おまけ⑲【ユーフェミア視点】次世代のアンガーミュラー(3)
私がちょっと遠い目をしていると、オリヴィアは真剣な目で私を見上げた。
「あの、ユーフェミア様」
「?」
「不躾ですが、お願いがあります」
「あら、何かしら?」
オリヴィアの様子を、クリスティンたちは静かに見守っている。多分、両親は了承の上での話だろう。
私が先を促すと、オリヴィアは一旦息を吸い込み、緊張をその目に浮かべながら身を乗り出した。
「私に、稲の栽培の仕方を教えていただけませんか!?」
「……稲の、栽培の仕方…?」
私はぽかんと口を開けた。
「オリヴィアは本気ですよ、ユーフェ」
クリスティンが苦笑した。
「ここ数年、ユーフェがそちらで採れた作物を送ってくれているでしょう? その中に入っていた稲──お米が大層お気に入りで」
「お気に入りじゃないですお母さま。命の糧です。私はお米がないと生きて行けません」
「…ということらしいのですよ」
オリヴィアは真顔だった。
確かに、農耕用魔法道具を『試作品の実地試験』という名目で安価に提供してもらったお礼にと、数年前からうちの農産物をアンガーミュラー領へ贈っている。
その中にオリヴィアの心を掴む物があったというのは嬉しいことだが…ちょっと鬼気迫りすぎではないだろうか。
「すみません、ユーフェミア様」
テオドールが眉を寄せて頭を下げる。
「オリヴィアは食べ物の事となるとこうなんです。…でも、俺──私も、稲をアンガーミュラー領で栽培できるようになったら嬉しいです」
「アンガーミュラー領で、栽培?」
「はい」
テオドールに続き、リネットも真顔でこくこくと頷いている。
どうやら全員、お米に心奪われているらしい。
この国の主食は主にパンで、穀物と言えば小麦が中心だ。
南方の温暖な地域では稲も栽培されているが、水が大量に必要なため栽培地域が限られ、収量もそれほど多くない。
私の夫、ジェフリー様が10年前に王家から下賜された領地では、一部の寒村で稲が栽培されていた。
もっともそれは好んで栽培していた訳ではなく、水はけの悪い土地で小麦の栽培が困難だったからだ。
小麦の代替。仕方なく栽培するもの。
それが、この国での稲の扱いだった。
アンガーミュラー領は小麦栽培などに適した土地が少なく、大部分は湿地帯だ。つまり、水には困らない。
稲を栽培できるようになれば、耕作地は一気に広がるだろう。
ただし──稲は冬も凍らないような温暖な地域の植物だ。水温が低ければ生育が止まるし、率直に言って、うちの領で育てている稲がアンガーミュラー領の気候に耐えられるとは思えない。
「…稲は寒さに弱いのよ。アンガーミュラー領での栽培は難しいと思うわ」
「はい。なので最終目標は、寒冷地でも育てられる稲を品種改良で作り出すことです」
まさかの答えだった。
稲が低温に耐えられないなら、耐えられる稲を作れば良い。
そのためにはまず、稲という植物の事を知り、栽培方法も知らなければならない。
…何と言うか、8歳のご令嬢が口にする内容ではないと思うのだけれど…どうして両親は平然としているのかしら…?
(そういえば、手紙に書いてあった『相談したい事』って…まさか、この件?)
数日前に届いた手紙には詳細が書かれていなかったけれど、クリスティンとヴィクトリアの顔を見る限り、間違いなさそうだ。
私が戸惑っていると、オリヴィアはぐっと身を乗り出した。
「私はお米の美味しさを広めたいんです。毎日美味しいお米を食べたいんです。──あ、パンが嫌いってわけじゃないんですけど! でも、その──」
視線を彷徨わせ、リネットが半分残しているバターケーキに目を向ける。
「──このバターケーキは、小麦粉ではなくて、お米を粉にしたものを使って作りました」
「え?」
「こういう風に、主食として食べるだけじゃなくて、色々な使い方が出来ると思うんです。それこそ、小麦粉に負けないくらい! だから…」
言葉を探す素振りを見せた後、オリヴィアは再び頭を下げた。
「お願いします! 私に、稲の栽培方法を教えてください!」
「…オリヴィア…」
私はバターケーキの皿に視線を落とした。
王都のバターケーキとは別物の、とても美味しいお菓子。
お米は煮炊きして食べるものだと思っていたから、こんな使い方があるとは知らなかった。
アンガーミュラー領で稲を栽培できるようになれば、オリヴィアはお米を使った新しい料理をどんどん開発するだろう。
ハーブ入りの紅茶もオリヴィアが調合したようだから、きっと他の料理も次々生み出すに違いない。
それは──とても楽しい未来だと思う。
けれど。
「…栽培方法を学ぶなら、うちの領に来て、実地で学んだ方が良いと思うわ。でも、住み込みになるし、貴女にはまだ早いんじゃないかしら」
オリヴィアはまだ8歳。親に甘えたい年頃だろう。
クリスティンとヴィクトリアはアンガーミュラー領の仕事があるだろうし、こっちに来てもらう事は出来ない。
大人の使用人に付いて来てもらうにしても──どうしても、まだ早いと思ってしまう。
私が告げると、オリヴィアはさらに身を乗り出した。
「覚悟の上です! ユーフェミア様のところで、学ばせてください!」
覚悟などと、子どもが口にする言葉ではないが、
(…アンガーミュラー家だものね……)
何より、クリスティンの娘だ。
突拍子が無いように見えても、本人は真剣に考えているのだろう。
私が妙に納得していると、クリスティンがそっとオリヴィアの肩を抑えた。
「オリヴィア、一旦座りなさい」
椅子の上で腰を浮かせていたオリヴィアは、しゅんとなって座り直す。
そこに、ハロルド様がやって来た。
「ユーフェミア! 久しいな」
「ハロルド様、お久しぶりにございます」
白髪が増えたが、軽い足取りと闊達とした雰囲気は昔のままだ。
立ち上がって挨拶を交わし、ケヴィンを紹介すると、ハロルド様は楽しそうにケヴィンを見遣る。
「話には聞いている。父君──ジェフリーから剣術を学んでいるのだろう? どうだ、少し身体を動かさないか?」
「え…」
戸惑うケヴィンを横目に、テオドールが勢い良く手を挙げた。
「お祖父さま、俺が手合わせしたいです!」
「そうか!」
ハロルド様が顔を輝かせた。
「ならば早速私も模造剣を──」
「いえ、お祖父さまじゃなくて、ケヴィン様と打ち合いがしたいです」
「なに!?」
「お祖父さま、手加減しすぎだし、すぐに『参った』って言うじゃないですか。俺はちゃんと鍛錬がしたいんです」
「うぐっ……」
ハロルド様が胸を押さえて後退った。
ハロルド様は凄腕の大剣使いだから、手加減が難しいのだろう。分かっているだろうに、テオドールは容赦が無かった。
「お祖父さまは判定役をしてください。──ケヴィン様、行きましょう!」
テオドールに手を差し出され、ケヴィンが困惑混じりの目で私を見る。
ここに居ても肩身が狭いだろうし、子ども同士、身体を動かすのも良いだろう。
「ケヴィン、良ければ行ってらっしゃい。ハロルド様は大剣使いだから、良い助言がいただけると思うわ」
私が言うと、ケヴィンは少しだけ目を輝かせる。
ジェフリー様曰く、ケヴィンは剣術の才能はあるが、最近は少し伸び悩んでいるそうだ。
違う視点で見てもらえれば、何か成長の手掛かりが得られるかも知れない。
「…よろしくお願いします」
「行きましょう!」
頷いたケヴィンを、テオドールが引っ張って行く。
「オリヴィア、貴女も少し身体を動かしていらっしゃい」
「え…でも」
「大丈夫。貴女の気持ちは、ちゃんとユーフェに伝わっていますよ。今すぐに結論が出せるようなお話でもありませんし、後は私たちに任せてください」
「…分かりました。よろしくお願いします、お母さま」
「リネットも今日の鍛錬がまだだろう? 行って来ると良い」
「……わかり、ました」
オリヴィアとリネットもそれぞれ両親に促され、ケヴィンとテオドールの後を追う。
「父上、子どもたちをお願いします」
「任せておけ」
クリスティンとハロルド様が、意味ありげに言葉を交わした。
大人だけで話したい事もあるだろうと、ハロルド様が気を遣ってくれたのだ。
ハロルド様が中庭に向かった後、クリスティンは私に向き直った。




