9 懐かしの故郷
王都を出発してから10日後。
私たちは、予定通り故郷へ到着した。
「着きましたね…!」
厳密には、一昨日の時点でアンガーミュラーの領内へは入っている。
しかし、領境界となる川と雪深い荒野は『故郷』と呼ぶにはいささか厳しい。
周囲をぐるりと石壁に囲まれたこの街に入って初めて、帰って来たという実感が持てるのだ。
「予定通りね」
「無事に着いて何よりだ」
ラフェットとレオンが表情を緩めた。
アンガーミュラー領で最も大きなこの街は、冒険者ギルドの支部もあり、ラフェットたちにとって馴染み深い街だ。
私にとっては、実家に戻る前の最後の休憩場所となる。
「シルバーウルフの運び屋は営業しているでしょうか?」
「大丈夫だと思うわ。ほら、あそこに看板が出てる」
馬の代わりにシルバーウルフ、馬車の代わりにそり。
それが、このアンガーミュラー領の厳寒期の運送手段だ。
シルバーウルフは本来かなりの戦闘能力を持つ魔物で、頭が良く気位が高いので、他領では使役獣として認識されていない。
彼らに仕事をしてもらうためには、彼らが従うに値する存在であると認めてもらうか、あくまで対等な立場として仕事を『お願いする』必要がある。
それができるのは、昔からシルバーウルフと付き合い続けて来たアンガーミュラーならではだ。
看板の出ている運び屋に近付くと、こちらに気付いた店主の男性がハッと表情を変えた。
「クリスお嬢様!」
途端、周囲の人々が一斉にこちらを振り返る。
「お嬢様、帰って来たんですか!」
「マジか!」
街と言っても、そんなに住民は多くない。大体は顔見知りだ。
あっという間に人だかりができてしまった。
「皆さん、ただいま帰りました」
笑顔で告げると、皆がそれ以上の笑顔で応えてくれる。
「おかえりなさい!」
「おかえり、お嬢様!」
雪がちらつく冬のアンガーミュラーは寒いが、人々の温かさは格別だ。
この雰囲気、とても懐かしい。
「お屋敷へはもう行かれましたか?」
「いえ、これからです」
運び屋の店主に答えると、彼はすぐにパンと手を打ち鳴らした。
「ほらみんな、散った散った! まずは、お嬢様には家でゆっくり休んでもらわねぇとな!」
「ずるいぞー!」
「私たちだって話したいのに!」
「ずるいんじゃない、役得って言え!」
威勢の良いやり取りに、私はふふふと笑みを零す。
「今日から私は領主館に居ますから、何か困った事があったら、いつでも訪ねて来てください。もちろん、お手紙でも屋敷の者への言伝でも構いませんよ」
私の言葉に大きく頷いた住民たちは、手を振ったり、こちらに一礼したりしてから解散して行った。
様子を見守っていたラフェットが笑う。
「相変わらず大人気ね、クリス『お嬢様』」
「ええ、ありがたいことです」
歴代の領主が優秀だったからか、領主一族を慕ってくれている住民は多い。
雪深く厳しい環境の中、協力し合って生活しなければならないからというのも大きいだろう。
「クリスお嬢様、すぐにお屋敷へ行かれますか?」
運び屋の店主に訊かれ、私は首を横に振った。
「いえ、先に冒険者ギルドで依頼完了手続きをしなければいけません。すぐに戻りますから、先に準備だけお願いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。お任せください」
店主が右の拳で胸を叩き、自信満々に請け負ってくれる。
よろしくお願いしますね、と頷き、私はラフェットとレオンと共に冒険者ギルドへ向かった。
大通りに面した石造りの建物は、この街でも1、2を争う大きさだ。
アンガーミュラー領は特異な土地で、魔物の生息数が国内でも飛び抜けて多い。
その魔物が魔石を落とす確率も高いため、多くの冒険者たちが集まって来る。
代わりと言っては何だが、アンガーミュラーの領主は私兵団を持てない。王家と交わした約定のためだ。
もっとも、腕の立つ冒険者たちと懇意になった結果、他領の一般的な規模の私兵団など片手間に蹴散らせるくらいの戦力が領内に常駐するようになってしまったのだが。
(良いのか悪いのか…)
その冒険者たちを相手にするこの街の冒険者ギルドも、規模が大きく職員の数が多い。
扉を開けると、横に長い受付カウンターの向こうを複数の職員が書類を手に行き交っていた。
「すみません、依頼の完了手続きをお願いします」
ラフェットが受付の一つで話し掛けると、すぐに担当者が手続きに入ってくれる。
「承知しました。依頼内容は王都からの護衛、依頼人は──…あら?」
担当者はラフェットから受け取った書類に視線を落とした後、首を傾げながら顔を上げ、私に目を留める。
「クリスティン様!?」
「お久しぶりです、ケイト」
担当者は私の顔見知りだった。
一礼して微笑み掛けると、目を見開いていたケイトは嬉しそうに破顔する。
「おかえりなさいませ、クリスティン様!」
「ただいま帰りました」
このやり取りが、何だかとても嬉しい。
おおよそ4年半ぶりに会うケイトは、何と言うか落ち着きが増している。
書類一つに手こずっていた新人時代を思うと、その成長ぶりは目覚ましいものだ。
「クリスティン様、何かおかしな感慨にふけっていませんか?」
「いえ、ケイトの新人時代を思い出して、ちょっと…」
「そこは思い出さないでください!」
ケイトが真っ赤になった。
その反応は昔のままだが、こちらに突っ込みながらも依頼完了の書類手続きを進めるあたり、本当にベテランになったのだなと思う。
「──はい、これで手続きは完了です」
程無くケイトが宣言し、ラフェットが報酬を受け取る。
これで、ラフェットたちによる私の護衛仕事は終了である。
「ラフェット、レオン。今回は本当にありがとうございました」
《急だったのに引き受けてくれて、ありがと。助かったわ》
バックパックから身を乗り出し、シルクも言葉を添える。
ラフェットとレオンは笑って頷いた。
「こっちこそ、移動費用が浮いて助かったわ」
「機会があったら、またよろしく頼む」
「ええ、是非」
和やかに会話していると、あの、とケイトが声を上げた。
「ラフェットさん、レオンさん、ハロルド様からの伝言は受け取っておられますか?」
「ああ、王都のギルドで受け取りましたよ」
ラフェットが、私の父のメモ書きをケイトに見せる。
王都にある冒険者ギルドの支部で渡されたのだから、当然、発信元はアンガーミュラー領のギルド支部、つまりここだ。
ケイトはホッと表情を緩めた。
「良かった。今年はいつもより大規模になるかも知れないとの事ですので、お二人に参加していただけると大変助かります」
「ええ、もちろん」
「いつでも声を掛けてくれ」
ラフェットたちはすんなりと頷く。何の事なのか言わずとも分かるのは経験者ならではだ。
…しかし、そんな予測が立っているとは。私には何も知らされていないが。
「ケイト、今年はそのような状況なのですか?」
「あ…」
途端、ケイトがしまったという顔をした。私には内緒の話だったらしい。
多分、王宮勤めの私に気を遣い、父が口止めしていたのだろう。
しかし私はもう王宮を辞めたので、故郷の事を最優先できる。
「そんな顔をしなくて大丈夫ですよ。詳しくは父に聞きますね。これからは、私も参加できますから」
「…ありがとうございます」
ケイトが苦笑し、頭を下げた。
「どうか、よろしくお願いします」




