六、酒場
「……ぅ、ん……っは!?」
太陽の光と小鳥のさえずりで目が覚める。
急いで躰を起こすと、そこは昨夜取った宿の一室だった。
「……ここは……」
「起きた?」
いまいち纏まらない頭の中に飛び込んできたのは、凛心の声だった。
「凛心? どうしてここに」
「どうしてって、ここは私の部屋だけど」
「えっ?」
言われて周りを見ると、確かに昨夜最後に見た部屋だった。
「俺は……あれからどうなったんだ?」
「まぁとりあえずこれでも飲んで落ち着きなよ」
凛心はコップの中に粉のようなものを入れると、スプーンで少しかき混ぜた後、渡してきた。
「これは?」
「ちょっとアレンジしてるけどただのレモン水だよ。寝起きに飲むとスッキリするんだよね」
「ありがとう」
コップを受け取り一口飲む。
「美味いな」
「でしょ? 桜樹国から持ってきたんだけど、口に合ったなら良かったよ」
「ポソリ村のお年寄りにも飲ませてあげたい味だ」
「じゃあ帰ったらレシピを教えるね。と言っても、そう難しいものじゃないんだけど」
暫く雑談しながらレモン水を味わった後、一呼吸置いて再び凛心に尋ねる。
「……それで、あの後どうなったんだ? この感じだと俺は意識を失っていたようだが」
「気絶したっていうのは合ってるけど、何も無かったよ。諦止が倒したあれが最後の星影だったみたいだし」
「そうか。……桜護衆の怪我をしていた人はどうなった?」
恐る恐る聞いてみる。
あれが最後の星影だと言うのなら、命に別状は無さそうだったが。
「ああ、彼なら大丈夫、ちゃんと生きてるよ。でも足の怪我が酷くてね。ここじゃまともに治療を受けられないから、応急処置だけして桜樹国に帰ってもらった」
「そうか、良かった」
その一言に、ほっと胸を撫でおろす。
「……諦止にお礼を言ってたよ」
「あの人が弱らせた星影にとどめだけ刺したようなものだったけどな」
「それでも命を救ったことには変わりないでしょ? 私も感謝してる。……そうだ、おかわりはいる?」
「いや、やめとくよ。そろそろ自分の部屋に戻って出発の準備もしないといけないしな」
「分かった。じゃあ準備が出来たら部屋に来てね」
「ああ」
準備を終えた諦止は、予定より少し遅れて凛心と共にカガリ町を後にした。
♢
「そういえば、あの後やっぱり星影は消滅したのか?」
「うん。一体なんなんだろうね?」
「……国王様は星影をどう対処するつもりなんだろうな」
「分かんないけど、何か手があるようだったし信じるしかないよ」
「……そうだな……」
カガリ町から出発してから数時間。
雲一つない晴天の下、馬を走らせ続ける。
「大分冷えてきたな」
「もうそろそろ海が見えてくると思うんだけど……ん?」
耳を澄ますと、微かに波の音が聞こえてきた。
♢
「到着ー!」
「……ようやくか」
座っていただけとはいえ、長時間馬上で揺られ続けた躰は思った以上に疲弊していた。
諦止とは対照的に元気な様子の凛心は、軽快な足取りで進んでいく。
冬場ということもあって日が暮れるのも早く、コウカイ港に着いたのは夕方のことだった。
「よくそんなに元気だな」
「そんなことないよ。流石にずっと座ったままっていうのは精神的に疲れたね」
「……精神的にか」
肉体的には問題はないと言う凛心の話を聞きながら、今晩泊まる宿を探していると、ふと違和感を覚える。
「星影の影響とはいえ、なんだか人通りが少なくないか?」
「……確かに、そうだね」
つられる様に凛心も辺りを見ながら答える。
コウカイ港といえば、様々な国から多種多様な人達が行き交うことで有名だが、外を出歩いている人は片手で数えられる程度だった。
星影の影響かと思いながら歩いていると、向かいから女性が小走りで駆け寄って来た。
「そこの人達!……って、凛心さんだ! 無事だったんですね!」
「優里! あなたも無事でよかった」
凛心に優里と呼ばれる女性は顎を少し上げながら答える。
服装からして、彼女も桜護衆の一人なのだろう。
「そう簡単に死んだりしませんよ!」
「ふふっそうね。……ところでちょっと聞きたいんだけど、どうしてこんなに人が少ないのか知ってる?」
「どうしてって、そりゃあ星影が出たからに決まってるじゃないですか。え、知ってますよね?」
「やっぱりそれが原因か……」
星影が出現してから今日で三日目。
外に出たがらないのも当然かもしれない。
「しかし、さっきの星影は数が多かったですねぇ。皆さんが手伝ってくれてなかったら危なかったですよ」
「……さっきの?」
その言葉に思わず声が出る。
凛心は何かに気付いたようだった。
「はい。一時間くらい前に現れたじゃないですか……え、まさか知らなかったんですか?」
彼女の言葉に心臓を鷲掴みにされたような気分になる。
一時間前に星影が現れた。
移動中だったから気付かなかったのかもしれなかったが、星影が現れるのは夜だけだと心のどこかで安心していた。
いつどこで襲われるか分からない恐怖が躰に纏わりついていく。
「それで被害は?」
凛心は冷静に被害の状況を確認する。
「今のところ把握してるのは、怪我人が五人、行方不明になった人が四人ってところですかね」
(行方不明……)
星影に呑まれた扉を思い出して諦止は肌が粟立つ。
「明るい時間だったから助かったところはありますね。陽が出てても星空みたいな見た目だったんで、却って動きは分かりやすかったですよ」
「……分かった。詳しい話を聞かせてくれる?」
「いいですけど、先に見回りしてきていいですか? 出歩いてる人がいたら声をかけて回ってるんです」
「そうね、分かった。じゃあ先に宿を取ってくるから、後でそっちに行くね」
「はい、じゃあまた後で!」
優里と名乗る少女は出歩いてる人に声をかけながら走って行った。
♢
諦止は酒樽の絵が付いた店の前で立ち止まる。
宿を借りた後、凛心とは別々に行動することになった。
凛心は優里に星影についての詳しい情報を聞きに行き、諦止は逢調の事を聞きに行く。
役割分担はすぐに決まった。
宿を出る際、凛心から酒場に行ってみたほうがいいと言われ、言われた通り酒場の前まで来ていた。
(人がいてくれればいいんだが)
酒場に入ると思っていた通り人は少なく、店主と常連らしき客だけしか酒場にはいなかった。
半ば諦めながらもカウンター席に座ると、無骨な店主が話しかけてきた。
「何にする?」
「おすすめは?」
メニューが見当たらず、質問に質問で返す。
「……あんたここは初めてか。なら冷熱サワーを頼みな、ここの看板メニューだ」
「……レイネツサワー?」
未知の好奇心に背中を押された諦止は、深く考えることもなく店主のおすすめを頼んでいた。
頼んだ際に見せた店主の微笑に一抹の不安を覚えながらも店主に話しかける。
「少し尋ねたいことがあるのですが」
「船は出ないぞ? よく分からん生物のせいで皆怖がっちまってな。ったく、おかげで商売あがったりだが……まぁ文句言ってもしょうがねえけどな」
「いえ、尋ねたい事は人についてです」
「ふぅん、人ねえ?……もしかして、さっきの件の関係者か?」
店主の口ぶりからして、星影に襲われて行方不明になった人の関係者だと勘違いされているとすぐに気付いた。
「いえ、その件ではなく」
「だが、まあ話の前に」
そう言いながら、店主はどんと諦止の前にジョッキを置く。
「これが当店名物の冷熱サワーだ!」
「これが……?」
見た目はごく普通の酒に見える。
そう思いながら一口飲み込む。
「……?」
どこにでもある酒と変わらなかった。
強いて言えば冷ましすぎたのか、その飲み物は頭が痛くなるほど冷たかった。
疑問の目を店主に向けるも、店主は微笑を浮かべながら見ている。
理解できないまま、もう一口飲む。
「っ!! これは!?」
口の中に広がる熱さに思わず席を立つ。
周りの客は慣れているのか、チラリと一瞥して会話に戻っていた。
「ふっ、どうだ?」
店主が得意げな顔をしながら問いかける。
しかし、その顔も納得できるほどの代物だっただけに何も言えなかった。
「……冷熱サワー。なるほど、そういう」
「そうだ。一口目はキンキンに冷えた酒、二口目は熱々の酒を味わえる。そして、三口目以降はキンキンと熱々のループだな」
「こんなもの一体どうやって――」
そこまで言って店主は言葉を遮る。
「悪いがそいつは秘密だ。こいつはウチの稼ぎ頭なんでね。……で、どうだった? 今まで味わったことのない感覚だろう?」
「ええ。これは、っんく……癖になりそうですね」
冷熱サワーを飲みながら答える。
詳しい酒造方法は皆目見当つかなかったが、そんなことを聞きに来たわけではなかったため、飲み終えてすぐに本題に入る。
「それで、さっきの話ですが」
「あぁ、誰か探してるんだっけか? 言ってみな」
「はい。風貌は――」
混乱を防ぐため、逢調が具体的に何をしたのかは伏せながら説明する。
店主はその間、真面目に話を聞いてくれていた。
♢
「……うーん、悪いが分からねえな。野郎の名前は覚えらんねえし、桜護衆らしき奴も見た事ねえ。痩せた男っつっても、ここには山ほどいるしなぁ」
店主は店の中の客を見渡して肩を竦める。
「……そうですよね……」
薄々分かっていた事だったが、思いの外落胆している自分がいた。
カガリ町で情報を得ることができたからか、コウカイ港でもと期待していたのかもしれなかった。
「ま、怪しいのがいたら声かけてみるよ」
「ありがとうございます」
代金を支払い外に出る。
既に日は沈み、辺りは暗くなっていた。
♢
宿に戻った後、凛心は優里から得た情報を教えてくれた。
日を追うごとに星影の数が増えてきていること。
派遣された桜護衆だけではこれ以上もたない事。
苦々しい顔のまま被害状況を語る凛心の表情は、見ている側が息苦しさを覚えるほどだった。
話が終わると、凛心はまた明日と言ってその場を締めた。
逢調の情報について何も聞いてこようとしなかったのは、諦止の顔色を見てなんとなく察したのだろう。
結局、その日は星影の警戒をしながら就寝することになった。