おまけ⑭【ミラベル視点】さよなら、初恋
ミラベル視点、アフターストーリー終盤(81話後半くらい)、親子の会話です。
迎えに来てくれたお父さまに大人しく付き従い、私は冒険者ギルドを出た。
馬車に乗ると、お父さまは私の対面に座り、深く溜息をつく。
「…」
走り出す馬車の中、私は思わず首を竦めた。
──こういう顔をする時、お父さまは必ず私を叱責する。
いつもなら反論も反発もするけれど、今回ばかりは何を言われても仕方ない。
…まさか叔父様が、私をいいように使おうとするなんて。
たまにしか会う機会が無かったけれど、会えばいつも笑顔で楽しい話をしてくれる叔父様が、私は大好きだった。
でも──だからこそ、言葉の裏付けを取らなければならなかったのだろう。
貴族たるもの、常に相手の言葉の裏を読むべし。
お父さまや教師が何度も口にしていたその教訓の意味を、今日、私は身をもって知った。
「──ミラベル」
お父さまが、厳しい目でこちらを見る。
私は即座に頭を下げた。
「お父さま、この度は、大変申し訳ございません。…私が迂闊な行動をしたせいで、ヴィクトリア様にもクリスティン様にも、お父さまにも大変なご迷惑を…」
「…いや」
お父さまは少し戸惑ったような顔をした後、首を横に振った。
「今回の責任は、私にもある。──ハミルトンが何をしでかして我が家に戻って来たのか、お前にもきちんと説明すべきだった」
「え…?」
意外過ぎる言葉に、私は目を見開く。
すまなかった、と頭を下げられ、私は今度こそ混乱した。
「お、お父さま、私になど謝らないでくださいませ!」
どうしてお父さまが謝るのか。
今回の騒動は、私が考え無しに行動したから起きた。お父さまが私に謝罪する必要など無いはずだ。
私はそう思っているのに、お父さまは厳しい表情のまま、首を横に振る。
「いいや。──お前ももう、自分で考えて物事を決める年齢だ。子どもの頃のように、頭ごなしに禁止するだけではいけなかったのだ」
お父さまは市長としては見事な交渉手腕を発揮するけれど、家ではあまり口数が多くない。
必要最低限の事を端的な言葉で伝えるだけの事が多くて、子どもの頃は「○○するな」「○○しろ」といった指示ばかりだった気がする。
そんなお父さまが『頭ごなしに禁止するだけではいけなかった』なんて…。
あまりにも意外過ぎて、思考が遠くへ行ってしまう。
──いけない。
「──お父さま」
私は表情を改め、お父さまに向き直る。
「そう思われるのでしたら、私に、お父さまから──我が家から見たこの国の情勢を教えてくださいませ。何に注意を払えば良いのか、何を大事にすべきなのか、判断材料が欲しいのです」
国の歴史や地理、各地を治める貴族家の事は家庭教師からも教わっているが、『我が家にとって何が大事なのか』は、きっとお父さまから習うのが一番良い。
私が頭を下げると、お父さまは数秒固まった後、ゆっくりと口の端を上げた。
「…ああ、教えよう。厳しくなるかも知れないが、良いな?」
「はい、もちろんです」
私は今、17歳。本当なら家の仕事に関わっていてもおかしくない年齢だ。
学ぶのが遅すぎるかも知れないけれど──その分、一つ一つ確実に学べるように、努力すれば良い。
私が内心で決意していると、お父さまはフッと表情を緩めた。
「──ところで、ミラベル」
「はい」
その目が、驚くほど優しい。
「──騒動を起こした事はともかく…その後のあの2人への態度は見事だった。よく我慢したな」
ヴィクトリアの事が、好きだったのだろう?
指摘されて、時が止まった。
「あ……」
──私は、ヴィクトリア様の事が本当に好きだった。
初めて出会ったのは、私がまだ子どもの頃。
叔父様に連れられて我が家にやって来たヴィクトリア様は、子どもの私に対して跪き、目線を合わせて笑顔で挨拶してくれた。
その笑顔がとても素敵だったのを覚えている。
多分、一目惚れだったのだろう。
それ以降、お父さまにお願いしてヴィクトリア様に家庭教師をしてもらい、職場見学と称して色々な店に連れて行ってもらったり、ヴィクトリア様の実体験を交えた各地の特徴を教えてもらったりした。
期間限定ではあったけれど、ヴィクトリア様と会えるのが嬉しくて、勉強嫌いだったはずの私は家庭教師の日だけは喜んで机に向かっていた。
──そのヴィクトリア様が、王都については表面的な事だけしか教えてくれなかったのに、アンガーミュラー領についてはとても楽しそうに教えてくれた理由が、今日、とてもよく分かった。
「…ご存知だったのですね」
「お前の父親だ。当然だろう」
ぽつりと呟くと、お父さまは鷹揚に頷いた。
それがとても嬉しくて──けれど、悲しくて。
「──仕方ないじゃありませんか」
無理に笑顔を作ったら、急に目が熱くなった。
「あんな表情を見せられたら、誰だって納得してしまいます」
クリスティン様に求婚されて、泣きそうな顔で笑ったヴィクトリア様。
ヴィクトリア様に了承の返事を貰って、安心したように微笑んだクリスティン様。
舞台演劇の一幕か絵画のような美しい光景に私はとても感動し──私の入る余地など無いのだと理解してしまった。
クリスティン様とヴィクトリア様が、どういった経緯で惹かれ合ったのかは分からない。
けれど、笑い合う姿はずっと前からそうしていたように自然で。
初恋が実らないのは悲しいけれど、この2人を困らせるような真似だけはしたくないと、その時強く思った。
──だから咄嗟に笑顔を作って、『2人のことを全力でバックアップする』と宣言したのだ。
…その宣言も、結局見当違いだったけれど。
「…好きだったんです」
ぽたり。膝の上で握り締めた手に、涙が落ちた。
俯いて絞り出すように呟く私の肩に、お父さまがそっと手を置く。
その手のひらの温かさを感じて、また涙が溢れた。
「好きだから──好きな人の、幸せを、祝福したかったんです。だから…」
「…そうか」
のどがひりついて、声が掠れる。
途切れ途切れになる私の言葉を、お父さまはゆっくりと相槌を打って聞いてくれた。
こんなに長くお父さまと向かい合って話をするのは、いつ以来だろう。
失恋の悲しみと、お父さまの愛情を感じられる嬉しさと、色々な感情がない交ぜになって、涙が止まらない。
その間、肩に置かれたお父さまの手が離れる事は無かった。
「…お父さま」
暫くして、ようやく涙が落ち着いた私はゆっくりと顔を上げた。
「何だ、ミラベル」
「──私宛に来ていたお見合いのお話、今後は前向きに検討させてくださいませ」
私も年頃の貴族令嬢だ。そういう話はそれなりにあった。
今までは、何かと理由を付けて断っていたけれど──きちんと向き合う時が来た。そう思う。
驚いた顔をするお父さまに、私は微笑んだ。
「お父さまのお眼鏡に適ったお相手なら、私も真剣に向き合いますわ」
「…そうか」
お父さまは真面目な顔で頷いた。
──さようなら、私の初恋。
クリスティン様の隣で生きるヴィクトリア様の未来に、どうか、どうか、たくさんの幸せがありますように。




