81 騒動の補償と告白の経緯
あまりにも散々な叔父の実態に、ミラベルが口をぽかんと開ける。
「…な…」
暫くして彼女の口から洩れたのは、怒りの呻き声だった。
「何てことを…いくら叔父様でも許せませんわ…!」
そのまま殴りに行きそうな勢いだったが、ミラベルは深呼吸し、こちらへと向き直る。
「──ヴィクトリア様、クリスティン様。勝手に早合点して大変なご迷惑をお掛け致しました。重ねて謝罪いたします」
きちんと姿勢を正して頭を下げ、
「お父さま、口車に乗ってしまった私の言える事ではありませんが、叔父様には──」
「ああ。二度とこのような事が出来ないよう、私が責任を持って対処しよう」
市長はしっかりと頷き、私たちに向かって再度頭を下げた。
「ハミルトンには、私が相応の罰を与える。賠償金も言い値で払う。それ以外で要望があれば出来るだけ沿うよう対応する。大変申し訳ないが、それで手打ちとさせてもらえないだろうか」
ヴィクトリアが慌てた様子で口を開く。
「賠償金なんて要らないわよ。結局未遂だったし。…ハミルトンが二度とこんな事考えないようにきちんと躾けてもらえれば」
「私も同意見です。それに、この件や家に対する処罰とは別に、王宮の事件の刑罰もあるでしょう?」
「しかし…」
それではこちらの気が済まない、と市長が渋面を作る。
だが横領に関わった者には、横領した金の返還はもちろんの事、罰金刑と禁固刑が言い渡されるはずだ。
ハミルトンは、現時点で既に貴族社会から追放されている。
今ボウエン伯爵邸に居るのは、市長の温情だったのだろう。今後その温情は無くなると見て良い。
禁固刑に服した後の行き場が、完全に無くなるわけだ。
坊ちゃん育ちの次男坊には、十分な処罰になる。
「ではこうしましょう。──今後また同じような事を企てたら、その時は我が家が──アンガーミュラーの一族が全力で叩き潰します。自称『第1王子派』の方々にそう伝えるよう、ハミルトン氏に命じていただけますか?」
賠償金云々より、王都に未だ存在するらしい『第1王子派』の貴族連中が大人しくなる方が有難い。
もっとも、ヴィクトリアはもう身内だ。
また何かあったら、今度は私が矢面に立てる。
──それが心底嬉しいので、むしろミラベルには感謝しているというのは秘密だ。
「それは…ヴィクトリアが『ヴィクトル殿下』である事を、敢えて知らせるという事か?」
「いいえ。あくまで、『ヴィクトル殿下を旗頭とするクーデター、もしくはそれに類する企ては、全てアンガーミュラー家が叩き潰す』と警告するだけです。…まあそのような事を言えば、察する方々も出て来るでしょうが──」
ちらりとヴィクトリアを見遣る。
「ヴィクトリアは、ヴィクトリアですから。クーデターの旗頭になって国を救った上で彼らの言いなりになってくれる便利な『ヴィクトル殿下』は、彼らの心の中にしか存在しません」
「クリス…」
私が言い切ると、ヴィクトリアが嬉しそうに微笑んだ。
市長も表情を緩め、しっかりと頷く。
「承知した。その件、必ずハミルトンに遂行させよう」
ボウエン親子が帰った後。
応接室の扉を閉め、ヴィクトリアが呆れたように肩を竦めた。
「──それにしても、まさかミラベルが『結婚して王都に凱旋しましょう!』とか言い出すなんてね」
「彼女はヴィクトリアに懐いていたでしょう? ハミルトンに都合の良い情報を吹き込まれたら、むしろ当然なのではありませんか?」
「アタシの中では、どっちかって言うと妹って感覚だったのよ…歳も離れ過ぎてるし」
聞けば、ミラベルは17歳だという。
一回り以上年齢が違えば、恋愛対象として見ないのは当然か。
…それ以前にヴィクトリアは『女性』なので、女性を異性として好きになるとはちょっと考え難い。
そう思い至り、とても不思議な気分になる。
──どうしてヴィクトリアは、私の隣に立つことを選んでくれたのか。
「ヴィクトリア。…どうして私の求婚を受け入れてくれたのですか?」
見上げると、ヴィクトリアはうぐ、と変な声を上げた。
「…いきなり直球で来るわね…。と言うかそもそも、『お相手は自分じゃダメか』って言い出したのはアタシの方じゃないの」
つまりそういう事よ、と言われて…悪戯心が湧いた。
…視線逸らしてるし、耳が赤いし、これは照れてるな…。
「そういう事、とは?」
にやけるのを我慢してきょとんと首を傾げると、ヴィクトリアはちらりとこちらを見遣り──その顔が徐々に赤くなって行く。
「──…っああもう! 惚れてたのよ! ずっと前から! それこそ、アンガーミュラー領に居た頃からね!」
応接室に防音機能があって良かった。
こんなやり取り、他の人には見せられない。
「そうなのですか。でも多分、好きになったのは私の方が先ですね」
「………え?」
ヴィクトリアが赤い顔のまま動きを止める。
徐々に自分の頬も熱くなるのを自覚しながら、私は笑った。
「私の初恋は、『ヴィクトル』様ですから。まさか初恋が成就するとは思いませんでしたが」
「………」
ヴィクトリアがぽかんと口を開け──肩を震わせて徐々に俯いたと思ったら、頭を抱えて天を仰いだ。
「……ああもう…惚れちゃうでしょー!」
「もう惚れているのでは?」
「突っ込まないで!!」
折角良い場面なのよ!と、もっともな事を言われる。
だが。
「私とヴィクトリアの関係性って、大体こんな感じだったと思うのですが」
「………そうね。そうだったわ……」
ヴィクトリアが一瞬固まった後、溜息をついて肩を落とした。
子どもの頃から知っているからこそ、そう簡単には変われない。
これから変わって行く、変わって行かなければならない部分もあるのだろうが、変わらなくて良い部分もきっとある。
赤くなった顔を見合わせ、私たちは同時に笑い出した。
「──もう。良い雰囲気が台無しだわ」
笑み崩れながら、ヴィクトリアが言う。
私は肩を竦めて応じた。
「これくらいで丁度良いのではありませんか? ヴィクトリアと私ですから」
「それもそうね」
頷いて、ところで、と続ける。
「ここに来るのがやたら良いタイミングだった気がするんだけど、クリスもやっぱりペリドットから聞いたの? アタシがミラベルに迫られてるって」
今度は私が言葉に詰まる番だった。
「そう、ですね。治癒室に出勤してもヴィクトリアの姿が無かったので不思議に思っていたら、ペリドットが知らせてくれました」
知らせてくれたと言うか、妄想ダダ洩れのミラベルの『将来設計』演説を直接耳に届けてくれたのだ。
風精霊の特殊能力、無駄遣いもいいところである。
それ以前に、
「…実は昨夜、シルクに怒られまして」
「シルクに怒られた?」
「はい。『折角ヴィクトリアが一歩踏み出して来たんだから、勝手に自己完結して諦めてないでさっさと特攻して撃墜して来なさい』と」
「何で表現がそんな攻撃的なのよ…。──って言うかクリス、シルクに報告したの? 昨夜のやつ」
「いえ……見られてました……」
「見っ……」
ヴィクトリアが絶句する。
その顔が見る見るうちに紅潮して行くのを見て、私の顔もまた熱くなってきた。
──シルクに怒られた後、それでも覚悟を決め切れないまま朝を迎え、悶々としながら出勤したらペリドットにミラベルの演説を聞かされた。
その瞬間、躊躇いも妙な後ろめたさも全部吹っ飛んだ。
誰かがヴィクトリアの望まない未来を強要するなら、ヴィクトリアが伸ばしてくれた手を、私が掴もう。
そう決意して──掴んだ手は、私が思っていたよりずっと温かかった。