三、桜樹国
「っ!!」
嫌な夢を見たような気がしてベッドから飛び起きる。
だが、徐々に覚醒していく頭が昨夜の出来事が嘘ではなかったと告げてくる。
「……咲音……」
ぽつりと呟いてから周りを見る。
どうやらポソリ村の病院のベッドで寝ていたようだった。
「おお、起きたか」
ポソリ村に一人しかいない馴染んだ顔の医者が入ってくる。
手にはカルテのようなものを持っていたが、別段気にならなかった。
「……咲音は?」
「……どこまで覚えているか分からないが、全て現実の出来事じゃ。起きて早々こんな事を言うのも気が引けるが」
昨夜の出来事を思い出し、頭痛と吐き気が同時に襲ってきた。
「ちょっと待っててくれ。お前さんとこの上司が外にいての、話したい事があるらしい」
「……はい」
そう言って医者は部屋から出ていき、暫くして代わりに上司が入ってきた。
「無事で何よりだったな。咲音ちゃんの事は残念としか言えないが……」
その言葉に何も言えなかった。
「話したい事なんだが、昨夜の生物はやはり星影で間違いないだろう」
「……どうしてそう思ったんですか?」
「どうしても何も全ての特徴が合致するからだよ。君も見たはずだろう!?」
研究対象が絵本の中からでてきたようなものなのだろうか。
興奮気味に上司は答える。
「確かに特徴は合致しますが、でもあれは御伽噺のようなものだったはずじゃ?」
「確かにそうだった。だが、現にこうして目の前に現れた! 現実だったんだよ!」
その言葉に思わず顔を睨んでしまう。
決して悪い人ではなかったが、嬉しそうなその態度がどうしても許せなかった。
「あ、いや……無神経だったな」
上司はすまないと頭を下げて謝る。
「……しかし、そんなものが何故急に?」
その理由が分からなかった。
星影は封印されていたはず。
それが現れるようになったということは、封印が解かれたか、もしくは別の何かか起きているのか。
どちらにしても憶測の範疇をでなかった。
「分からん。分からんから、調べに行ってもらいたいんだ」
「調べに?」
その言葉に顔を上げて上司の目を見る。
「そうだ。桜樹国に行けば何かしらの情報を得られるはず、星影がポソリ村だけに現れたとは考えられないからな」
「……確かにそうですね。少なくとも、村に現れた星影と咲音を襲った星影の二体はいたはず。……そうだ、倒した星影はどこに?」
「消えたよ。古文書の通り、跡形もなくな」
「そうですか。……分かりました、桜樹国に行って調べてきます」
「こんな時にすまないな。ああ、それと」
「はい?」
「咲音ちゃんが倒れていたとされる場所にこんなものが落ちていたんだが……何か知らないか?」
上司が渡してきたのは、手のひらに収まるサイズの金色の氷柱のようなものだった。
「いえ。……これが落ちてたんですか?」
「そうだ。もしかしたら何か関係があるかもと思ったんだが、その様子だと知らないようだな」
もしかしたらあの場所に落ちていたのかもしれなかったが、それどころではなく目に入らなかったのかもしれなかった。
「それじゃあ、桜樹国に行ったときにこの氷柱についても聞いてみます」
「任せたぞ」
その言葉を最後に病室を後にした。
家に帰る前に医者に聞いて咲音が眠っている一室を訪れた。
「……いってくる」
♢
「本当に行くのか?」
「ええ。このままじっとしているよりかは、何かしているほうが気が楽なので」
心配そうな顔で見送りに来た医者に作り笑顔を見せる。
「そうか……。咲音ちゃんの葬儀は責任を持ってやっておくから、気を付けて行けよ」
「……ありがとうございます」
「それと、ご両親が帰ってきたら私から事情を説明しておくから安心してくれ」
「両親が帰ってきてくれれば、また星影が現れたとしてもなんとかなると思います。……それじゃあ行ってきます」
逃げるようにポソリ村を後にする。
何もせずに村にいれば、咲音を無くした悲しみに耐えることはできないだろう。
目的があるという事実が心を支えていてくれた。
桜樹国で得るべき情報は三つ。
一つは、昨夜現れた星影についての情報。
もう一つは、山道に落ちていた金色の氷柱についての情報。
そして最後の一つは、昨夜噴水前で出会った男についての情報だった。
ポソリ村を出る前に村の人達に聞いてみたが、口を揃えてそんな男は見ていないと言っていた。
最後に咲音の姿を見たのはあの男だった。
もしかすると、咲音が襲われたときの事を何か知っているかもしれなかった。
「桜樹国か」
桜樹国。
且つて救世主と呼ばれた男が統べる国で、彼が国王になってから五十年間、一度も桜樹国内で人が殺された事が無いという平和を絵にかいたような国だった。
殺人事件がゼロという偉業は、国王の人望に由るところが大きいという声が多く上がっている。
人神戦争の終結後、前国王から国を受け継いだ国王の下には、世界各地から国王を慕う腕自慢の猛者が集まった。
その猛者達を桜護衆という名の一つの組織として従えていることも、犯罪防止の抑止力として大きな要因であるとされていた。
どちらにしても、人神戦争を終結させた英雄を見たがる人達と、この世界で最も安全な国だからという理由で訪れる人もあって、観光客が非常に盛んな国だった。
更に、観光客が多いもう一つの大きな理由が桜樹国の景観にあった。
桜樹国は和の文化を全面に押し出しており、お面屋、和傘屋、灯篭屋など、いずれも赤を基調に装飾した店が多かった。
それに加えて、桜樹国の中心にそびえ立つ巨大な桜の木は桜樹と呼ばれ、見頃を迎えると非常に美しく、世界三大絶景の一つに数えられている。
そして、そんな桜樹国に住む人達の全員が和服を身に纏っているため、他の国とはまるで違う幽玄な雰囲気を漂わせた空間が広がっていた。
「この道も、咲音とよく通ったな……」
何度か村では調達できない香辛料を買いに行ったことがあったため、見慣れた道は思い出に浸るには十分すぎた。
未だに実感の沸かない現実に何故か胸が苦しくなりながらも、桜樹国への道を急いだ。
♢
「思ったより早かったな」
いつもはもう少し時間がかかっていたが、気が急いていたのか、まだ日が高い内に桜樹国に着くことが出来た。
(……さて)
まずは桜護衆に星影の話でも聞いてみることにしよう。
国王に近い人間なら何か知っているだろう。
そう考えて正門に続く赤い橋を渡ると、正門前で門兵に行く手を遮られる。
「何か用か?」
桜護衆の一人に話しかけられる。
「少し聞きたい事がありまして」
「そうか。なら、申し訳ないが身体検査をさせてもらう」
「身体検査ですか……? 以前まではそんなことしていなかったと思いますが」
「色々あってな。悪いがチェックさせてもらうぞ」
「……分かりました」
このまま帰る事はもちろん、拒否でもしようものなら身柄を拘束される恐れまである。
素直に話を聞いたほうが賢明だった。
「……木刀は護身用として、他には特に怪しい物は持ってないか。っ!? これは……!!」
突然声を上げたかと思うと、門兵は驚愕の目を向けて来る。
その手には黄金の氷柱が握られていた。
異変に気付いたのか、すぐにもう一人の門兵が駆け寄ってきた。
「おい、どうし……! これは一体どこで……いや私達がどうこう言うべきではないか」
二人は同じような反応をすると、諦止の腕を後ろに引っ張り、手錠をかけてきた。
「なっ!? なんのつもりですか!?」
「いいから大人しくしろ! 今から国王様の元へ連れて行く」
「国王!? 一体どうして! くっ……」
狼狽える諦止を無視して、後から来た門兵が続ける。
「私は君が犯人だとは思っていないが、重要参考人なのは間違いない。大人しくしていてくれ」
「犯人ってどういう――」
「いいから黙って付いてこい!」
門兵に挟まれる形で桜城内まで連行される。
初めて桜城内に入ったが、内装は想像していたよりも質素で、桜城内の桜護衆もどこか慌ただしく緊張感に溢れている様に感じた。
そんな事を考えながら歩いていると、ある部屋の前で足が止まった。
「ここが国王様の執務室だ。お願いします」
門兵が声を掛けると、執務室の前で警護している、ひと際強い威圧感を放つ長身の男が扉をノックする。
暫くして、部屋の中から男の声がした。
「どうぞ」
「「失礼します!」」
門兵二人の声の後に扉を開けると、中には桜樹国の王であり、人神戦争の救世主でもある国王が椅子に座っていた。白髪混じりの短い髪をオールバックにし、短い髭を貯えた国王を見た時、その威厳溢れる風格に思わず息を呑んでしまう。
「突然申し訳ありません」
「いや、いい。それで何かあったのか?」
「実は、この男がこれを持っていまして」
言いながら門兵は黄金の氷柱を取り出す。
「それは……!!」
その手に持つ物を見た瞬間、国王の目が見開く。
「それをどこで?」
国王は諦止を見ながら問いかける。
戸惑いながらも、昨晩起きた出来事も含めて黄金の氷柱についての話をした。
♢
「そうか。ポソリ村でも星影が現れたか」
「……という事は、やはり桜樹国にも現れたんですね」
「ああ。数にして五十程度だったが、残念ながら被害はでてしまった」
「五十体も!?」
「そうだ」
口惜しそうに唇を噛みながら答える国王を余所にその多さに驚く。
「……とにかく、今の話で君の容疑はほとんど晴れた。疑って悪かったな」
国王は座りながら頭を下げる。
「そんな、頭を上げてください」
ただの村人に頭を下げたことに驚きを隠せなかったが、そんな実直なところも人望のある理由なのかもしれないと合点がいった。
「国王が言う事なら私達は信じますが、そんなに簡単にこの男の言う事を鵜吞みにしていいんですか? 嘘を付いているかもしれないのに」
隣に立つ門兵が国王の言葉に異を唱える。
「私を信じろ……と言っても、理由がなければ納得できないのも当然だな」
「いえ、私は――」
「そうだな。信じる要素はいくつかあるが、一番は彼が出会ったという痩せた男だ」
「……それも仲間だったら」
「それはないだろう。もし仲間ならわざわざここに来させる理由がないからな」
「それは確かにそうかもしれませんが」
「……さて、お詫びと言ってはなんだが今度は私が話そう。なんでも聞いてくれ」
国王と門兵が何の話をしているのか分からなかったが、なんでも聞いていいと言うのなら願ってもない話だった。
「三つ聞きたい事があります。星影についてと、その黄金の氷柱ついて。そして最後は国王が今おっしゃられていた痩せた男についてです」
「ふむ、まぁ気になるのは当然だな。……さて、では何から話すか」
国王は顎髭を触りながら思案する素振りを見せた後、暫くして話し出した。
「ではまず、星影について話そうか。と言っても星影という名前を知っているという事は、ある程度の知識があるとみていいかな?」
「古文書や昔話で聞きかじった程度の知識ですが」
「十分だ。だが、そうなると教えるべきことがあまり無いな。実のところ、私も古文書に載っている以上の事は分からないんだ。なにせ、星影が最後に出現したのは千年も前の話だからな。今回星影が現れてからはそう時間が経っていない……さっきもその情報の整理をしていたところだ」
国王は机の上に散らばる紙の束を一瞥した後、視線を戻す。
「だから、話せる事と言えば後の二つになる」
「お願いします」
「分かった。だが、この二つの情報に関しては国の機密情報も混ざっている。……それでも聞きたいか?」
その言葉に僅かに不安を覚える。
「……聞きたいと言えば、どうなりますか?」
「君が想像しているような事はしないさ。そうだな、私の頼みを聞いてもらうことになるかな」
「頼み、ですか……?」
その頼みがなんなのかは聞くことができなかった。
仮に聞いたとしても、今教えてくれなかった時点で上手くはぐらかされるだけだろう。
「どうする?」
「……分かりました」
国王ならおかしな頼みもされないだろうと考えて承諾する。
「そうか、分かった。時間も惜しいから手短に話すとしよう。……だが、その前に」
国王は門兵の一人に視線を向ける。
「凛心を呼んできてくれ」
「はっ!」
(凛心?)
てすと