83 エピローグ じゃあ、また後で
2023/10/9追記:82話の改訂に合わせて、ちょっと修正しました。
長いようで短かった、メランジでの日々が終わった。
荷物を圧縮バッグもどきに押し込み、今日、私はアンガーミュラー領へ向けて出発する。
「晴れましたね…」
北門で荷物を置き、空を見上げる。
メランジの街はまだ暑いが、8月末のこの時期、アンガーミュラー領では既に気温が下がり始めているはずだ。
《早く帰りたいわ》
暑さに参っていたシルクが、ややうんざりした口調で呟く。
私も苦笑して応じた。
「そうですね」
私自身は、この街の事が結構好きだ。
肌を焼く日差しの強さも、熱を孕んで吹く風も、アンガーミュラー領では経験したことが無い。
それを好きになったのは、多分──
「クリス!」
大通りから小走りに近付いて来たヴィクトリアが、大きく手を振った。
見送り客たちの視線がそちらに集中する。
正直、ヴィクトリアはとても目立つ。整った容姿にフリルブラウスとロングパンツ、それでいて体格は大柄。立ち居振る舞いはよく見ると上品で、目を惹かれるのだ。
「ヴィクトリア、今日は仕事では」
「アランに任せて来たわ。見送りくらいさせて頂戴」
太陽の下で笑うヴィクトリアは、とても輝いて見える。
「乗合馬車で帰るのよね?」
「はい。市長の申し出はお断りしたので」
「貰ってやっても良かったんじゃない? 最新式の装甲馬車よ?」
「そんな重装備の馬車要りませんよ」
先日、ミラベル救出のお礼と称して、市長から馬車の譲渡の申し入れがあった。
多分お礼と言いつつも、謝罪の意味合いが大きかったのだろう。
乗合馬車に匹敵する大きさと、戦槌でも壊れない頑強な客室。見た目は質実剛健だが、内装は貴族に相応しい調度で統一されていた。
そんな最新式の馬車、しかも馬と御者付き。
貰ってくれと言われても大変困る。
「じゃあアタシが借りても良い?」
「ヴィクトリアが?」
「実はアタシにも打診があったのよ。結婚祝いだって言われて」
貰っても正直持て余すけど、アタシがメランジとアンガーミュラー領を行き来するのには丁度良いのよね。
言われて、私は頷いた。
「そうですね。貰うのではなく、ヴィクトリアがメランジに居る間、借りるのは良い手だと思います」
「ありがと。じゃあ、市長にはアタシから言っておくわ」
「お願いします」
話をしていると、ヴィクトリアの胸元に光るペンダントに目が行った。
ペンダントトップは、青みを帯びた銀色に輝くミスリル銀製。
水や風を思わせる装飾の中に、純白の翡翠が嵌め込まれている。
実は同じデザインの物が、私の首にもかかっている。
ただし、私の方は純白ではなく、薄紫色の翡翠だ。
2つのペンダントトップは、火精霊のロゼからのプレゼント。
──《助けてくれてありがと。それから、ちょっと早いけど、結婚おめでとう》
昨日わざわざギルドまで出向いて手渡してくれたロゼは、そう言って照れくさそうに笑った。
タッカーに頼み込んで、ミスリル銀の台座の加工からロゼが一人でやったそうだ。
タッカーの武具工房の一番弟子、ロゼの初作品。大事にしようと思う。
「そういえば、ギルドのみなさんは大丈夫ですか? 二日酔いとか」
私が話を振ると、ヴィクトリアは苦笑した。
「まあ、やらかした奴はそれなりに居るわね。薬だけ渡して仕事に戻らせたけど」
昨夜は私の送別会という名目で、ギルドの有志が集まって飲み会を開催してくれた。
若い職員数人、酒盛り好きに飲み比べを挑まれたので、とりあえず片っ端から酔い潰したのだが…出勤しているようで何よりである。
なお『潰れるまで飲まないって嫁と約束したから』と飲み比べに参加しなかったロベルトは、私たちの勝負を見てドン引きしていた。
これ以降、飲み比べという不毛な行事が減る事を祈る。
「そうそう。オルニトミムスの卵、昨夜孵ったらしいわ。アタシたちが取り戻した卵からもね」
「それは何よりです」
一昨日の昼間見に行った時には、卵の内側から音がしていたものの、まだ殻が割れてはいなかった。
スピネルとロクイチと、若いオルニトミムスたちが落ち着き無く周囲を歩き回っていて、オーサンが『落ち着け』と苦笑していたのが印象的だった。
オルニトミムスは群れで子育てをするのだという。無事に育ってくれるのを祈るばかりだ。
「──乗合馬車をご利用のみなさまは、ご乗車ください! あと5分ほどで出発いたします!」
乗合馬車の御者が声を上げ、乗客が移動を始めた。
王都へ向かう馬車だ。荷物が多い客が多く、全員乗り込むまでには時間が掛かる。
「それじゃあ、また近いうちに」
私が話を切り上げて乗合馬車に向かおうとすると、ヴィクトリアが声を上げた。
「クリス、ちょっと待って」
「?」
振り向くと、ヴィクトリアはちょっと背をかがめ──私の額にキスをした。
「あ」
遠くで若い女性の『キャア!』という声が聞こえる。見送り客に見られたらしい。
私が顔を上げると、至近距離でヴィクトリアが笑った。
「道中のおまじない」
旅に出る者の額にキスをして、道中の安全を願う文化は確かにある。
ただしそれは、女性が、男性に対して行うものだ。
「──絶対冬になるまでに挨拶に行くから。待ってて頂戴」
耳元で落とされた囁きに、恥ずかしさより嬉しさが勝った。
ヴィクトリアの右手を取り、一瞬跪いてその手にキスをする。
「!」
『キャアアア!』
今度こそはっきりと、黄色い悲鳴が聞こえた。
驚きに固まるヴィクトリアに、軽く背伸びをして耳元で囁く。
「ええ、待っていますよ。ヴィクトリア」
「……こ、この子は…!」
ヴィクトリアが耳まで赤くなった。
跪いてキスをするのは、騎士が主に忠誠を誓う時や貴族の男性が意中の女性に告白する時など、改まった場で使われる事が多い動作だ。
なお、基本的に男性が女性に対して行う所作である。
──『女性』であるヴィクトリアと、女性ではあるが『規格外』と言われる私。
その関係は、男女の枠に囚われない、自由なものであって良い。
「それではヴィクトリア、アンガーミュラー領でお待ちしています」
真っ赤になって固まっているヴィクトリアに、私は笑顔で告げる。
これが別れではない。むしろこれからだ。
「…っさっさとアラン鍛え上げるわ! 待ってなさい、クリス!」
恋人というよりはライバルに向けるような気合いが入った声だった。
湿っぽい空気は似合わない。
私はちょっと安心してヴィクトリアに手を振り、乗合馬車へと向かった。
「…マダム・シルク。あの子の事、よろしくお願いね」
《ええ、任せて頂戴。──あなたはクリスの父親を一発で納得させる台詞でも考えておくことね》
「……さらっと難し過ぎる課題出さないで頂戴」
そして私は、アンガーミュラー領へと出発する。
これから先、きっと色々な事があるだろう。
常識外れだと批判されるかもしれない。
貴族らしくないと言われるかもしれない。
一般的では無いと、眉を顰められるかもしれない。
でも──言いたい奴には言わせておけば良い。
私は、ヴィクトリアと共に歩むこの人生を、手放す気は無い。
心の底から幸せを願っていた人と、隣り合って笑い合う事ができるのだから。
──という訳で、アフターストーリー、これにて終幕となります。
ここまでお付き合いくださったみなさま、本当にありがとうございます。
…いやもうホント、これを掲載して良いのかと、書き始めた当初はかなり悩んだんですが。
折角書いたし、この後にどうしても書きたい場面もあるし、載せてしまえ! …と賛否両論あるのを承知で載せました。
ノミの心臓の持ち主が何やってるんですかね。楽しかったので仕方ないですね。
ここまで読んでくださったみなさま、評価してくださったみなさま、いいね!してくださったみなさま、本当にありがとうございました。
書き切れなかったシーンやネタもあるので、後々ポロッと書くこともあるかも知れません。
その時は生温かく見守っていただけますと幸いです。
↓これ以降この作品に関する小ネタ。つまり蛇足です。
元々この作品は、先行していた拙作『丸耳エルフとねこドラゴン』の登場人物、チョイ役なのに何故かキャラが濃い『ヴィクトリア』の背景を掘り下げる目的で設定を作り始めました。
ついでに現実での作者の思いの丈とか、禿げろアホ上司!とか、まあそんな思いを詰め込んだ結果、誕生したのが主人公、クリスティン・アンガーミュラーです。
当初は『ヴィクトリアの背景を掘り下げる』と言いつつ、それを開示する予定も無かったので、本編でヴィクトリアを登場させるつもりは無かったんですが…何故か気が付いたら本編エピローグで全部かっさらって行った上、アフターストーリーに出張る事態に。
…クリスティンの行動原理が、『ヴィクトリアが好きに生きられるように全力バックアップする』だから仕方ないですね。
何だったら彼女、王宮に行った理由も『ヴィクトリアが実家に連れ戻されないように、王宮の仕事効率を上げるため』ですからね。
…動かしやすいキャラって、時々暴走するんですよね…。




