82 ご報告
2023/10/9追記:最後の方をちょっと修正しました。
3日後、ギルド長のロベルトが、ギルドでの宴会をやめる代わりに導入する新しい制度を発表した。
結局私たちが提案した内容がほぼそのまま採用され、職員たちの喜びようはすごかった。
よほど迷惑していたらしい。
ロベルトは『そんなに嫌だったのか…』と少々落ち込んでいたが、早速この制度使って飲みに行きましょう!と若手職員たちに誘われ、翌日には持ち直していた。
で。
「ロベルト、アタシ近々ギルド辞めるから。よろしくね」
「…はあ!?」
ギルド長室でものすごい笑顔のヴィクトリアに告げられ、ロベルトは椅子を蹴立てて立ち上がった。
「おまっ…、今何て」
「アタシ、近々辞めるから」
「辞めるだあ!? 何でだよ!」
「結婚するから」
「誰と!?」
「クリスと」
「はあ!?」
一々リアクションが面白い。
見開いた目をこちらに向けたロベルトに、私は真顔で頷いた。
「その通りです」
「………お前何でそう冷静なんだよ…」
「ギルド長の反応が概ね予想通りなので」
「……」
スン、とギルド長の顔が平静に戻った。
早い。
「あら、もう終わりですか?」
「…疲れるからな」
「それは残念」
「……お前、真面目そうな顔して中身は結構アレだよな」
「ご理解いただけたようで何よりです」
「否定しろよ、そこは」
否定も何も、事実なので仕方無い。
「まあそれはそれとして。ヴィクトリアは『近々』とか言っていますが、少なくとも今後1年くらいは辞めないと思うのでご安心ください」
「何だ、そうなのか」
「アタシはもっと早く辞めたいんだけど」
ロベルトはホッと息をつくが、ヴィクトリアは渋面だ。
私は肩を竦めた。
「昨日もお話ししたでしょう? 私の家は逃げませんので、きちんと後進を育ててから来てください」
「3ヶ月くらいで良いじゃない。後は野となれ山となれよ」
「いや、治癒室は野になっても山になっても困るからな?」
ロベルトが突っ込みを入れるが、ヴィクトリアは頑固に首を横に振る。
早くアンガーミュラー領に来たいという気持ちが透けて見えて、嬉しいような困るような。
「アタシが配属された時は、引継ぎ10日も無かったわよ? それでも何とかなったんだから大丈夫よ」
「…ヴィクトリア、それ、ものすごく苦労したんじゃないですか?」
「う」
思わず突っ込みを入れたら、ヴィクトリアが言葉に詰まった。
「自分の後任に、自分と同じ苦労を経験させる必要はありませんよ。まして相手はアランさんじゃないですか。…こう言ってはなんですが…ヴィクトリア、アランさんがあなたの若い頃と同じように動けると思いますか?」
「……」
ヴィクトリアはそっと視線を明後日の方に向け、数秒後にがっくりと肩を落とした。
多分、自分の若い頃の性格とアランの性格を比べていたのだろう。
「………無理ね。うん。無理だわ」
アランは真面目で理解力も高いが、押しに弱く自分に自信が無いのが見え見えだ。
判断力の求められる治癒室の仕事では、まだ戸惑っている事も多い。
自分の見立てが正しいのか間違っているのか、自信が持てなくてヴィクトリアに助言を求める事が多々ある。
まして、治癒室は担ぎ込まれて来る患者の怪我や病気が多種多様だ。
季節によって特異的に頻発する症状もある。
少なくとも1年は、助言できる人間が傍について教えた方が良い。
「なら、ヴィクトリアは向こう1年はここに居るんだな」
「そうなると思います」
「──でも、冬までに一度ご挨拶に行きたいから、秋に1ヶ月くらい休むからね! そこだけは譲れないから!」
ヴィクトリアが拳を握った。
ロベルトが首を傾げる。
「1ヶ月休む? そんなに遠いのか?」
「私の家は、西の最果てのアンガーミュラー領ですので」
乗合馬車で王都を経由して、片道14日くらい掛かります。
説明すると、ロベルトは目を見開いた。
「本当に遠いな。──そういや、こいつこんなんだが、クリスティンの両親はそういう事情も知ってるのか?」
「こんなんとは失礼ね」
ヴィクトリアが文句を言う横で、私は頷く。
「はい。…と言いますか、ヴィクトリアが『こんな風』になったのは、うちの家族一同が切っ掛けを作ったからなので…」
「そ、そうか…それなら良いが」
詳細は聞かず、ロベルトが頷く。
純粋にヴィクトリアの事を心配しての言葉だったのだろう。ちょっと安心したように表情を緩めた。
「…しっかし、ヴィクトリアが結婚なぁ…しかもクリスティンと。仕事を辞めるって事は、クリスティンの家に入るって事だろ?」
「そうなるわね。この子跡取りだから」
「跡取りに婿入り──いや『嫁入り』か? この場合」
「…どっちかしら……」
今度は2人で首を傾げ始める。
その仕草が妙に息ぴったりで、私は笑いを堪えた。
「まあどちらでも良いじゃないですか。それを気にし始めると、『夫』なのか『妻』なのかって話に発展してしまいますよ」
「あ」
「私的には、ヴィクトリアは『生涯のパートナー』ですが」
一緒に人生を歩んで行く人。
夫でも妻でもない。
強いて言えば、その両方を併せ持った相手──だろうか。
「ヤだもう、惚れ直しちゃう」
「存分に惚れ直してください」
自分の頬に両手を当てるヴィクトリアに、涼しい笑顔で告げる。
ロベルトが溜息をついた。
「あー…お前ら、そのゲロ甘な空気、職場で撒き散らすなよ」
ゲロ甘とはどういう事だろうか。解せぬ。
「ふっふーん。僻みね、僻み」
何故かヴィクトリアが勝ち誇るように胸を張った。
「僻み? ギルド長は既婚者では?」
ロベルトは、右足にアンクレットを身に着けている。
確か、ロベルトの種族──魔人は、婚姻の際にアンクレットを贈り合う文化があるはずだ。
私が指摘すると、ロベルトは何故か痛いところを突かれた表情になった。
「…まあな。嫁は居るけどな」
「毎日帰りが遅い上に結構な頻度でべろんべろんに酔っ払って帰って来て余計な文句垂れるせいで、奥さんに愛想尽かされて絶賛別居中なのよね。2ヶ月前から」
「言うな!」
ヴィクトリアが肩を竦めると、ロベルトが涙目になった。
「折角ものすごーく頑張って口説き落とした奥さんなのにねぇ。さっさと謝りに行けば良いのに」
「うっ…。あ、謝っても『信じられない』って一蹴されたんだよ!」
夫婦喧嘩あるあるか。
確かに、根拠が無いと信じられるものではない。
が。
「…今だったら説明できるんじゃないですか? 『ギルドの慣習を変えたから、これからはもっと早く帰れるし、家族も大事にする』って」
「………はっ!?」
翌日出勤したら、ロベルトに力一杯両手を握られ、無言で頭を下げられた。
とりあえず様子見という事で、奥さんは帰って来てくれたらしい。
…油断してまた怒られない事を祈る。




