三十六、消えゆく世界で星空を見る
月明りが差し込む封印洞窟内部。
いつものように、月見里諦止は洞窟の中で正座していた。
(今日も誰も来なかった)
その事実に安堵するのと同時に、自身の罪を裁くものが現れない事に心のどこかで蟠りを覚えていた。
「……俺は何を考えて」
このまま誰も来ずとも、実際に復讐の連鎖を絶てたかどうかは分かり様がない。
もしかしたら緻密に復讐の計画を立てている途中で、数年後、数十年後に誰かが復讐に訪れるかもしれない。
それが分からない以上、死ぬまでこの呪われた地で生き続けなければならなかった。
そう考えた時真っ先に思い出したのは、最後に封印洞窟を訪れた観道という名の少女だった。
彼女もまた、瞳に復讐の色を灯していた。
一度は目の前から立ち去ったとはいえ、もう二度と現れないとは言えなかった。
「…………」
目を閉じて、今まで殺してきた人達の顔を思い出す。
彼らの怒りは正当なものだった。
大事な人を奪われたことへの怒り。
その相手に復讐したいと願う気持ちは、ごく自然な感情だった。
だが、それらを悉く踏みにじってきた。
自らへの嫌悪感で吐き気がする。
同時に、嫌悪感を覚えるほど必ず成し遂げなくてはならないという覚悟もより強固なものになっていく。
一日の終わりに自らの所業を思い出し、昨日より更に強く決意を固める。
就寝前の日課になっていた。
「…………なんだ?」
月明りを遮る何かの気配を感じて目を開ける。
丁度洞窟の前に人影が伸びていた。
死角になるように立っていて誰かは確認できないが、洞窟の入り口に誰かが立っているようだった。
その人影を見て、僅かに抱いた淡い期待が裏切られたことを理解する。
刀を手に取り、洞窟の入り口に近付く。
一歩、二歩。
歩みを進める毎に感情を殺していく。
歩を進める毎に影の輪郭は濃く、より鮮明になっていくようだった。
三歩、そして四歩目を踏み出そうとした時、入り口で待つ人物が誰であるかにようやく気付いた。
「……馬鹿な……」
その人物は、先日策に嵌めることでようやく倒すことの出来た粟峯凛心だった。
「どうしてここに……!?」
凛心を前にしながら、諦止は国王への怒りを抑えきれないでいた。
(あの時凛心を倒す事ができたのは奇跡に近かった。それなのにこうもあっさり自由にするなんて、一体何を考えて――)
未だ現状を把握しきれずに動揺する諦止とは裏腹に、凛心は落ち着き払った様子で話しかけてくる。
「久しぶりね」
「……何の用、だなんてわざわざ聞くまでもないか」
「話が早くて助かるわ。生憎、こっちには説明してる時間が無くてね……っ」
「そっちの事情は知ったことじゃないが、念のために聞かせてくれ。何のためにここに来たんだ?」
少しでも時間を稼いで、どうにかしてこの場をやり過ごせないかと考えを巡らす。
「あなたを止めに来た」
「だろうな。……しかし、牢屋の中にいたはずじゃなかったのか?」
「私くらいになれば脱獄するなんて簡単ってことよ。ここにいるのがその証拠でしょ?……それより、一つ聞きたい事があるんだけど」
「なんだ?」
「どうしてそんなに自分を傷つけようとするの?」
「……何のことだ?」
この局面を打開する方法を模索していたが、凛心の一言が引っ掛かり思わず思考を中断させられる。
「俺が……自分を傷つける?」
「ええ。あなたは咲音さんと両親を奪われた。大切な人を失くす痛みを嫌というほど知っているのに、人を殺して、どうして……まるで望んでやっているかのような態度を取るの?」
「凛心、君は思い違いをしている。まるで望んでやっているよう、ではない。実際に俺は望んで人を殺している」
本心を告げたところで誰の為にもならず、誰の益にもならないだろう。
逢調を心から憎むことができたのは、逢調が最後まで悪人として存在してくれていたからだ。
だから、不本意ではあったがそれに倣うことにした。
大を救うために小を殺すという身勝手な都合で人を殺す、そんな人間が善人の皮を被っていいはずがない。
本当は殺したくないと言いながら人を殺す事は、心底から嫌悪する悍ましい行為に他ならない。
死の間際に唯一許された、相手を憎悪するという感情すら取り上げようとしているのだから。
「……嘘つき」
「なに?」
小声だったため、何を言ったかは聞き取れなかった。
だが、その言葉を最後に凛心は刀を抜いて構えを取る。
「くっ……!!」
少し遅れて、諦止も慌てて刀を構える。
話をする時間は終わりを迎えたということだろう。
(どうする……!?)
前回と同様に、凛心は少しづつ間合いを詰めてくる。
二人の戦力差は歴然。
先日の戦いでは、奇策を用いて動揺を誘うことによって辛うじて勝利を拾うことができたが、同じ手が通用しないということは凛心の顔つきを見ても、はっきりと感じ取れた。
だからといって、策を用いずに真正面からやり合ったところで勝ち目はない。
警戒している凛心を出し抜けるような策は結局思いつかなかった。
(くそっ……!! どうすれば!?)
今までの行いの全てが水泡に帰す。
その純然たる事実が更に動揺させ、絶望の淵に突き落とした。
(何か、何かないのか!? この状況を覆せる何か!!)
油断無く間合いを詰めて来る凛心に対して、隙を見せないように細心の注意を払いながら、摺り足のまま僅かに後退しながら考えていた。
勝機を高める何かを求めて、視線を彷徨わせる。
そして、その視線は目の前にいる凛心で止まった。
(……そういえば、先日凛心に与えた怪我は癒えているのだろうか?)
藁にも縋る思いで観察していると、凛心の様子に違和感を覚える。
(……何だ?)
「……っ!」
気付けば凛心は息を荒らげていて、発汗しているようにも見えた。
月明りだけで見え難かったが、間合いが詰まったことによって顔色の悪さも視認することができた。
桜樹国から逃げる際に桜護衆と戦闘になったのか。
それとも、以前与えた攻撃によるダメージが尾を引いているのか。
様々な考えが浮かんだが、無駄な考えだと思い、すぐに考えることを止める。
理由がなんであれ、凛心は普段の実力を発揮できないはず。
これが単純な疲労なら時間をかけるのは得策とはいえず、体調不良だとしても、このまま凛心の体調が悪化し続けていくとも限らないため、明らかに不調な様子の今しか勝負の時はなかった。
(……次だ)
後退していた足を止めて、凛心を迎え撃つ準備をする。
次に呼吸を荒らげた時、一気に間合いを詰めて勝負を決める。
如何に不調といえども、相手は猛者揃いの桜樹国でトップの実力を持つあの粟峯凛心。
優しく意識を奪おうなどという余裕を持つことはできなかった。
殺す気でいって、ようやく勝機が生まれるかという実力差だったからだ。
余計な考えは捨てて、ただその時を待った。
「っ!…………っごほっ!!」
凛心が咳き込んだ一瞬を見逃さず、瞬時に間合いを詰めて斬りかかる。
凛心へ感謝の気持ちは勿論あった。
星影との戦闘でも、咲音や両親を失った時にも暗くならないように励ましてくれていた。
その気遣いに幾度となく救われた。
(それでも)
脳裏に浮かぶのは殺してきた人、人、人。
その一人一人の憎悪の顔が、刀を握る力をより強くした。
ここで止まるわけにはいかない。
これまでの全てを無駄にするわけにはいかない。
全ての想いを胸に、全力で腕を振り下ろす。
「うおおおお!!」
「っ! はあっ!!」
決着は一瞬だった。
凛心は、諦止の一刀に対して完璧に合わせるようにして刀を巻き取り、諦止の手から刀を奪い取った。
主を失った刀は宙を舞い、二人の間に突き立つ。
諦止は暫くの間茫然とその光景を眺めていたが、少しずつ現実を認識し始める。
「…………負けた……のか…………?」
あれしか手段が思いつかなかったとはいえ、狙い通りいけば勝てる見込みはあったはず。
だが、現実は僅かな勝機も見いだせないほどの完全敗北だった。
「どうして……」
何故負けたのか考えて、一つの答えに至る。
(まさか、演技だったのか……?)
そこまで考えて、未だ両の足で立っている自身に気が付く。
勝負は決した。
それなら殺されることはないにしても、抵抗できないように攻撃されるなり拘束されるなりしているはず。
だが、刀を奪われてから躰に変化は無かった。
不思議に思い、茫然と眺めていた刀から立ったままの凛心へ視線を動かす。
「……なっ!?」
思わず目を見開く。
身体を左右に揺らして、今にも倒れそうな様子だったからだ。
更によく見ると、口からは血が流れ落ちていた。
言葉を失ってその光景を見つめていると、凛心が地面に膝をついてそのまま倒れそうになる。
「凛心っ!!」
とっさに身体を抱き留める。
何をしているのか自分でもよく分からなかった。
ただ、頭で考えるよりも先に躰が動いていた。
「凛……っ!」
近くで彼女の顔を見て、その異常に気が付く。
顔色が悪いことは分かっていたが、近くで見るとまさに顔面蒼白といった体だった。
その顔を見て脳裏を過ったのは、これまで幾度も見てきた死人の顔だった。
「……っ! はぁ……はぁっ……っ!」
「なんで、誰がこんな……!!」
苦しそうに呼吸をする凛心を見ながら声を漏らす。
誰に投げた問いでもなかったが、その声に答えたのは腕の中で浅い呼吸を繰り返す凛心本人だった。
「誰でもない……っ。これは私が自分でしたことだから……っごほ」
「どういう事だ……? 一体何を言ってるんだ?」
困惑する諦止に、凛心は優しく微笑みながら答える。
「桜樹国の保管庫に……保存してある毒を飲んだの」
「なっ!? 何でそんなことを……!!」
「これしか思いつかなくてね。毒を飲んだ理由は色々あるんだけど……」
「理由……?」
「夢霞っていう子から聞いたの。諦止がどうして人を殺すようになってしまったのか」
「どうして夢霞のことを!?」
「復讐の連鎖を止めるため、そんな事を聞いても私には全然納得できなかった……。あなたは誰よりも傷ついたのに……幸せにならなきゃいけないのに、こんな道しか選べなかった事が、私にはどうしても……っ」
凛心は一度呼吸を整えて、悲しみを押し殺すように声を絞り出す。
「……しかも、それが私のせいだっていうんだからどうしようもない」
「っ! それは違う!! 夢霞から何を聞いたのか知らないが、それだけは違う! 全て俺の責任なんだ!」
「もう嘘つかないでいいんだよ……。もし諦止が殺されてたら、その通りになってたと思う……っごほ!」
「凛心!」
口を開く度に凛心の顔色は悪くなっていく。
それでも、その言葉を止めることはできなかった。
「だからその話を聞いた時に思いついたの。私が自害すれば、そうすればもう諦止は復讐の連鎖だなんて呪いに縛られる事もなくなるんじゃないかって……。桜護衆の皆には色々迷惑をかけちゃったけど……」
凛心の話は言い分としては尤もだった。
凛心が自害して悲しむ人間は大勢いるだろう。だが、自害となっては復讐する相手は存在しない。何者かによって精神的に追い込まれていた、ということなら話は別だろうが、牢に入れられた理由は勅令を破った正当な罰だ。責めるような相手は存在せず、復讐の連鎖は起きない。
となれば結果的に殺人事件も起きず、国王が座を追われることもない。
復讐の連鎖を考えれば合理的な考えではあった。だが、普通はそれに気づいても行動に移さないだろう。
自身の命を捨てる行為は生半可な想いではできないはず。
「私が脱獄して保管庫の毒が無くなる。その後に毒で死んでいるのを発見される。……囚人生活を苦に自害って想像は誰にでもできるでしょ?」
「……どうしてそこまで……」
以前、国王から凛心は人助けをすることが望みだったと聞いたことがあった。
だが、それにしてもこれは明らかに度を超している。異常だった。
決して自らの命を投げうってでもするようなことではないはずだ。
「…………教えてあげない」
「え?」
小さな声で呟いたその声は、自分自身に言い聞かせるようにして呟いたように思えた。
「あえて言うなら、これは私とあなたのほんの少しの罪滅ぼし。……この意味は分かるわよね?」
「……ああ、大丈夫だ」
「……でも、ま。私の方が強かったって事が証明できて良かったわ……。そこだけは満足してる」
「そうだ、毒を飲んだって事はそもそも最初から戦う必要なんて無かったんじゃないのか?」
「あったわよ……。私の方が弱いなんて思われたまま死ぬのは、癪だったからね……」
「……そんな事、一度も思ったことはないよ」
「本当? でも、私が弱ってるのを見て勝てそうって思ったわけでしょ? でないと、先に仕掛けようとは思わないわよね?」
「それは、そうだが……」
言葉に詰まる。
確かに、凛心の実力をまだ過小評価していたのかもしれない。
「……やっぱりね。でも……最期に勝てて良かった……」
「っ……!」
腕の中の凛心の声が徐々に小さくなっていく。
その時が来たのだと悟り、全身の血の気が引いていくのが分かる。
無駄だと知りつつも、どこにも行かないでくれと、その躰を強く抱きしめる。
「ごめんね……でも、最期に諦止と話せてよかった……」
「っ……凛心……!」
「あ……ぃ…………」
「……うん?」
凛心の口が何かを言おうと動くが、声は聞こえなかった。
だが、最期の言葉だけははっきりと聞こえた。
「……ありがとう……」
その言葉を最期に、凛心は息を引き取った。
毒による苦しみをほとんど見せないまま。
「……すまない……ありがとう」
腕の中で眠る凛心を静かに横たえる。
凛心は復讐を願ったわけではなかった。
平和を願い、幸せを願った。
だが、こうして目の前で死んでいる。
後悔しても全てが遅い事は分かっていた。
だが、それでも考えずにはいられなかった。
一体どこから、何の選択を誤ったのか。
咲音に告白しなかった事か。
咲音の復讐を思い立って村を出た事か。
国王の頼みを聞いた事か。
逢調を殺した事か。
夢霞の世界を拒絶した事か。
復讐に来た男を殺した事か。
ただの村人でしかない人間が復讐の連鎖を止めようだなんて思い立った事か。
思い返してみても、そうするしかなかったと思う気持ちと同じくらい、何もかもが間違っていたと思う自分もそこにはいた。
復讐を果たすために人を殺した。
復讐を止めるために人を殺した。
多くの想いを守るために、多くの想いを殺した。
そして、そんな愚行を止めようとしてくれた人も殺した。
この結果が間違っていないとしたら一体何だというのか。
それは最初から気付いていた事だった。
気付いていて、それでも目を逸らしてきた。
仕方がない事だと思い込みたかった。
今からする行為も、正しい事なのか間違っている事なのか分からない。
それでも、一つだけ確かな事があった。
(これで、この復讐の連鎖は終わる)
刀を拾い上げて、眠りにつく凛心の頭を一度撫でる。
冷たい土の上に寝かせたままにするのは胸が痛んだが、万が一にも国王以外の人間に発見された時の事を考えると、遺体はそのままにした方が良いと考え、凛心をそのままに一人封印洞窟に入っていく。
封印結晶のあった洞窟の最奥まで辿り着くと、その場に膝を折って正座する。
もはや誰から端を発したのか分からないこの復讐の連鎖。
その終わりを強く願って刀の柄を握る。
刀の切っ先は自分自身へ向かっていた。
多くの人を殺し、恩人である凛心も殺した。
そして、それ以上に多くの人の想いを殺した。
その最も憎むべき存在である自身に向けて刀を突き刺す。
腹部を刀が貫通し、意識を失いそうになるほどの激痛に苛まれながらも、声は出さなかった。
死んだ人間は痛みを感じることすらできない。これまでの所業を顧みて、痛みに対して声を上げるような資格があるとも思えなかった。
血を吐きながら刀を引き抜く。
そして、もう一度。
救いたいと願った人を誰一人として救えなかった己へ向けて、憎悪を込めて突き刺す。
ふと、気が付くと地面に額を押し付けていた。
既に躰は動かず、倒れているのだと理解するのにさほど時間はかからなかった。
罪人に相応しい罰が欲しかった。
まだ痛みが足りない。罰が足りない。
これまでの悪行に見合うほどの痛みが欲しかった。
だが、その望みが叶う事は無く、痛みは薄れていき、同時に意識も曖昧になっていった。
意識を手放す刹那。
最期に思い出した光景は、あの日、あの世界で鳥柿咲音と共に見た満天の星空だった。




