と従者に、『祓いの儀』を見学させてやれ》
「それは…よろしいのですか?」
《構わん。知らぬのなら尚更、この家の者たちが何と対峙してきたのかを、一度その目に焼き付けるべきだろう》
そう言われて気付く。
瘴気の王の眼は、私たち家族に負けず劣らず、冷え切った色をしていた。




