80 市長と娘と風精霊
「──大変申し訳ない」
私たちから事の顛末を聞いた市長──バートランド・ボウエン伯爵は、ソファから立ち上がって深々と頭を下げた。
「お、お父さま!?」
仮にもこの街のトップ、しかも貴族家の当主が、何の躊躇いも無く頭を下げる。
その光景に、ミラベルが目を見開いた。
「ミラベル、お前も謝罪しなさい。お前はヴィクトリアに大変な迷惑を掛けるところだったのだ」
「あっ…」
ミラベルがサッと青ざめる。
「た、大変申し訳ありませんでした!」
思い込みで突っ走るところはあるが、本来頭の回転の速いご令嬢ではあるのだろう。
揃って頭を下げるボウエン親子に、私の隣に座るヴィクトリアが苦笑した。
「謝罪は受け入れるわ──2人とも、頭を上げて座って頂戴」
紅茶を飲み、一息つく。
「──それにしても市長、よくギルドに来る時間があったわね」
「…娘が『ヴィクトル殿下』に求婚していると聞いたものでな。流石に、仕事を放り出して来た」
「え?」
ヴィクトリアが首を傾げる。
「聞いたって…この部屋、防音よ? 誰が貴方に伝えたの?」
「風精霊だ」
「ふ、風精霊?」
バートランドはティーカップを置き、首を傾げた。
「ヴィクトリアに近しい者のようだったが──知らぬのか?」
「…申し訳ありません、その風精霊は私の知り合いです」
私は小さく手を挙げた。
窓も開いていない部屋に、微風が吹く。
「──ペリドット、そこに居ますね?」
《おうともさ!》
その風が強くなり、空中に少年の姿の風精霊が現れた。
宙に浮いたまま胡坐をかいたペリドットは、得意気な顔で胸を張る。
《大活躍だっただろー? 流石俺》
「風精霊のペリドットです。私がこの街に来る際に面白そうだからとついて来ました」
「そ、そうか…」
《無視するなよ!》
ボウエン親子に紹介していたら、ペリドットが怒り出した。
《ちゃんとお前たちの事、護衛してやってたんだからなー! 誘拐事件の時だって、見守っててやったんだぞ!》
「ええ、ありがとうございます」
平坦な声で告げる。
「ついでに、南の街を随分満喫されていたようですね。カフェのパンケーキの失敗作をつむじ風で巻き上げて試食するとか」
《な、何でそれを!?》
「シルクが見ていたのですよ」
私の勤務中、シルクが街に出ていたのは、この風精霊を見張るためでもあった。
王宮の大規模汚職事件後にアンネローゼとの契約も解除され、本当の意味で自由になったペリドットは、どういうわけかアンガーミュラー領に居ついた。
アンガーミュラー家のお屋敷で気の弱いメイドをからかって遊んだり、厨房でパイをつまみ食いしたりと好き勝手に振る舞っていたので、この街でも住民に迷惑を掛けかねないとシルクが警戒していたのだ。
…ちなみにからかわれたメイドは他のメイドに庇われ、職場に馴染めるようになったし、つまみ食いで減ったパイの代わりに山盛りの木イチゴを提供してくれたので、ペリドットなりに気を遣ってはいるらしい。
《シルクって……だから俺が行く先にやたらケットシーが居たのか!?》
ペリドットが愕然と叫んだ。
…もしかして、この街でもシルクはケットシーたちに『姐さん』と崇められているんだろうか。
「……風精霊って…じゃあまさか、初日に聞こえた《このヘタレ》っていう声は空耳じゃなくて……」
ヴィクトリアが隣で何やら呟いている。
少々顔色が悪い。
「──まあとにかく、貴方のお陰でこうして市長とお話出来る訳ですね。お手柄です、ペリドット」
ありがとうございます、と、今度はちゃんと感謝を込めて述べると、ペリドットは途端に機嫌を直した。
《まあなー。当然だなー》
じゃあ俺は外に出てるからな!と満足そうな顔で言って、ペリドットはフッと姿を消した。
改めて、市長に向き直る。
「市長──ボウエン伯爵。ミラベル様のお話によると、今回の件、オルコット子爵が関与しているのは間違い無いのですが、オルコット子爵はどういった経緯でこの街に?」
「…弟は王宮で問題を起こし、一時的に実家である我が家に逗留している。済まないが、これ以上は内密の話だ」
「内密にする必要はございませんよ」
視線を外し、濁そうとする市長に、私はにっこりと笑った。
「──ハミルトン・オルコット子爵が王宮の大規模汚職事件に関わり、横領の罪で検挙された事は存じております。私が確認したいのは、オルコット子爵が今現在、まだ『オルコット子爵』であり続けているのか、それとも離縁されているのか。その1点です」
「…?」
市長がこちらに怪訝な目を向ける。
王宮の事件は貴族の間では有名な話だが、王都はともかく他の街の平民には『何か貴族が大量に処罰されたらしい』くらいの情報しか出回っていない。
平民のはずの私が弟の罪状について詳細に口にしたのが不思議なのだろう。
私は笑みを浮かべたまま目礼した。
「改めまして──ハロルド・アンガーミュラーが第1子、クリスティン・アンガーミュラーと申します。お会いできて光栄です、バートランド・ボウエン伯爵」
「…!!」
市長が顔色を変えた。
「──大変な失礼を…!」
即座に立ち上がり、最敬礼する父親を、ミラベルが戸惑いの表情で見上げる。
「お、お父さま?」
「…この方は、ここから北西にあるアンガーミュラー領──ダスティン公爵領を統治するダスティン公爵家のご息女で、…次期領主となるお方だ」
「………え…!?」
王宮での騒ぎの後、アンガーミュラー家がダスティン公爵家である事と、私が後継者である事は王都の貴族の間に急速に広まった。
市長は優秀な為政者だ。王都の情報も逐一入手しているのだろう。
敢えて『ダスティン』とは名乗らなかったのだが、市長は一瞬で理解していた。
「そう畏まらないでください。今はただの『クリスティン』として、このギルドのお手伝いをさせていただいています。名乗ったのはオルコット子爵の状況を知りたかったからで、態度を変えて欲しかったわけではありません」
「しかし…」
「市長、この子がこう言ってるんだから大丈夫よ。不敬にはならないわ。…そもそもギルド内では平民で通してるから、市長の態度で貴族だってバレると仕事がやり辛くなっちゃうのよ」
ヴィクトリアが助け舟を出してくれた。
市長は戸惑いながらも、そうか、と頷く。
「それで、オルコット子爵は…」
「…愚弟は、オルコット子爵家から離縁された。今はただのハミルトンだ」
「それは、実家のボウエン伯爵家からも見放されたという事ですか?」
市長は厳しい表情で頷いた。
「オルコット子爵家に対して王宮から出された処分は、『子爵家から男爵家に降格する』か、『オルコット子爵個人が全責任を負い、平民となる』かの2択だった」
「オルコット子爵家は、ハミルトン個人を追放することで家を守ったってわけね」
「そんな…! 叔父様は当主として頑張っていらしたのに…」
ミラベルが目を見開くが、私は首を横に振る。
「報告では、ハミルトン氏は主犯格のウォルターに従って、王宮の財務部に所属している自身の立場を利用し、有期雇用の女性文官などの立場の弱い者の給与を標的にして横領を繰り返していたそうです。ハミルトン氏の懐に入った被害金額だけで、王都住まいの伯爵家の平均年収を超えます。しかも、そのお金の使い道が賭け事と女性関係だったそうですから…あちらの家が見放すのも当然でしょうね」