15 ファーベルク伯爵領にて
2日後、私とマーカス、それにシルクとシフォンは馬車でファーベルク領を訪れた。
ファーベルク領はアンガーミュラー領の東に位置し、王都とも接する大領地だ。
平原に広大な穀倉地を持ち、小麦や各種野菜の栽培が盛んで、牧畜にも力を入れている。
平原の肥沃な土の恩恵を一身に受けた領地と言えるだろう。
…羨ましくはない。決して。
「クリスティン様、マーカス様、お待ちしておりました」
ファーベルク領の西端、アンガーミュラー領に程近い場所にある伯爵家の別荘。
久しぶりに会うユーフェミア・ファーベルク伯爵令嬢は、少しだけ痩せて見えた。
「お久しぶりにございます、ユーフェミア様。お招きいただきありがとうございます」
「お招きいただきありがとうございます、ユーフェミア様」
白を基調とした優美な別荘のホールで、私たちは丁寧に挨拶を交わす。
マーカスと揃って一礼し、姿勢を戻したところで、ユーフェミアがくすりと笑った。
「それじゃあ、社交はここまでにしましょうか、クリス」
一瞬で柔らかな雰囲気に変わったご令嬢に、私も肩の力を抜く。
「ええ、ユーフェ」
「姉上…」
マーカスが隣で呆れた顔をしているが、残念ながら私とユーフェミアの仲である。
ここには父もファーベルク伯爵も居ないし、目をつぶってもらおう。
「本当にお久しぶりね、クリス、マーカス。それに、マダム・シルクとシフォンも。元気そうで安心したわ」
《お久しぶり、ユーフェ》
《お邪魔します》
私たちだけでなく同行するケットシーたちにも挨拶をしてくれるのは、ユーフェミアならではだ。
当り前のように気を配ってくれるので、シルクも彼女の事をとても気に入っている。
「最後に会ったのは、私が王宮に出仕し始めてすぐの頃ですから…もう4年以上前になりますか」
ユーフェミアも、かつて有期雇用の文官として王宮に出仕していた。私の2年ほど先輩だ。
私が出仕した当時のユーフェミアは、総務部所属で新人教育の担当者。
新たに出仕する事になった有期雇用の文官に、各部署の基本業務や仕事を進める上での共通の基礎知識、書類手続きのルールなどを教えていた。
物腰柔らかで説明はとても丁寧、しかも分かりやすいと、新人たちの間でとても評判が高かった。こっそりファンクラブがあったくらいだ。
そのため、ユーフェミアが急に体調不良を理由に辞めた時の若手職員たちの嘆きようは大変なものだった。
「その後、体調はいかがですか?」
ユーフェミアが王宮を辞めた後、この別荘で静養しているとは聞いていた。
領地が隣同士で昔から親交があり、私とユーフェミアは幼馴染の間柄だが、彼女が体調不良で辞めたというのに私は仕事にかまけて手紙の一つも出さなかった。
今更ながら、それがとても申し訳ない。
「ええ、だいぶ良くなったわ。昔通りとは行かないのが歯がゆいけれど…」
ユーフェミアが視線を彷徨わせると、廊下の向こうからパタパタと軽快な足音が近付いて来た。
「か──ユーフェミア、さま!」
明るい声でユーフェミアを呼び、ボフッとロングスカートに抱き付いたのは、小さな男の子だった。
歳は3、4歳ほどだろうか。
どことなく、面差しがユーフェミアに似ている。
「あら」
私が思わず声を上げると、男の子はこちらを見上げて目を見開いた。
どうやら、ユーフェミアしか視界に入っていなかったらしい。
私とマーカス、シルクとシフォンを見回し、ぎゅっとユーフェミアにしがみ付く。
「…」
とりあえず、私はその場にしゃがみ込み、男の子と目線を合わせてにこりと微笑んだ。
「初めまして、私はクリスティン。あなたのお名前は?」
「………けびん、です」
舌足らずながら、ちゃんと名乗ってくれた。
ケビンか、ケヴィン──喋った時の言いにくそうな感じからして、多分ケヴィンだろう。
私は笑顔で頷いて、マーカスたちを視線で示した。
「ご丁寧にありがとうございます。こちらは私の弟のマーカス。こっちは、私たちの相棒の、ケットシーのシルクとシフォンです。よろしくお願いしますね、ケヴィン」
「…っうん!」
ぱあっとケヴィンの表情が輝いた。とても素直で元気な子だ。
その後、ケットシーに興味津々なケヴィンをマーカスとシフォンに任せ──マーカスが『荷が重い』とぼやいていたのは無視して──私とシルクはユーフェミアの案内でサンルームへ移動した。
「──ごめんなさいね」
メイドの用意してくれた紅茶を飲み、一息ついてから、ユーフェミアはぽつりと呟いた。
「驚いたでしょう?」
ユーフェミアと使用人たちしか居ないと思っていた別荘に、ユーフェミアと良く似た面差しの幼児が居たのだ。確かに、驚いたは驚いたが。
「気にしないでくださいな。…あの子は、ファーベルク伯爵家の縁者ですか?」
訳有りなのは明らかだ。
しかしユーフェミア自身との関係性をずばり訊ねる気にはなれず、私は逃げ道を用意する。
「……ええ、そうよ。今は一時的にこちらに滞在しているの」
ユーフェミアは明らかにホッとした顔で頷いた。
しかし、視線がわずかに右に泳いでいる。
彼女は元々嘘や誤魔化しが苦手で、後ろめたい事があると視線をわずかに逸らす癖があるのだ。
少し親しい者ならすぐに分かる違和感。しかし、私もシルクもあえてそれを指摘しなかった。
誰しも、触れられたくない事はある。
《わーっ! しっぽ、しっぽはやめてくださーい!》
『……』
サンルームの外でシフォンの念話が響いた。
見れば、ケヴィンがシフォンのもっふもふの尻尾を掴み、興味深そうに目を輝かせている。
マーカスは焦った表情でケヴィンに何か言っているようだが、言って聞くような状況ではないだろう。
《……あれは確かに、あの子たちじゃ荷が重いわね》
シルクが溜息をついて立ち上がった。
《私もあっちに行って来るわ。貴女たちはごゆっくり》
「ええ、よろしくお願いします、マダム・シルク」
尻尾を一振りして優雅に歩き出す相棒を見送り、ユーフェミアに向き直ると、彼女は眩しいものを見る表情でマーカスたちを──いや、ケヴィンを見詰めていた。
それも一瞬のこと。
こちらの視線に気付いたユーフェミアは、すぐに苦笑へと表情を切り替えた。
「ごめんなさいね。ここに居るのは老齢の者と女性ばかりだから、若い男性やケットシーが珍しかったみたいだわ」
「お気になさらず。マーカスもたまには社交しなければ、自分の部屋に引きこもったきりになってしまいますから」
「あれが社交になるかは微妙なところだと思うわよ…?」
シルクが何事か伝えると、ケヴィンがシフォンの尻尾から手を放し、今度はシルクの尻尾を捕まえようとする。
それを華麗に避けてテーブルの上に飛び乗ったシルクは、顔だけ振り向いてまた何か言い放ったようだ。
その場で地団駄を踏むケヴィンを、マーカスが必死で宥めている。
「十分社交になりますよ。あの子、放っておくと何日でも自室に籠って魔法道具ばかり相手にしていますから」
たとえ幼児相手でも、相手が自由過ぎる性格の持ち主でも、会話しているだけマシだ、色々と。
「マーカスったら、まだ魔法道具が好きなの?」
子どもの頃、マーカスはどこへ行くにも何かしらの魔法道具を持ち歩いていた。
使うためではなく、移動中の馬車の中や休憩中に解体して内部機構を調べるためである。
もうその時点で色々とおかしいが、それを見たユーフェミアの反応も普通と違った。
強引に遊びに誘うでも、ドン引きするでもなく、『これは何をする魔法道具なのか』『どこがどんな風に動くのか』と、マーカスが解体している魔法道具について質問攻めにして、会話の切っ掛けにしたのだ。
もはや女神である。
だから実は、マーカスの初恋の人はユーフェミアだったりする。
ユーフェミアは全く気付いていないが。
「まだ、と言うより、さらに磨きが掛かっていると言った方が正確ですね。多分、マーカスが魔法道具に飽きる日は来ないでしょう」
「あらあら…」
私は素知らぬ顔で弟をネタにする。
話題にされているとは知らないマーカスは、ケヴィンに肩車をして大きくよろめき、シルクとシフォンに魔法で援護されていた。