11 王家とアンガーミュラー家の事情
「父上、落ち着いてください」
王家を敵認定しようとする父に待ったを掛けたのは、マーカスだった。
マーカスもマーカスでそれなりに据わった眼をしているのだが、まだ冷静な方らしい。くるりと私に向き直り、
「姉上、姉上が居なければ、王宮の元職場はろくに仕事が回らないという事でよろしいですか?」
「ええ…同僚たちはかなり優秀なのですが、決裁権を持つ上司の処理が追い付かないので」
言葉にしてから思う。
あの職場、よく今まで仕事が回っていたものだ。
私の言葉にマーカスは頷き、続けた。
「ならば早晩、その部署は崩壊すると見て間違いないでしょう。こちらから手を下すのは、それからでも良いのではありませんか?」
訂正。
『手を下す』とか真顔で言うあたり、父より弟の方がやばかった。
「父上、マーカス、落ち着いてください」
こめかみに手を当てて、私は溜息をつく。
「どうせ放っておいても瓦解するのです。私たちが手を出す必要はありません」
《…貴女も負けず劣らずアレな思考になってるわよ、クリス》
シルクの突っ込みが入った。
「まあまあ、仕方ないですね」
温和な笑顔で母が口を開く。
「ですがそうなると、同僚の方々は大変なのではありませんか?」
「そうですね…そこは少し心苦しいのですが」
部署が崩壊するまで、同僚たちは死ぬ気で働く事になる。
と言うか、下手したら崩壊した後もがむしゃらに働き続けるだろう。
根が真面目なのだ、彼らは。
…どこぞの無能上司と違って。
「ならば、職場が崩壊し、元同僚が助けを求めてきた場合は、うちで引き取るというのはどうだ?」
父が突拍子も無い事を言い出した。
「引き取る?」
「厳密には、引き抜きだな。彼らは無能上司の下から脱出でき、我々はクリスの鍛えた有能な文官を雇える。どちらにも利があるだろう?」
「…確かにそうですね」
意外と真面目な意見に、私は少し考える。
言うまでも無く、王宮文官として働く彼らは非常に優秀だ。
最大の難点は、彼らをこちらで雇う場合、アンガーミュラー領に移住してもらわなければならないという点だが…住まいを用意し、王宮と同等かそれ以上の雇用条件で雇うのはそれほど難しい事ではない。
ただ、
「…ですが、王家との約定があるのでは?」
アンガーミュラー家と王家は、建国当時と言うかそれ以前からの付き合いがあり、今のような主君と臣下という関係になってからは独自の約定を結び、関係を保っている。
曰く、アンガーミュラー家は西の護り手として、独立した地位を持つ。
曰く、王家はこれを侵してはならない。
曰く、王家が危機に晒された時、アンガーミュラー家は助力を惜しんではならない。
他にも色々とあるが、今回問題になるのは人の移動についての決まり事。曰く、
「確か…『アンガーミュラー領は、王宮の擁する人材を、自領の人材として求めてはならない』でしたか」
つまり『引き抜き禁止』である。
…過去に何があったのだろうか。
ともあれ私が指摘すると、父はにやりと笑った。
「そうだな。だがそれは、『王宮の擁する人材』にのみ適用される決まりだ」
「ああ…なるほど」
要するに、王宮を辞めた後の人材に対してなら、就職先候補として声を掛けるのは自由だと。
「そういう理屈なら通りますか」
屁理屈と言えば屁理屈だが、そういう解釈もできそうだ。
「第一、本来領内から出る事が許されていないはずのお前を王宮に出仕させた時点で、約定も何も無いだろう。あれは王宮側からの要求だったのだからな」
王家との約定には、『アンガーミュラー家の独身の直系血族は、自領から離れてはならない』という決まりもある。
私の王宮への出仕は、『期間限定であり、未来永劫『離れる』わけではない』という無理筋の理屈を通して成り立っていた。
つまり、約定を無理矢理かいくぐって無茶を通したのは、あちらが先。
父がフンと鼻を鳴らすと、母も頷いた。
「ええ。ずいぶんと無茶な要求を呑んだのです。今度はあちらに譲歩してもらう番でしょう」
あくまでも、王家とアンガーミュラー家は対等。
対外的には主君と臣下という関係だが、両家の人間は互いの立ち位置を誤ってはならない。
「また一悶着ありそうですね…」
マーカスが溜息をついているが、何故か少し楽しそうだ。
「マーカス、何か良からぬことを考えていませんか?」
「まさか。俺はあくまで平和主義ですから」
据わった目で言うな、弟よ。
「まあとにかく、クリスティン、お前はしばらく休みなさい」
「え?」
父の言った言葉が意外過ぎて、私は思わず呆けた声を上げた。
アンガーミュラー家は多忙だ。
なのに、『しばらく休め』などという指示が出て来るとは。
私が戸惑っていると、母が柔らかく苦笑する。
「クリス。貴女、最後に丸一日休んだのはいつですか?」
問われて記憶を探る。
まず、この10日間、ずっと移動し続けていたのは『休み』に入らないだろう。仕事はしていないが。
次に、王宮で働いていた頃のことを思い返してみる。
王宮には対外的には公休日が設けられているが、実際には常に誰かが出勤して書類仕事を回している。
王宮内の仕事を統括する第2統括室はその中心なので、集まって来る書類は膨大だ。
処理しても処理しても、どこからともなく仕事がやって来る。
…そういえば、年明けからこっち、丸1日寮の部屋で寝続けるとか、特に目的も無く街を歩いてみるとか、午前も午後も鍛錬に費やすとか、そういう『マトモな休日』を取った記憶が無い。
……はて……?
「…姉上、さては年末年始あたりから休んでませんね?」
首を傾げていると、マーカスに言い当てられた。
「ええと…年末に珍しく王都に雪が降って、近所の少年少女に雪玉投げを教えた記憶ならありますが」
なおアンガーミュラー領の『雪玉投げ』は、中に氷の塊を仕込んだり、軽く水を含ませた雪を使ってガチガチに仕上げた雪玉を使うのが基本である。
細かくて柔らかい雪なので、それくらいしないと面白くないのだ。
「……お前、王都の子どもたちに何てモノを…」
父が呻いた。
『休日』の記憶を辿って、直近の休日の思い出がそれだったのだから仕方ない。
「とりあえず、それ以降、休んだ記憶は無いような気がします」
「気がします、じゃないです姉上」
マーカスが冷静に突っ込みを入れて来る。
「1ヶ月以上休みが無いなんて異常ですよ。いくらうちが忙しくても、これ以上無理はさせられません」
「無理…ではないと思うのですが」
「その目の下のクマを何とかしてから言ってください」
「あら」
食い下がったら、ぴしゃりと言い返された。
どうにも分が悪いと思って周囲を見渡すと、父も母も、使用人たちですら、マーカスと同じような顔をしている。
つまり、お怒りだ。
「クリス」
「ハイ」
殊更柔らかな声で母に呼ばれ、私は反射的に背筋を伸ばした。
「貴女にはこれから5日間の休暇を命じます。使用人たちにもそのように申し伝えますから、仕事を探しに行かないように。良いですね?」
「……ハイ」
仕事を探しに行くな、とは。
一体、私は何だと思われているのだろうか。
聞いてみたい気もしたが、とても問いただせる雰囲気ではなかったので、私は大人しく頷いた。