【『アベル・イグナシオ回想録(以下略)』完結記念SS】アンガーミュラー家の始祖
雪がまだ所々に残る、麗らかな春の日。
「クリス、何してるの?」
書庫の整理をしていたら、ヴィクトリアがやって来た。
「本の虫干しをしようと思いまして」
古い書物の埃を払いながら答える。
普段は閉まっている鎧戸を開け、窓も全開にしているので、風通しは良い。ただし、風の向きはあまりよろしくない。
払った埃は窓の外ではなく、ヴィクトリアが立つ廊下へと流れて行った。
「うわ、すごいわねこれ」
書庫の中を見渡し、ヴィクトリアが感嘆の声を上げる。
等間隔に並んだ本棚に、書類や本がぎっしりと入っている。きちんと背表紙がある装丁された本から書類を紐で束ねただけのものまで、サイズも形状も様々だ。
本棚の横に置かれた巨大な花瓶のような陶製容器には、巻物状になった大きな書類がみっしりと入っている。大体は古い地図だが、災害時の被害を書き記したものや『祓いの儀』の戦略図なども混ざっていたはずだ。
いい加減、書き写すなりして保管する書類の量を減らしたいのだが、残念ながらそこまでの余裕は無い。
「そういえば、ヴィクトリアはここを見るのは初めてでしたね」
「ええ。アンガーミュラー家の人間以外立入禁止、だったわよね」
昔、ヴィクトリアが『ヴィクトル殿下』だった頃は『客人』という扱いだったので、この部屋に入る権限は無かった。
それを思うと、こうして当たり前の顔で書物を見上げられるのは何だか感慨深い。
ヴィクトリアはつい先日、南の崖壁都市メランジから、ここアンガーミュラー領──と言うか我が家へ引っ越して来た。荷解きも終わって、ようやく少し落ち着いたところだ。
既に籍は入れて『ヴィクトリア・アンガーミュラー』になっているが、結婚式を挙げるのはもう少し先。今年の『祓いの儀』が終わってからにしようと約束している。
当初、私とヴィクトリアは身内だけで簡単に式を済ませようとしていたのだが、家族と使用人たちに猛反対された。
次期当主の結婚式が身内だけなんて有り得ない、と。
そう言われたら、反論の余地は無かった──閑話休題。
「…まさかここにこうして入れるようになるとはね…」
ヴィクトリアが目を細めて微笑む。
同じことを思っていたらしい。少々くすぐったい気分になる。
「これからは嫌でもここに来ることになりますよ、何度も」
「…いきなりありがたみがなくなった気がするわ」
実際、領主の仕事で過去の災害の状況や各地の古い地形の情報が必要な場面はよくある。
領主の執務室にもある程度の複写や概要の資料は揃っているが、原本はここにあるので、どうしてもこの書庫にお世話になる頻度は高い。
…父が来たがらない分、私が子どもの頃からこの部屋にやたら出入りしていたのは秘密である。
だがそのお陰で、貴重な情報に巡り会えた。
「ヴィクトリアのご先祖様の日記も、ここで見付けたのですよ」
「日記って…あの『識者の眼』に振り回されてた愚痴満載のやつ?」
「ええ、それです」
ヴィクトリアのご先祖様──この国の初代国王は、建国前にアンガーミュラー家に滞在していた。
その事実はアンガーミュラーの一族には口伝で伝わっていたが、根拠となる資料は無いものと思われていた。
…私が子どもの頃、山積みになった書類の下から必要な本を引っ張り出そうとして本棚丸ごと盛大に雪崩を起こし、それを整理しながら片付ける過程で初めて見付かったのだ。後の初代国王とは思えない、乱雑で率直な日記が。
それが存在すると伝わっていなかった理由はすぐに分かった。内容があまりにも正直過ぎるからだ。
初代国王にとっては、まさに『黒歴史』というやつだろう。
「あんなに古い記録も残ってるんだものね…すごいわよね」
「ええ。と言っても、あれがうちに現存する最古の書類というわけでもないのですが」
「えっ」
実はもっと古い時代の書物もある。今私が手に取っているのが正にそれだ。とても丁寧な装丁が施され、長い時間が経った今も傷一つ無い。
マーカスによると、破損や劣化を防ぐ緻密な魔法──魔法道具の回路の原型とも取れる仕掛けが施されているそうだ。
「アンガーミュラー家の初代当主の時代に書かれた本です。読んでみますか?」
私がその本を差し出すと、ヴィクトリアは興味深そうに手を伸ばし──はっと動きを止めた。
「待って、これ素手で触ったら崩れるとか無いわよね?」
「大丈夫ですよ。私が手袋をしているのは、他の資料に紛れている危ない魔法を回避するためです。この本には危険な魔法は掛かっていませんし、素手で触っても問題ありません」
「さり気なく怖い情報混ぜてくるのやめなさいよ…」
この書庫に物理的に危ない書類が保管されているのも事実である。仕方ない。
ヴィクトリアは本を受け取り、表紙に刻印されたタイトルを読み上げた。
「『アベル・イグナシオ回想録』…」
パラパラとページをめくり、あら?と首を傾げる。
「これ、古い南方言語よね?」
基本、この世界の言語は全ての国で共通だが、国や地域によって独自の表現が使われていることがある。
古い時代にはそれが顕著で、特に北大陸と南大陸では言い回しや綴りが異なり、場合によっては全く違う意味になる言葉さえある。方言のようなものだ。
この本は、私たちの住む北大陸から真っ直ぐ南、海峡を越えた先にある南大陸の古い言い回しが随所に見られる。
理由は簡単。
「アンガーミュラー家の初代夫妻は、南大陸の出身なのですよ。公国からこちらへ移住したのだと聞いています」
その公国という国も、今は歴史書に名前が残るだけだ。
南大陸の公国は魔法道具発祥の地であり、今に繋がる様々な文化を発信する国でもあった。
冒険者ギルドの創始者も公国の関係者だったという噂もある。
「そうだったのね…この国の王家より古い一族だって聞いてたから、昔からずっとここに住んでるんだと思ってたわ」
「色々と事情があったようですよ。何せ初代夫妻が移住する前は、ここは完全に不毛の地だったという話ですから」
「え」
ヴィクトリアがぽかんと口を開けた。
今のアンガーミュラー領は湿原と森林地帯が大部分を占めていて、耕作には不向きな土地が多いが、『不毛の地』とまでは言えない。
かつては本当に、草木一本生えない、生き物も棲めない、そこに居るだけで病を患うような土地だったらしい。
それを考えると、今の状況は天国のようなものだろう。…いや、言い過ぎか。
「そのあたりの話も載っていますから、興味があれば読んでみてください」
ヴィクトリアが手に持った本を示して、改めて勧めてみる。
この『回想録』は、アンガーミュラー家の人間は必ず一読することになっている。
読まなかったからと言って罰則があるわけではないが、あの本嫌いの父ですら真面目な顔で読んでいた。
…読み終えた後、『俺はもっとちゃんとしよう…』と深刻な顔で呟いていたが。
多分、随所にちりばめられた筆者の後悔や悔恨の言葉に、身につまされるものがあったのだろう。
つまり、読み手によっては結構な数の地雷を踏み抜く可能性がある。
ヴィクトリアには秘密だが。
「…クリス、何か変なこと考えてるでしょう」
「あら、そう見えますか?」
流石ヴィクトリア、鋭い。
私が頬に手を当てて首を傾げると、ヴィクトリアは溜息をついて苦笑した。
「…まあ良いわ。折角だし、読ませてもらうわね」
改めて表紙に視線を落とし、ところで、と首を傾げる。
「イグナシオって聞いたことない家名だけど、移住に同行した従者か誰か?」
ああ、そこを説明していなかったか。
「アベル・イグナシオは、アンガーミュラー家初代の夫君の旧名です」
「えっ?」
「初代当主は、『リョウ・アンガーミュラー』──女性だったのですよ。アベル・イグナシオ様は婿入りの形で結婚したんです」
「え、じゃあ最初から女性当主だったってこと!?」
「ええ、そうですね」
だから王国の貴族に列せられた今でも、アンガーミュラー家では女性も当たり前の顔で当主になる。他の貴族連中がうるさいので、昔より頻度は低めらしいが。
「……お宅の女性陣が強い理由、分かったような気がするわ」
呆れを混ぜたヴィクトリアのコメントに、私は笑顔で応えた。
「心配しなくても、あなたもその『お宅の女性陣』の一員ですよ、ヴィクトリア」
『アベル・イグナシオ回想録 ~国境で捕らえた敵国人は、俺の命の恩人でした~』通称『アンガーミュラー家・ご先祖様編』完結記念SSをお送りしました。
書庫で主人公とヒロイン(?)が会話してるだけですが、ちょいちょい重要キーワードを織り交ぜております。
実はこの2作品、繋がりはがっつりありますが、時代だけでなく舞台となった地域も違うんですね。
その辺りの経緯は、『アベル・イグナシオ回想録 ~国境で捕らえた敵国人は、俺の命の恩人でした~』の第2幕で描けたら良いなと……構想中です…。(←書けるかどうか自信が無かったので一旦『完結』にした人)
『アベル・イグナシオ回想録(以下略)』の方は第6回アース・スターノベル大賞にも応募しております。ご興味がありましたら、読んでいただけますと幸いです。
ついでに、レビュー、ブックマーク、評価の☆などで応援していただけますと作者が泣いて喜びます。
次は本日中に、全くの別作品の連載を開始しようと思っております。(あからさまな宣伝)
そちらは気楽に読める、どっちかというと本作品(スーパー派遣令嬢~)に近いテイストになるかと思いますので、ご興味がある方は是非お付き合いくださいませ。
それではまた、どこかでお会いできるのを楽しみにしております。




