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2.退職のご挨拶①

「アードルフ室長に『今日をもって君を解雇する』と言われまして、私は本日付で退職する事になりました」


「……」


 数秒の沈黙を挟み、目の前の金髪の美丈夫──統括部部長こと第2王子ユリウス・ヴァイゼンホルンの顎がかくんと落ちた。



「……………は?」



 アードルフとの面談──と言うか一方的な解雇通告──を終えてすぐ、私は部長の部屋へやって来た。

 通常業務である書類の受け渡しを終え、いつも通り明日の業務内容を確認されて、返した答えが『退職します』だ。


 『文官の鬼』と称され、部長職になってそれなりに経つとはいえ、まだ20代半ばの常識的な青年には衝撃的過ぎたかも知れない。


 実際、その背後に控える同い年の従者もメモ帳を取り落としているし。


「……いや、ちょっと待て。何だそれは」

「何だと言われましても」


 こういう事です、と、私はユリウスに手のひら大の箱型の魔法道具を渡す。

 業務の一環としてユリウスから貸与されていた録音機だ。実は先程のアードルフとのやり取りの際、咄嗟に起動させて会話を録音していたのである。


 ユリウスは魔法道具を再起動し、解雇通告の一部始終を再生する。

 繰り広げられるしょうもない会話が進むにつれ、ユリウスは次第に俯き、最終的には低い呻き声を上げながら執務机に突っ伏した。


 数秒後にがばっと身を起こし、


「──…あの阿呆…何を考えている!?」

「何も考えていないでしょう」


 王族にあるまじき口調でアードルフを罵るユリウスに、私も冷静にコメントする。

 死んだ目で録音内容をメモしていた従者が、ペンを仕舞って咳払いした。


「お二人とも、どうかそのあたりで」

「………すまん」


 ぼそり、ユリウスが呟いた。


 深呼吸して表情を切り替え──切り替えても、目は剣呑なままだが。


「──しかし、一体何をした? いくら奴でも、表向き正当な理由が無ければ解雇はできないだろう」

「先程の会話では、アードルフ氏は『人事部の書類受付を放棄した』『仕事を選り好みするような者は我が部署に必要無い』とおっしゃっていたようですが」

「クリスティンに限って、それは無い」


 従者の言葉に、ユリウスがきっぱりと首を横に振った。


 その反応に、私は少しだけ安心する。あの阿呆上司のさらに上の立場の人間が私を信頼してくれているのはとても心強い。


「おっしゃる通り、私は仕事を放棄したわけではありません」


 アードルフには言い損ねた説明を、ユリウスに向かって述べる。


 人事部の書類は、以前から人名の書き間違いが多く、毎回私が修正していたこと。


 そのたびに『次から気を付けてください』と人事部に連絡していたが、状況が全く改善されなかったこと。


 修正回数が10回を超えたので、アードルフに許可をもらい──と言っても、奴はろくに話を聞かず、こちらが差し出した書類を見もせずに、『そんな事を一々私に聞いて来るな。やるならさっさとやれ』と吐き捨てていたので、当人に許可を出したという自覚は無いと思うが──『修正して再提出してください』とメモを添えて書類を人事部へ差し戻したこと。


 作成者が修正するのが本来のルールなので、人事部で書類を修正して再提出してくれれば通常通り処理するつもりだったが、返って来た反応が『お前、明日から来なくて良い』だったこと。


 丁寧かつ簡潔に並べ立てれば、ユリウスの眉間のしわがどんどん深くなっていった。


「……理不尽と言うか、言い掛かりだな」

「私もそう思いました」

「ではなぜ、奴の言い分を呑んだ?」

「解雇のための書類はもう完成していましたから」


 手続き上は何の問題も無く、正規の書類が出来上がってしまっていたのだ。手続きは終わっていると言われれば、食い下がれる余地は無い。


 だが、ユリウスは私のその答えに納得しなかった。


「クリスティン、他にも理由があるだろう?」


 良く分かっていらっしゃる。私は口元だけで微笑んだ。


「正直に申し上げますと」

「ああ」



「必要無いと言われた時点で、やる気も愛着も責任感も失せました。私の仕事はあの方がやると自信満々におっしゃっていましたし、実際にやっていただいて、忙しさに禿げ上がってしまえば良いと心の底から思っております」



 ゴフッと吹き出す音が聞こえた。

 従者が口元を押さえて視線を逸らしているのには、気付かない振りをしておく。


 殺気を振りまいてしまった気がするが、彼らは奴の上司とその従者、つまり関係者である。きっちり情報共有して、あの阿呆の後始末をしてもらおう。


「……それは、私の仕事も増えるという事だな?」


 顔を引きつらせる統括部長に、私はにっこりと頷いた。


「ええ。あの方の処理能力が私の見立て通りだとすれば、辻褄を合わせられるのは10日ほどまで。1ヶ月もすれば粗が見え始め、3ヶ月で収拾がつかなくなるでしょう。来月は年度末ですし、崩壊はもっと早いかも知れませんね」


 仕事の引継ぎにかこつけて1ヶ月延長を申し出たのは、せめて年度末の修羅場に向けて、出来る限り根回しをしておきたかったからだ。

 『お前の仕事は全て把握している』という名言で全て吹っ飛んだが。


 全く、大変な時期に切り捨ててくれたものである。


「…つまり、それを含めて、全て、こちらで何とかしろと」

「それがあの方を部下に持つ人間の役割なのでは?」


「………奴に有期雇用者の雇用権限を持たせたのが間違いだったという事か………」


 全くもってその通りだが、もう遅い。


 これから起こり得る事を予測し、奴をぎっちぎちに叱る準備でもしておけば良い。


「……なあ、クリスティン」


 ユリウスが上目遣いにこちらを見る。縋るような目は初めて見た気がする。


「私の直属の部下として、新たに有期雇用契約を結ぶ気は無いか?」

「無いですね」


 生憎、縋られたからと言って情に(ほだ)される精神は持ち合わせていない。


「……もう少し考えてくれても良いだろう…?」


 ユリウスが弱々しく呻く。しかし、


「お忘れですか? 契約当初の私の雇用予定期間は3年、それをそちらの強い希望で5年に延ばしたのですよ。にも関わらず、4年7ヶ月で解雇されてしまったのですから、これ以上の譲歩は有り得ません」


 私の雇用契約は、かなり特異な経緯で結ばれた。

 平たく言えば、第2統括室の前室長からのスカウトである。


 アードルフの前任の第2統括室長は私の父の友人で、今でも家族ぐるみで付き合う間柄だ。

 その前室長が、5年前、私の文官能力の高さに目を付け、父に直談判して王宮で有期雇用する許可をもぎ取った。

 特殊な役割を果たす代わりに王宮には出仕しないという、我が家と王家との間で結ばれた約束を破っての起用である。当然、立ち位置は普通の有期雇用者とは異なっていた──アードルフはその意味をきちんと理解していなかったようだが。


「…………私の妃に、という話もあったのだが」


 ぼそり、聞こえて来た言葉に、私は反射的に首を横に振った。


「ご冗談を。仕事と結婚する趣味はありません」


 ユリウスは上司である。

 第2王子という肩書きを持っていて未婚、婚約者も居ないと、普通の貴族令嬢にとってはかなりの優良物件らしいが、私にとっては『有能な上司』以外の何者でもない。


 そんな彼と結婚したら、雑談すら全て仕事一色になる未来しか見えない。

 仕事は仕事、私生活は私生活と区別して、充実した人生を送りたいのだ、私は。


「…仕事と結婚………そうか…それは嫌だな……」


 ユリウスが打ちひしがれている。そんなに私を引き留めたかったのだろうか。


 …まあ、私が居なくなることで大変な事態が起きる事は予想できているので、仕方ないか。


「それでは、私はこれで失礼します。──ああ、そうそう」

「?」


 身を翻し掛けて、ユリウスの前に取って返す。


「こちら、未使用の録音の魔法道具です。お返ししますね。私の代わりに『耳』を担ってくださる方が早く現れる事を祈っています」


 本来の仕事の片手間に、私はユリウスの『耳』──間諜と言うか、不正を発見・通報する役割を担っていた。要は監査のお仕事だ。


 すぐに代わりが見付かるとは思えないが、一応祈っておこう。



「………ああ」



 録音機を受け取ったユリウスは、表情が抜け落ちた顔で頷いた。




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