14 瘴気の王
《相変わらず、素晴らしい手際だな》
拍手をしながら、森の奥の影からにじみ出るように現れたのは、黒衣の少年──の姿をした存在。
こんな場所に、武器の一つも持たず見るからに無防備な格好でやって来る人間など居ない。
念話を使う彼は、人ではない。
「お久しぶりです、瘴気の王」
私が一礼すると、少年は鷹揚に頷いた。
《其方も健勝そうで何よりだ。クリスティン・アンガーミュラー》
瘴気の王。
瘴気が『凝った』果てに魂が宿り、実体化したと言われる存在。
ただし、あくまでそう言われているだけであり、実際のところは正体不明の人外だ。
「今年は大変だという話、本当のようですね。まさかまだ雪が残る今の時期に、貴方とお話が出来るとは思いませんでした」
この森の瘴気の濃度に応じて、瘴気の王の外見年齢は変わる。
今のような少年の姿から、人間で言うなら最も魔力が充実すると言われている30代前半くらいまで。
本当は乳児くらいの姿になる事もあるらしいのだが、そのくらいの瘴気濃度だと瘴気の王の存在も希薄になり、人間には認識出来ないのだという。
《正直、我も困惑している。ここ最近は無かった事だ》
例年なら、瘴気の王は青葉の茂る5月末くらいに少年の姿で現れる。
その後急速に外見が成長し、6月下旬あたりには青年の姿になる。
そして、7月に瘴気濃度が急速に減少すると、また人の目には見えなくなるのだ。
年に1度、初夏に現れる人外存在。もっとも、そういうサイクルになったのは瘴気の王とアンガーミュラー家が協力体制を敷いてかららしいが。
「今年は『祓いの儀』を早めに行った方が良いでしょうか?」
《いつもと同じにしておけ。今年の儀を早めれば、来年の儀まで長く時間を置く事になる。その分、来年の儀までのリスクが上がるだろう》
「承知しました」
この森に溜まる高濃度の瘴気を定期的に祓い、周辺地域、ひいてはこの国への被害を防ぐこと──それが、アンガーミュラー家本来の役目。
高濃度の瘴気は、放っておけば生命を変質させ、木々を枯らし、大地を蝕む。
アンガーミュラー家は、この国の成立以前からこの地に住み、人知れず瘴気を祓い続けて来た一族だ。
国が成立してからは王家と対等に約定を結び、表向きはアンガーミュラー領を統治する貴族となり、瘴気濃度を一定以下に保つことで密かにこの国に貢献している。
ちなみに、国が出来た直後は、今と比べ物にならないほど大変だったらしい。
国が成長すると、人口が増える。
村や町が発展することで、人々の生活はより豊かになったが、同時に数多の軋轢や混乱を生んだ。
すると、発生する瘴気の量も増える。
瘴気がこの森に集まって来るのには時間が掛かるため、数年前の急成長の痕跡が時間差で高濃度の瘴気として現れるのだ。
瘴気の管理人としてはたまったものではない。
今は年に1度の『祓いの儀』で済んでいるが、当時は大体2ヶ月に1回くらいのペースで儀を行っていたらしい。
それを記録したご先祖様の手記の端には、『物資も人手も足りない。削られるばっかりなんだけどどうしたら良い。王家が頼りなさ過ぎて死ぬ』と殴り書きされていた。
瘴気の王が出現したのはその後の時代だ。
ある時突然アンガーミュラー家当主の前に現れ、『祓いの儀で手を貸してやるから協力しろ』と手を差し伸べて来たのだという。
瘴気の王は凶暴化した魔物や瘴気種、あるいは瘴気そのものを上手く誘導し、『祓いの儀』を行いやすい状況を作り上げてくれた。
摩耗し切っていたアンガーミュラー家にとっては救いの神だったようだ。
…それを考えれば、今の瘴気濃度はさほど危機的状況でもないのかも知れない。
《一応言っておくが、建国初期ほどではないにしても、今の瘴気濃度は異常なのだぞ》
瘴気の王が呆れた顔で指摘する。内心を見透かされたようだ。
《そうよクリス。今の私たちの戦力じゃ、祓い切れるかどうか微妙なところだわ》
ネズミの死体を検分していたシルクも振り返る。
半眼のシルクも大変可愛いが、呆れ全開だと分かるのでちょっと傷付く。
「ラフェットとレオンも来てくれていますし、大丈夫だと思いますよ」
彼らは今、街に滞在して周辺地域の魔物を狩りまくっている。
『素材の買取が間に合わなくなる』と、冒険者ギルド受付のケイトが青くなっているそうだ。
ケイトには気の毒だが、魔物を予め減らしておくと『祓いの儀』が楽になるので、大変助かる。
《ラフェットとレオン?》
「凄腕の冒険者です。父によると、昨年もご協力いただいたようですが」
王宮に出仕してから、私は『祓いの儀』に参加していない。
この4年間は父と母とマーカス、そして冒険者たちが協力し合って何とか凌いで来た。
ラフェットとレオンは、その中で中核を担ってくれたと聞いている。
《長剣使いの女性と、大剣使いの男性のペアよ。魔法も得意で暗器も使うし格闘術の心得もある、何でも有りの冒険者ね》
《ああ、あやつらか》
シルクが補足した途端、瘴気の王は納得の表情を見せた。
よほど印象に残っているのだろう、少し楽しそうに頷く。
《今年はあやつらと其方が共に参戦するか。これは面白くなりそうだな》
私は思わず苦笑した。
「お手柔らかにお願いします」
シルクと共に屋敷に帰ると、玄関前で父が難しい顔をしながら薄い空色の便箋を眺めていた。
「父上、ただいま帰りました」
「ああ、帰ったか。森の様子は?」
「瘴気種のネズミ2匹と遭遇しました」
うち1匹はシルクが倒したので、革袋に入れて持ち帰って来た。
玄関の脇にそれを出すと、父は一旦便箋を胸ポケットに仕舞い込み、早速ネズミを観察し始めた。
「この時期に、もうか。しかも大きいな──アカネズミではこうはならないと思うが」
《ここまで瘴気の影響が濃いと、元の種に関しては分からないわね。案外、ドブネズミかも知れないわよ?》
「ドブネズミは街の害獣だろう? あの森に棲んでいるとは思えないが」
確かに、ドブネズミは街に棲んでいる印象が強い。
しかし、
「人間の街が出来る前は、どんなネズミも森や平原に棲んでいたはずですから。森に棲むドブネズミが居たとしても不思議ではありませんね。あと、私としてはドブネズミではなくクマネズミを推したいです。かなりすばしこくて、判断力もあるようでしたから」
「クマネズミか…有り得るな」
《そうね》
まあ何が原形だったとしてもネズミの繁殖力は脅威なので、殲滅することに変わりはないのだが。
領主による検分が終わると、ネズミの死骸はシルクが丁寧に魔法で焼き尽くす。
放っておくと瘴気を撒き散らし続けるので、瘴気種の死骸は燃やすか埋めるか急速分解するか、適切な処理が必要になるのだ。
「それから、既に瘴気の王が実体化しています。『祓いの儀』の時期を早めようかと打診したのですが、いつもの時期にした方が良い、と」
私の報告を聞いて、父が眉間にしわを寄せる。
「…そうか。ならば、準備を入念にすべきだろうな」
「はい」
間に合うかどうか微妙なところだが、冒険者たちとの連携訓練もしておいた方が良いかも知れない。
──ところで。
「先程の紙は…ファーベルク伯爵からのお手紙ですか?」
昔から我が家と親交のあるファーベルク伯爵家は、私的な手紙に空色の便箋を使う伝統がある。
私が訊くと、父は曖昧に頷いた。
「手紙と言うよりは、招待状…になるのか?」
「招待状?」
「お前とマーカスの2人を、別荘に招待したいそうだ。ユーフェミア嬢が、お前に会いたがっている
らしい」