40000pt突破記念SS【シルク視点】クリスと手紙
40000pt突破、ありがとうございます!
ちょっと短いですが、ケットシーのシルク視点。
本編開始前、王宮文官として出仕を始めたばかりの頃の主人公のお話です。
王都に来てから10日。
王宮出仕後初の休日に、私の相棒、クリスティン・アンガーミュラーは、いそいそと机に向かっていた。
《手紙?》
机の隣の書棚から覗き込むと、薄いクリーム色の便箋に丁寧な字が綴られている。挨拶から始まり、相手の状況を気遣う言葉、家族の近況…当たり障りのない文面だ。
これが悩みに悩み、練りに練った文章だとは、他の者には分からないだろう。隣の下書きと書き損じの山を見なければ。
「ええ。最近、ヴィクトリアに出していなかったなと思いまして」
頷くクリスの顔はいつもと同じように平静を保っているように見えて、その実、目が輝いている。
(これが無意識だっていうんだから、重症よね)
本人は、顔に出ていると気付いていない。実際、私や家族でなければ分からないだろう。
──ヴィクトリア。あるいは、ヴィクトル・ヴァイゼンホルン殿下。
クリスが子どもの頃アンガーミュラー家に滞在していた、この国の第一王子…王子で良いのかしらね?
アンガーミュラー家で様々な経験をし、ある日、自分は女性だと申し出たのだという。
私、ケットシーのシルクがアンガーミュラー家に住むようになったのはそのすぐ後だ。だから具体的にどのような経緯で『彼』が『彼女』になったのかは分からないが…アンガーミュラー家の人間がそれを全力で後押ししたのは想像出来る。あの家はそういう家だ。
その結果、私の大事な大事な相棒は初恋を心の奥底に押し込め、ヴィクトリアの『親友』として振る舞い、今に至っている。
私としては、鈍すぎるあのオネェの胸倉を掴んでがくがく揺さぶってやりたい。ケットシーだから無理だけど。
やたら察しが良くて目端が利いて、あまつさえ『識者の眼』なんていう冗談みたいな能力持ってるのに、ずっと近くに居たクリスの思慕に気付かないなんてどうかしてるわ。
「…他に何か書くことはあったでしょうか…」
私の内心をよそに、クリスは真剣な顔で思い悩んでいる。
その文面を改めて読み、私は首を傾げた。
《貴女の近況は書かないの?》
マーカスが新しい魔法道具を開発しただとか、父ハロルドが相変わらず書類仕事を後回しにして母ジャスティーンに怒られているだとか、そんなことはつらつらと書いてあるのに、肝心のクリスのことは書かれていない。それが一番重要というか、一番の重大ニュースだと思うんだけど。
《王宮の統括部第二統括室の室長に懇願されて王宮文官として働き始めた、なんて、真っ先に報告すべきことよね?》
クリスは2年ほど前、ハロルドの親友であるマーキス侯爵に頭を下げられ、かの侯爵家に臨時の文官として赴任した。
齢17の年若いご令嬢だ。最初はマーキス侯爵家でもかなり軽く見られていたが──ものの半年で文官の仕事を掌握し、『指示を受けて仕事をする』立場はそのままに、仕事の仕方を根本から変えてみせた。
無駄を削ぎ落とし、書類の書式を改め、変に省略していた部分は分かりやすく流れを変える。
それこそがマーキス侯爵が求めていた成果で、クリスは見事その期待に応えたわけだ。
──で、その結果、2年後に王宮統括部第二統括室の室長を務めるマーキス侯爵に再度頭を下げられ、今度は王都に、王宮文官として赴任することになった。
期間限定、有期雇用の文官とはいえ、国の中枢である王宮での仕事だ。ハロルドはかなり渋っていたし、母であるジャスティーンも難色を示していた。
…ジャスティーンに関しては『この子がキレると王都の騎士程度では止められませんよ?』と、違う意味で心配していたようだけど…最終的に私が同行することで納得してもらった。
王宮文官の仕事は、クリスにとってとても有難い打診だった。
何故なら、『初恋の人が後顧の憂いなく自分の人生を謳歌出来るようにする』のが、彼女の一番の目標だから。
王宮はヴィクトリアの実家のようなもの。そこでの仕事は政治に直結する。
政治的に安定していなければ、ヴィクトリアが再び『ヴィクトル殿下』として担ぎ上げられ、争いの火種として利用されるかも知れない。それだけは何としてでも防がねばならない──クリスは常々、そう考えているのだ。
だから彼女は、マーキス侯爵の打診を即座に受けた。
《本来アンガーミュラー領から出られないアンガーミュラー家のご令嬢が、王都に居るのよ? 大ニュースじゃないの》
私が指摘すると、クリスはサッと目を逸らした。
「…ヴィクトリアが深読みしてしまうかもしれないじゃないですか。王宮で何かあったのか、と」
クリスはヴィクトリアに心配を掛けることを極端に嫌う。その気持ちは分からなくもないが、南の街で回復術師という地位をちゃっかり築いているあのオネェをそこまで気遣う必要は無い。
…むしろ少しくらい心配させといた方が良いと思うわ、私は。
《なら深読みする必要がないくらい詳細に事情を書いておきなさいよ。どうせこっちにも情報の伝手を残してるだろうし、そっちから知られたらかえって変な勘繰りを受けるわよ》
「…あっ」
ここは王都。かつての『ヴィクトル・ヴァイゼンホルン殿下』の本拠地だ。
既に王位継承権を放棄しているとはいえ、王都に居る貴族との繋がりを完全に絶ったわけではないだろう。クリスが黙っていても、いずれ知られてしまう可能性が高い。
…これくらい、クリスが気付かないわけがないんだけど…この子もヴィクトリアのこととなると冗談みたいに判断力が鈍るのよね…。
仕事面ではほぼ完璧なのに、自室をゴミの海に沈める才能といい、どうしてこう変なところでポンコツなのか。
(…まあ、だからこそ世話を焼きたくなっちゃうんだけど…)
我ながら厄介な性分だ。今更だが。
クリスはペンを片手に、また思い悩んでいる。自分の近況を伝える気にはなったようだが、多分手紙自体を書き直す気だろう。
「…どこから書けば良いのか…」
《業務報告じゃないんだから、適当で良いのよ、適当で》
肩を竦めたら、恨みがましい目で見られる。
「業務報告だったらそれこそ適当で良いじゃないですか。書式が決まっているんですから」
それもどうなのか。
我が相棒殿には、王宮の業務報告より友人への手紙の方が難易度が高いらしい。
私は内心で苦笑して、机の横のクッションに丸くなる。
《今日は街の散策に行くんでしょ? 夕方までには書き終えなさいよ》
「…努力します」
クリスが手紙を書き終えるには、まだまだ時間が掛かりそうだ。
みなさま、応援本当にありがとうございます!
主人公、業務報告は得意でも手紙を書くのは苦手です。毎回書き損じを量産して、最終的に全部床に落とす悪癖があります。(←だから汚部屋化する)
で、それをデキる相棒、マダム・シルクが片付けるまでがワンセットです。
…うちにもデキる相棒が欲しい…。