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13 平穏な日々と不穏な気配

 帰還後5日間は強制的に休みになったが、それ以降は我が家の通常業務だ。


 各種書類仕事をこなし、住民たちからの相談を受けて適切な対応を取る。

 時には、領内の集落へ出張して現地視察もする。



「お嬢様、市街の融雪設備に不具合があるようです。この場所の雪が融けないと陳情が」

「あら? この区画には融雪設備は入っていなかったと思いますよ?」

「え? …あっ!」

「もしかしたら、除雪作業の配分が上手く行っていないのかも知れませんね。取り急ぎ、ベスのところに除雪依頼を出しましょう。並行して、各業者の担当区画の確認と、必要であれば再配分をお願いします」

「承知しました」



「クリスティン様、荷物をお届けに上がりました!」

「ああ、王宮時代の寮の荷物ですね、ありがとうございます。…王都からの道中、問題はありませんでしたか?」

「大有りですよ。図ったように野盗が出る出る。クリスティン様が思わせ振りな態度を取ってくださったおかげで俺らも身構えてましたし、護衛の冒険者の数を倍にしてたんで、軒並み返り討ちにできましたがね。荷物も全部無事です」

「流石は皆さんですね」

「まあ、荒事には慣れてますから。…しかし…」

「はい?」

「他の連中は気付いちゃいませんが…野盗の中に、野盗じゃない奴らが紛れてたと思うんですよ。多分ですが」

「野盗じゃない奴ら、ですか」

「もっと組織立ってると言うか…動きがお上品と言うか…こう、貴族の私兵団みたいな。心当たりはありませんか?」

「何でしょうね…。残念ながら、命を狙われる覚えも私物を狙われる覚えも無いのですが」

「そうですか…」

()()()()()()()()()()()()()()なら王都に居ますが」

「…それは、その……やらなくて正解だと思いますよ。本気で殴ってたら冗談じゃ済まないでしょう、色々と」



「クリスティン様! うちの若いのが、今年のライ麦の植え付けを倍にしたいと言ってやがるんだが──」

「倍、ですか? それは植え付け面積を倍にしたいという事ですか? それとも、同じ面積の中に、いつもの倍の量、種をまきたいという事ですか?」

「同じ面積の中に倍量種まきだ。あいつら、去年間違えて2倍種まきした畑で2倍収穫できたからって、今年は全部の畑で同じことをしたいとか言い出しやがった」

「あら、まあ」

「作物を密植すれば病害虫の被害に遭う確率が上がるし、あっという間に畑が痩せちまう。去年上手く行ったのは偶然だ。けど、何度も説明してるのに聞きゃしねぇ」

「それは大変ですね…。──だったら、一度経験していただきましょう」

「経験?」

「全ての畑でいきなり倍量育てるのは、確かに危険です。そこまでの冒険はできません。ですので、我が家が所有している畑を1枚、若手の方々に実験用に貸し出します。そこでライ麦をいつもの2倍量、育ててみてください。ライ麦を収穫後に何を植えるかはお任せします。数年繰り返してみて、収量の安定性や品質、病害虫の被害状況、畑の土への影響などを検証しましょう」

「検証…」

「我が家の事業として行いますから、畑の賃料はいただきません。その代わり、期間中は各作物の育成の状況をノートに記録していただきます。収穫した作物は、品質確認に使う分を除き、自由に売って構いません。上手く行けば面積当たりの収量が上がる方法が見付かるかも知れませんし、失敗しても若い方々には貴重な経験になるでしょう。いかがですか?」

「そうですね…ちょいと、若手と相談してみます」

「良い返事を期待していますよ」



「クリス様、うちの実家の近く、雪解け水が溜まって大変な事になっているのですが、何とかなりませんか?」

「大変な事、ですか?」

「道の真ん中に大きな水溜まりが出来てしまって、馬車が通るたびに泥水がはねて大変なんです。通行人が度々泥を浴びて被害を受けてますし、実家の壁も窓も泥だらけです」

「それは大変ですね。場所はどの辺りですか?」

「この地図で言うと…ここです」

「分かりました。すぐに現地を確認し、状況に応じて補修工事の手配をしましょう。近隣住民への説明も必要だと思いますし、一緒に来ていただけますか?」

「もちろんです!」




 ライ麦の種まきが終わる頃には、完全に雪が融ける。


 平地の雪が融ければ、春の到来だ。


 雪解け水で水量が増す川、一斉に芽吹き始める湿地帯の植物たち。

 木々の陰や山岳地帯にはまだ雪が残るが、動物たちも活発に動き始める。


 4月中旬。


 私とシルクは、屋敷のさらに北側、森林地帯の一角にやって来た。


「ここに来るのも久しぶりですね」

《ええ、5年ぶりね。見た感じ、それほど様変わりはしていないようだけど…》


 呟きながら、シルクが眉間にしわを寄せる。


 アンガーミュラー家の屋敷から徒歩で1時間ほど。

 屋敷の建つ小高い丘を下り、灌木がまばらに生える平原地帯と落葉樹の林を突っ切って行き着く先が、この森林地帯だ。


 針葉樹の生い茂る森は、それまで通って来た落葉樹の林よりずっと緑が色濃く、昼でも暗い。

 日陰が多いので、残雪も多い。


 ただ、妙にひんやりとした空気は、その雪だけのせいではない。


「…ずいぶん、『(こご)って』いるようですね」


 時折行き過ぎる、周囲の空気よりさらに一段冷たい風。

 『冷たい』と感じるだけで、実際には温度の違いではないのだが。


《今年は大変そうだっていう話、本当みたいね》


 シルクが視線を鋭くする。


 見詰める先、森の奥に漂っているのは、『瘴気』。

 あらゆる生き物の負の感情が蓄積、濃縮したものだと言われているが、通常、肉眼では認識できず、その正体ははっきりしない。

 私は、生きて行く上でどうしても発生する『排泄物』の一種だと思っている。


 普通、瘴気は、空気中、水中、果ては大地の中まで、どこにでも薄らと漂っているらしい。

 それがゆっくりと魔素の流れに乗って運ばれ、特定の地域に集まって来るのだ。


 アンガーミュラーの屋敷の北にあるこの森は、その『特定の地域』のうちの一つ。

 魔素が豊富だが、それに付随する瘴気も非常に濃い。


 瘴気が濃いと、そこに棲む生き物の身体が変化する。

 動物は魔物のように魔素を吸収するようになり、魔物はより強靭に、凶暴になる。

 魔素だけが濃い地域でも似たような変化はあるが、瘴気が濃いこの森ではそれが顕著だ。


「!」


 茂みから飛び出した影を、手で明後日の方向へ弾く。

 地面に着地した影はそのまま鋭く方向転換して逃げて行った。


 一瞬見えたのは、長い尾を持つネズミのシルエット。ただし、サイズはシルクより大きい。


氷槍(アイス・ランス)!》


 シルクの放った魔法が、また別の方向から襲い来た影を地面に縫い留めた。


 やはり、見た目は大きなネズミだ。

 氷の槍で心臓を貫かれた上に地面に磔になっているのに奇声を上げて暴れているあたり、どう見ても普通の生き物ではないが。


「マダム・シルク、お見事です」

《当然よ》


 シルクに賞賛を送っている間に、ネズミはようやく動かなくなった。


「魔物…ではありませんね」

()()()ね。2匹居たって事は、他にももっと居そうだわ》


 濃い瘴気の中で生育した動物の卵や胎児は、瘴気の影響をまともに受け、本来の種とは違う姿や性質を持って生まれることが多い。

 十中八九凶暴化しているため、『瘴気種』と呼んで区別し、優先討伐対象として扱っている。


 ちなみに、瘴気種として生まれた動物が成熟して繁殖した場合、生まれて来る子どもは基本的に全て瘴気種だ。親から瘴気を引き継ぐためだと言われている。

 瘴気種は軒並み生命力が強く、成長が早く、繁殖能力も高いため、放置しておくと大変な事になる。


 凶暴化した魔物でなくて幸いと言うべきか。

 それとも、まだ雪の残るこの時期に瘴気種が発生していることを嘆くべきか。


 シルクと顔を見合わせて溜息をついていると、森に乾いた拍手の音が響いた。




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