10 帰還
街に残るラフェットたちと別れ、シルバーウルフの引くそりに乗って、街の北の雪原をひた走る。
久しぶりに乗るそりのスピード感は抜群だ。
新雪が降ったばかりだと店主が言っていた通り、雪の表層10センチほどは柔らかく、そりの上下動を上手く吸収してくれる。
今回そりを引いてくれているシルバーウルフたちは、まだ若い。
私が王宮に勤め始めてから生まれた、3~4歳の子たちだ。
体力が有り余っているのでスピードは抜群だが、そりを引く経験はまだ浅く、近くにネズミなどが出れば気を散らしてしまう事もある。
だから今、私の乗るそりの横には、12歳のベテランのシルバーウルフが並走している。
「ウォウッ!」
先頭の1頭がよそ見をした途端、並走するシルバーウルフ、ファングが鋭く吠えた。
店主曰く、少しずつ体力が衰え始めているとの事だが、リーダーとしての統率力はむしろ磨きが掛かっているのではないだろうか。ファングに吠えられた若者は、弾かれたように姿勢を戻した。
「流石ですね、ファング」
「ワフ」
ファングが誇らしげに鼻を鳴らす。
私が王都へ行く少し前、ファングは他の候補と盛大なバトルを繰り広げ、群れのリーダーに就任した。
それから5年。色々あったのだろうが、今ではすっかり貫禄と落ち着きを兼ね備え、視野の広い良いリーダーになっているようだ。
時の流れは早い。
様々な変化が嬉しい一方、少し寂しくもある。
──そうして、雪原を移動すること3時間。
日が沈み掛かる頃、私たちは実家に到着した。
《着いたわね…》
バックパックから飛び降りて、シルクが大きく伸びをする。
シルクは道中ずっと、バックパックの専用ポケットに入って風をしのぎ、私に身体強化魔法を掛け続けながら周囲を警戒していた。単純に走っていただけの私とは疲れ方が違う。
「お疲れさまでした、シルク」
《魔タタビのスープでも飲みたい気分だわ》
「きっと準備してくれていると思いますよ」
屋敷の料理長はケットシー贔屓だ。
帰還予定日はシルクが愛娘のシフォンにホット・ラインで伝えているから、今頃丁寧に仕込んでいることだろう。
「シルバーウルフの皆さんも、お疲れさまでした」
振り向くと、各々楽な姿勢を取っていた若いシルバーウルフたちが一斉に立ち上がり、姿勢を正してこちらを見た。
道中、私とファングが気さくに話しているのを見て、私が格上だと認識してくれたらしい。
一番近くに居たファングが、期待した目でこちらを見ている。私は笑って頷いた。
「今日はもう遅いですから、うちの小屋に泊まって行ってください。ファング、場所は分かりますね?」
「ウォウ!」
「では、よろしくお願いします」
シルバーウルフたちが、屋敷の敷地内、東側の小屋に向かう。
シルバーウルフ専用の休憩小屋で、中にはふかふかの干し草ベッドと、魔法道具でほんのりと温められた水が用意されている。
ファングはそこの居心地の良さを知っているので、歩み去る尻尾がとても上機嫌に揺れていた。
「さて…私たちも入りましょうか」
4年半以上振りなので、自分の家なのに少し緊張してしまう。
門番が居ないのは、私が以前『ろくに来客も無いのにただ突っ立ってるだけの仕事なんて不毛過ぎる』と主張したからだ。
門番と言いつつ、実態は使用人たちが交代で立つという罰ゲームさながらの状況だったので、門番の仕事を撤廃すると決まった時は使用人たちに随分と感謝された。
無人の扉の前に立ち、脇に備え付けられている魔法道具のブザーを鳴らす。
「お帰りなさいませ、クリスティン様!」
待ち構えていたのかと思う早さで扉が開き、執事が顔を出した。
少ししわが増えただろうか。
「ただいま戻りました。皆さん、お変わりありませんか?」
「ええ、つつがなく。どうぞお入りください、クリスティン様」
中に入ると、若いメイドがバックパックを引き取ってくれる。
渡した途端、彼女は軽く目を見開いた。
「お、重い…!?」
「ああ、すみません。色々と詰め込んでいますので」
彼女は私がここを出た後に雇われたのだろう。
初めて見る顔だし、私がとにかく荷物を詰め込むタイプだとは知らないようだ。
今回のバックパックは、女性の細腕には少し厳しいくらいの重さになっている。すかさず年かさの使用人が台車を引っ張って来た。
「これに載せてくれ。クリスティン様の荷物は、基本重いからなぁ…」
何だかしみじみと呟かれているが、妙に懐かしげなのは気のせいだろうか。
「クリスティン様、こちらはお部屋にお運びしても?」
「ええ、よろしくお願いします」
若いメイドと使用人が、台車を押して去って行く。
執事がこちらに向き直り、少し難しい顔をした。
「クリスティン様、お疲れのところ申し訳ありませんが、リビングで旦那様がお待ちです」
「分かりました、すぐ向かいます」
今回の帰還、理由が理由だ。父が待ち構えているのは予想していた。
私は頷いて、そのままリビングに向かう。こういう時は身繕いする必要も無い。
『時間の無駄は省いて良い』。我が家の家訓である。
「ただいま戻りました」
リビングには、父だけではなく、母と弟も揃っていた。
「無事に帰って何よりだ、クリスティン」
父、ハロルド・アンガーミュラー。
「おかえりなさい、クリス」
母、ジャスティーン・アンガーミュラー。
「姉上、お疲れさまです」
そして弟、マーカス・アンガーミュラー。
全員ゆったりとソファに座っているが、その場の空気は重い。重いと言うか…
「…父上、母上、殺気が漏れていますよ」
「む…」
私が指摘すると、父が眉間にしわを寄せた。
深々と息を吐き出すと、フッと父が纏う空気が緩む。
「……すまん。今回は、流石に、ちょっとな」
苦笑しているが、目が笑っていない。
「まあお気持ちは分かります。ユリウス殿下から詳細を知らせるお手紙でも届いていますか?」
「ええ、届きましたよ──昨日」
母の殺気が一段階増した。
マーカスが青い顔をしているので、そろそろやめてあげて欲しい。
「殿下もお忙しいですから。それに、あの方が介入する前に全て終わっておりましたので、あの方の権限ではどうしようも無いのですよ」
私もソファに座り、一応、ユリウスを擁護する。
…いや、解雇から9日後に実家にお知らせというのは、正直遅すぎると私も思うが。
「一応、私の方からも詳細を説明しても?」
「ああ、頼む」
父に促され、私は事の顛末を簡単に説明する。
正規のルールに則り、書類の書き直しを要求したら、『お前明日から来なくて良い』と言われたこと。
抗議しようにも書類手続きは既に完了していて、どうしようもなかったこと。
上司が自信満々に『お前の仕事は自分がやる』と言い切ったので、もう色々どうでもよくなったこと。
寮も翌日には退去するようにと言われたこと。
「──というわけで、元上司には精々忙しさに禿げ上がっていただこうと思いまして、大人しく退職してきました」
「…………」
沈黙が重い。
いつの間にか、青くなっていたはずのマーカスまで殺気を放っている。
扉の横で待機している執事が、顔面蒼白になったメイドをそっと廊下に出したのが視界の端に見えた。
英断だと思う。
父が深々と溜息をついた。
「……ヴァイゼンホルン家は、我々を敵に回したいらしいな……」
ヴァイゼンホルン。王家のことである。
あっさりと敵認定しないでいただきたい、父よ。