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21 冷えて行く心

 ピリ、と空気が張り詰める。


 父が小さく合図して、使用人たちが素早く退出して行く。

 扉が音も無く閉まり、応接間はユリウスとその従者、そして私たち家族だけになった。


 明らかに異常な状況なのだが、それに気付かないのか、ユリウスはなおも言葉を重ねた。


「フィオナ・ブライトナーは、2週間前、突然出勤して来なくなったそうだ。そして1週間前、父親のブライトナー男爵から娘の退職願いが届いた。彼女が抜けたことで、ギルベルト・ケンプファル、ジーノ・ベーレンス、エーミール・ザイツの負担が増している。アードルフ室長は補充人員は必要無いと言っていたが、流石に無理だと思い、私の独断で君に助けを求める事にした」


 次々と懐かしい名前が出て来る。

 …いや、アードルフだけは懐かしくとも何ともないが。


 ユリウスの声はとても滑らかで、自分に酔っているようにすら感じる。まるで演説だ。


 ──私が聞きたい情報は、欠片も入っていない。


「我々には君の力が必要だ。だから、クリスティン──」

「ユリウス殿下、一つよろしいでしょうか」


 ユリウスの独演会をぶった切り、私は努めて冷静に言葉を発した。

 ぱっと、目の前の王子様の顔が輝く。自分の望む言葉が返って来ると信じて疑わない顔だ。


 …何故今の私の言葉と態度で、期待に満ち満ちた反応が出来るのだろうか。


「フィオナは、2週間前から出勤しなくなった。それは確かですか?」

「あ、ああ。アードルフからはそう聞いている」


 ()()()()()()()

 殺気に近い苛立ちをわずかな溜息で押し殺し、私は続ける。


「何故、出勤しなくなったのでしょうか?」

「確か、体調不良だと聞いているが」


 …なるほど。



「つまり、貴方は、アードルフの報告を鵜呑みにして、フィオナは体調不良で退職する事になったと信じ込み、()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、そういう事でよろしいですか?」



「………え?」



 噛んで含めるように言うと、ユリウスは呆けた顔になった。


 数秒固まった後、そろりと周囲を見渡し、私の父や母、マーカスが、白々とした目で見返しているのを確認して、少しだけ引きつった表情で首を傾げる。



「…いや、ほら、第2統括室の中の事だろう? アードルフの報告で全て済む話じゃないか」



 瞬間、私の中で何かが弾け飛んだ。


 私から溢れた殺気に反応して、従者が思わずといった動作で剣に手を掛け──私が一瞥すると、青ざめた表情でそのまま動きを止める。


「なるほど、左様ですか」

「く、クリスティン…?」


 一段空気が重くなったことに、流石の王子様も気付いたようだ。

 だがもう遅い。


 表情が抜け落ちた眼をユリウスに向け、私は怒りを押し殺した声で呟いた。



「──私をあのような理不尽な経緯で解雇した男の言い分を、信じたのですね、貴方は」



「…!!」


 ユリウスの顔から血の気が引いた。


「いや、それは…!」

「ええ、部長職の通常の業務としては、何も間違った事はしておりませんね」


 何か言いたかったようだが、それを無視して続ける。


「ですが、そもそもユリウス殿下。私を不当に解雇した件について、アードルフに対して何か対処をしたのですか? 話を聞く限り、あの男は未だに第2統括室の室長の椅子に座っているようですが」


「そ、それは…」


 私が畳み掛けると、ユリウスはあからさまに視線を逸らした。


 アードルフが未だ室長の地位にある事は、元同僚たちからの手紙でも把握していた。

 まあ王宮文官のルールに則れば、降格や減給などの直接的な罰は与えにくいだろうが、叱責程度は出来るはず──だと思っていたのだが。



「いや、ほら、彼も後5年で定年退職だろう? このタイミングで何かしらの汚点が付くのは、長年勤めて来た人間に対して申し訳ないと言うか──」



(……は?)



 ユリウスのその発言で脳裏に浮かんだのは、アードルフではなく、『過去』の上司の顔だった。


 上司と言っても、『私』にパワハラを繰り返し、直接的に追い込んで行った課長ではない。

 そのさらに上の、部長の事だ。


 ブラック企業に勤めているとは想像しにくい、人当たりが良い爽やか系のサラリーマン。

 喋りも軽快で、声を荒げているのを見た事が無いと言われていたナイスミドル。

 上層部からの評価も高いらしく、40代後半で部長の地位に就いた、社内における出世頭。


 課長のパワハラに耐えかねた当時の『私』は、何度かその部長に相談していた。


 最初に言われたのは、『大丈夫だよ。実は、課長はあと2年で定年退職なんだ』。

 その時は、ああそうなのかと納得して、後2年耐えようと思った。


 その半年後、一段と酷い人格否定を受けて部長に相談した時、返って来た言葉は『大丈夫だよ、ほら、課長はあと1年半で定年退職だから』。


 その後も、『あと1年2ヶ月で定年だから』『あと1年で定年だから』と、部長から返って来るのは判を押したような定型文ばかり。


 ──そうして悟った。


 その言葉は、部下を慰めるためのものではない。


 それは、『相談は受けてやった。自分は何も対処するつもりは無い。課長が退職するまでお前が我慢すれば良いだけの話だ』という意味なのだと。


 事実、部長は課長に対して何のアクションも取っていなかった。


 『私』以外にも多くの若手社員がパワハラに苦しんでいたというのに、その訴えは全て、『課長はあと○○年で定年だから』の一言で、無かった事にされていたのだ。


 さらに、課長の定年まで1年を切ると、『あと〇ヶ月で定年だから』の後に『でもあの人はこの課に必要な人材だから、定年後再雇用であと5年は働いてもらおうと思ってるんだけどね』という台詞が加わった。


 …あのパワハラ野郎を必要としていたのは、『この課』ではなく部長個人だ。

 曲がりなりにも『課長』が処分を受ければ、課長の仕事は一時的にせよ部長が請け負う事になるし、ブラックな労働環境で働く平社員の不満がストレートに部長に向かう。

 部長の仕事を増やさないための労働力、兼、マネジメント能力の無さを誤魔化す隠れ蓑として、あのパワハラ野郎は最適だったのだ。


 『今すぐに』パワハラを何とかして欲しいと訴えているのに、ろくに話の内容を理解せず、半年以上先の未来の話をし、しかも末尾に『まあそこから5年延長するけど』と絶望的な情報を笑顔で付け足す。


 あの当時の『私』は、それで完全に心が死んだ。


 課長がパワハラというハンマーで部下の心を砕き、部長がその砕けた心を丁寧に石臼で挽いて跡形も無く粉砕する。ある意味完璧なコンビネーションである。


 …そりゃあ、上層部の覚えも良いだろう。その部長の下で起きた問題は、全て無かった事にされるのだから。

 『うちの部下たちには何の問題もありません。私のマネジメントは完璧です』と、良く回る口で言いまわっていれば良いのだから。



(──そうか。この王子様も、同じか)


 私が王宮文官を解雇されると知った時、彼は『それは、私の仕事も増えるという事だな?』と言った。

 第2統括室が正常に機能するよう采配を振るうのが統括部長の本来の役割のはずだが、自分の仕事が増える事だけに着目し、顔を引きつらせていた。


 そして、今回の再雇用の要請。


 アードルフに『お前は必要無い』と言われて『やる気も愛着も責任感も失せた』ときちんと報告していたはずなのに、ユリウスは自分の要請が断られるとは欠片も思っていない態度で、自信満々に私の前に現れた。

 あの時の私の言葉など、無かったかのように。



 『過去』の部長と目の前のユリウスの言動が重なり、すうっと心が冷えて行く。



 話を聞きはするが、理解はしていない。

 自分に都合の良い事だけを記憶し、都合の悪い事はほぼ無意識のうちに記憶から排除する。

 自分の希望が通ると信じて疑わない。そもそも相手の希望を聞くという選択肢が存在しない。


 それが、ユリウス・ヴァイゼンホルンという人間なのだろう。



(…ああ、もうダメだな)




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