20 予期せぬ来訪者
それからの日々は、慌ただしく過ぎて行った。
翌日にはユーフェミアからうちの父に私とマーカスの状況を訊ねる偽装の手紙が届き──こういう仕事が早いのは、正しく文官向きだなと思う──事情の一端が暗号で伝えられた。
予想通り、ケヴィンはユーフェミアの息子。
そして父親は、私も知る人物だった。
「…人事部長…何をやっているのでしょうね、あの方は」
《確か、王宮内で自分の派閥を作って威張り散らしてたわよね? その延長線上じゃないの?》
「…いっそ去勢した方が世のため人のためかも知れません」
「姉上、豚じゃないんですから…」
「あら、豚の方がマシだと思いますよ? 豚のオスは見境無くメスを襲ったりしませんからね」
豚には『発情期』の概念があるので、無駄な事はしないのだ。
ある意味紳士的と言うか、合理的である。
「……」
「とりあえず、奴に関しては余罪がありそうですね…シルク」
《ええ。王宮のケットシーたちに調べてもらえるよう、ボスに伝えておくわ》
元々王宮のケットシーたちに頼んでいた『有期雇用の女性文官の不自然な退職の件』についても、調べは少しずつ進んでいた。
ブチは仲が良かった女性文官の実家に日参し、徐々に女性の家族の信頼を得ているらしい。未だに退職理由は分からないが、屋敷に招き入れられる日も近いだろう。
「姉上、今年の『祓いの儀』についてですが、明後日の午後、ギルドと打ち合わせをすると父上が」
「ああ、もうそんな時期でしたか。分かりました」
「そういえば、受付のケイトが心配してましたよ。『このままだと辺り一帯の魔物が『祓いの儀』の前にラフェットさんとレオンさんに狩り尽くされるけど、これって大丈夫なんですか?』って」
「……加減するよう、父にお願いして彼らに連絡してもらいましょうか」
一応今、私とマーカスは爆発事故の怪我の療養中という事になっているので、表立っては仕事が出来ない。
だからこそ、あの2人は張り切って魔物を狩りまくっているのだろうが…魔物の数は少ない方が良いが、狩り尽くしてはいけない。難しいところだ。
《クリス、王宮の元同僚から手紙が届いてるわ》
「ありがとうございます、マダム・シルク」
《相変わらず律儀よねぇ。まあ半分以上は愚痴みたいだけど》
「わざわざ私に愚痴の手紙を送って来るという事は、仕事の合間に雑談する余裕も無いのでしょうね。…ほら、『先週までで20連勤。最長記録更新した』って書いてありますよ」
《………ねえ、これかなりマズいんじゃないの?》
「近々、『アンガーミュラー領の文官の席はいつでも空いておりますよ、賃金待遇は王宮と同等で』とでも返事しておきましょうか」
王家とアンガーミュラー家の約定に抵触しそうな『引き抜き』に近い文言だが、突っ込まれても仲の良い友人に対するジョークだと言えばいくらでも言い訳は立つ。
半ば本気なのは秘密だ。
「そういえば、デリックたちの様子はどうでしょう。何か聞いていますか? マーカス」
「若い2人は畑の方で働いているようですね。最初は筋肉痛で随分苦労したようですが、何とかやっているとか。デリックは牧場で、主に馬の世話をしているそうです。シルバーウルフたちに認められるのも早かったようですよ」
冬にそりを引く役割を担うシルバーウルフたちは、春から秋に掛けて、放牧場で牧羊犬のような仕事をして過ごす。
そのため、牧場で働くにはシルバーウルフたちに認められなければならない。
幸い、デリックには適性があったようだ。
「それは良かったです。ですが、頑張り過ぎは身体に悪いですから、引き続き注意深く様子を見ておくよう、農園の方々に伝えておいてください」
「了解です」
──そうして、自爆テロ未遂事件からしばらく経った頃。
『祓いの儀』が間近に迫った6月下旬、アンガーミュラー家は予想だにしなかった訪問者を迎えた。
「──クリスティン!」
父からの呼び出しを受けた私が急ぎ足で応接間の扉を開けると、奥のソファに座っていた人影が立ち上がり、ぱあっと顔を輝かせて私の名を呼んだ。
「…お久しぶりにございます、ユリウス・ヴァイゼンホルン王子殿下」
顔が引き攣りそうになるのをギリギリで抑え、私は丁寧に一礼する。
──いやお前、何でここに居るんだよ。
内心が透けて見えたのか、ユリウスの背後に立つ同年代の従者が能面のような無表情でそっと視線を逸らした。
ユリウスは王宮の統括部の部長であり、文官全てを束ねる『文官長』の肩書きも持つ。
王都から馬車で往復2週間も掛かるこのアンガーミュラー領へ、事前のアポイントメントも無くホイホイ来れるような人間ではない。…ないはずだ。
「それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
ユリウスの対面には父と母が、その奥の一人掛けソファにはマーカスが座っている。
ユリウスの従者に負けず劣らず、作りものと分かる貼り付けた笑顔だ。
シルクとシフォンも揃っている事を確認し、手前側の一人掛けソファに座って話を促すと、ユリウスは心外だという顔をした。
「いや、用件って…爆発に巻き込まれて意識不明の重体だと知らせを受けて、慌てて来たんだが」
「はあ…」
いやだから、いくら元部下とはいえ、たかが地方の一貴族の娘が怪我をしたからと言って、わざわざ仕事を放り出して駆け付ける王位継承権持ちがどこに居るんだよ。
(…目の前に居るけど。今まさに)
あと、情報が遅い。爆発が起きたのは1ヶ月近く前だ。
…とりあえず、今回の訪問に際して釘を刺しておきたい事だけは言っておく。
「意識不明の重体だと聞いておられたのでしたら、アンガーミュラー家当主に様子伺いの手紙を出すとか、せめて事前にこちらにいらっしゃる日にちを知らせるとか、何かしらの事前連絡をいただきたいものですね」
今日、我が家には瘴気の王が『祓いの儀』直前の打ち合わせのため来訪している。父と母は、本来ならばそちらの対応をしているはずだった。
だが、ユリウスが急にやって来た結果、貴族としては王家を優先しなければならなくなった。
瘴気の王は『良いから先にそっちを片付けて来い』と貴賓室に引っ込み、紅茶片手に一人でチェスを楽しんでいる。私としては、こんな常識の無い王子様よりそちらの相手をしていたかった。
他家の屋敷に約束も無く訪問するのはマナー違反だ。貴族としては鼻で笑われる所業である。
私が淡々と指摘すると、ユリウスはあからさまに言葉に詰まった。
「そ、それは……元部下の心配をしてはいけないのか?」
「きちんと正規の手順を踏んでくださいと申し上げているのです」
論点をすり替えるな。
ただでさえ忙しいこの時期、無駄に時間を割きたくはない。
…私の容赦の無い言動のせいか、視界の端で若い使用人が真っ青になっているが、このくらいは我慢してもらおう。
──それにしても。
(この人、こんなに阿呆みたいな言動を取る人だったっけ…?)
王宮で仕事をしていた時は、そんな事は無かった気がするのだが。
上司と部下という役割から外れたら、こんなものなのだろうか。
「──とりあえず、見ての通り、私は無事です。ご心配をお掛けして申し訳ありません」
苦言は済んだので、疑問は頭の隅に押しやって丁寧に頭を下げる。
ユリウスは話題が変わった事にあからさまにホッとし、表情を緩めた。
「いや、本当に良かった。実は一つ頼みがあってな。怪我をしているのならとても頼める事ではなかったのだが…」
(…ん?)
…今こいつ、元部下の怪我そのものを心配してたんじゃなくて、自分のお願いが聞いてもらえなくなる事を心配してたと白状しなかったか?
(うちの家族に処刑されない? これ)
私の両親と弟が静かに殺気を放ち始めたのにも気付かず──これはある種の才能だと思う──ユリウスは真剣な表情を作り、私に向き直った。
「君の後輩、フィオナ・ブライトナーが、1週間前に突然退職した。第2統括室の仕事が回らなくなっている。君の力をまた貸してくれないか?」
「……………は?」
私はぽかんと口を開け、間の抜けた声を漏らす。
ユリウスの背後で、従者が黙って天を仰いだ。