三十五、牢の中の邂逅
薄暗い牢屋の中、急に振り出した強い雨音を聞きながら粟峯凛心は一人考えていた。
(……どうして諦止は……)
どうして諦止はあそこまで変わってしまったのか。
どうして人殺しなんてするようになってしまったのか。
(…………分からない…………)
何度考えても同じ答えに行き着く。
どんな理由があろうとも、彼のしている事が悪行だということは変えようのない事実。
それは分かっている。
けれど、何故そんな行動をするのか皆目見当付かなかった。
理由が分かればどうという話でもなかったが、それでも理由を知りたかった。
理由を知ることができれば改心させることができると思った。
短い時間だったが、同じ時を過ごしてみて彼が悪人だとはとても思えなく、それどころか善人だとさえ思っていて、そんな彼の事を一人の人間として好ましく思っていた。
国王は何か理由を知っているかもしれないが、この扱いからして今後も何も教えてくれないだろう。十中八九、国王と月見里諦止は共犯の関係にあるのだから。
当然、月見里諦止の口からも語られることは無い。
真相はこのまま闇の中へ。
「……はぁ……」
何度目かの溜息を吐く。
目覚めてから同じことを考えては、同じ結論に辿り着く。
堂々巡りだった。
看守は気を使って何度も声を掛けてくれたが、決まって空返事となってしまっていた。
だから、今回も看守が話しかけてきているのだろうと思っていた。
「――知りたい?」
「……え?」
その言葉を聞いて反射的に顔を上げる。
考えていた事を知らず知らずの内に口に出してしまっていたのかと思ったが、そうではなかった。
看守の方を見ても、看守は机に向かっていて話しかけてきているようにも見えなかった。
よくよく思い返してみると、先ほどの声の主は男性の声ではなく女性の声だった。
更に細かく言うのなら、少女の声だったような気がした。
(……今の声は……?)
不思議な出来事に眉をひそめていると、先ほど聞こえた声の主が再度話しかけてきた。
「私の名前は夢霞」
「えっ!?」
幻聴ではないその声に思わず辺りを見回す。
だが、その声の主はどこにも見つからなかった。
「だ、誰!?」
「そんなことより、月見里諦止がどうしてああなってしまったのか知りたくないの?」
「……あなたは、知っているの……?」
「ええ」
夢霞と名乗る少女は、冷静に落ち着いた声音で話しかけて来る。
不可思議な現象に生唾を飲み込みながら夢霞という存在が何なのか考える。
「知りたい?」
「……それはもちろん知りたいけど、今はあなたが何者なのかって方が気になるかな」
月見里諦止の考えを知っているだけなら関係があるのだという事で理解できるが、どうして彼の考えを知りたいと思っていることまで知られているのかは分からなかった。
腑に落ちる考えとしては、知らない間に考えていた事を口にしていたというものだったが、姿を見せずに声を届けることのできる存在を前にしては、合理的に考えようとしている自身が滑稽に思えてならなかった。
「申し訳ないけれど説明する時間が惜しいの。……警戒しないで、というのは無理があるとは思うけど、彼がこれ以上過ちを重ねる前にどうにかして止めてほしいの」
「……よく分からないけど、あなたの言葉を信じるかどうかは話を聞いてみてから判断するわ。……聞かせて」
何一つとして理解できなかったが、だからこそ真実を知っているのではないかと僅かに思った。
「それでいいわ。少し長くなるけど、私の知っている全てを話すわね」
♢
「凛心の様子はどうだ?」
「こ、国王様!?」
牢屋の入り口が開き、同時に国王が入って来る。
その様子に看守は驚いたように声を上げた。
「凛心の様子を見に来ただけだ。それで、どうだ? 何か変わりあるか?」
「いえ、何も。怪我の具合も大したことなかったみたいですし、あの通りずっと大人しくしてます」
看守は奥の牢屋を見ながら答えた。
「そうか。……少し外せるか?」
「ええ、それはもちろん」
国王の言葉を待たずに、いそいそと上着を羽織って出ていく。
「……さて……」
看守が出ていくのを確認して、国王は凛心のいる牢屋の前まで行って声をかける。
「大丈夫か? 閉じ込めておいてそんな事を言える立場ではないが……」
「……国王様」
「…………まだ様付けしてくれるとは思わなかったな。こんな場所ですまないが、もうしばらく辛抱してくれ。何か欲しいものはないか? ある程度の物は都合してやれるが――」
「国王様は」
「ん? なんだ?」
躊躇いがちに凛心は続きの言葉を口にする。
「国王様は、どうしてそこまで国王の座に固執するんですか?」
「……固執か」
凛心のその問いは直接的ではないにしても、間接的に国王がしている事を咎めるような内容だった。
それでも、ここまでの事をしてまで何故国王の座に固執するのか、その理由を知りたかった。
国王は暫く黙り込んでいたが、やがてゆっくりと語りだした。
「……私が国王の座に固執している理由はたった一つ。桜樹を守りたいからだ」
「桜樹を……? 桜樹国ではなく?」
「そうだ。……あまり昔話はしたくないが凛心には話そう」
そう言って、国王はぽつりぽつりと過去に思いを馳せながら語り始めた。
「前国王が生きていた頃に桜樹は一度伐られようとしていた。理由は恐らく私達への当てつけだった。人神戦争の際に誰よりも目立って活躍していたからな、快く思わなかったんだろう。桜樹を気に入っていた仲間も伐採されると聞いて心を痛めていた」
「……でも、伐られることは無かったんですよね?」
「ああ。当然、他にも桜樹を伐ることに反対している人達が大勢いてな、国と民の間で一悶着している間に神の襲撃にあって、それどころではなくなった。その後は皆も知る通りだ。その時の襲撃で前国王が死に、全てが終わった後に私が代わりに新しい国王になったというわけだ。国のシンボルにも名前の由来にもした、これでもう桜樹を伐ろうなどと言い出す奴は現れないとは思うが……それでも私が国王として統べていれば安心だろう?」
「……たったそれだけの理由で、人を……?」
「そうだ、それだけだ。だが、私にはそれが何よりも大事な事……。分かってくれとは言わない」
国王の、恐らく誰にも話したことが無いであろう話を聞いても、感慨に浸る気持ちにはなれなかった。
今の話を聞く限り、国王は人命よりも国王の地位を、桜樹を選んだ。
その理由が過去の思い出だと言われてしまえば説得の仕様も無かった。
唯一説き伏せる事ができるとしたら国王の戦友だけ。
だが、シアエトは既にこの世にいない。
「この事をシアエト様が知ったら……」
「……悲しむ、怒る、などというレベルでは済まないだろうな。少なくとも何度か意識が飛ぶことになりそうだ」
「それが分かっていてどうしてこんな事をしているのですか!? 昔の仲間の為にやっているのでしょう!?」
「……仲間の為でも、自分の為でもないのかもしれない。ただ、彼女との記憶がもう桜樹にしかないから……」
「まさか……」
一瞬だけ見せた哀愁漂う顔を見た時、初めてその昔話の背景が少しだけ見えた気がした。
国王の語る昔話には人神戦争時の激闘も、多くいた仲間の姿も無いのだ。
あるのはただ一色のみ。
国王が恋焦がれた想い人の色だけだった。
「これが、私が国王の座に固執している理由だ。……さて、私がいては気も休まらないだろうし、職務に戻る事にするよ。少し気になって見に来ただけだしな」
「諦止は、月見里諦止はどうするんですか?」
「……彼の事を気にかける気持ちは分かるが、悪い事は言わないから忘れろ。いいな?」
「そんな事――」
「彼は私が想像したより戦いのセンスがあるし、誰よりも強い意思と覚悟を持っている。暫くの間は彼一人でも問題ないだろう。それより先の数年、数十年先の話はこれから考える」
「っ!! そんなに長い時間諦止を苦しめ続けるつもりですか!?」
「これは彼自身が選んだことでもある。事実、この話を最初に持ち掛けてきたのは彼だ」
「それは……」
夢霞から諦止の考えを聞いた凛心には、それが事実であることは知っていたし、そこに至るまで深い事情が存在している事も知っていた。
だが、これまで辛い思いをしてきた諦止に、生き地獄のような一生を送らせたくはなかった。
「……信じてもらえないだろうが、私とて胸が痛い。誰も殺さないで済むのなら、誰も犠牲にしなくて済むのならそれに越したことはない。ないとは思うが、馬鹿な気だけは起こさないでくれよ。シアエトも先に逝ってしまった。私にはもう凛心、君しかいないんだ」
「……それは、国王様の想い人に私が似ているからでしょう」
「凛心、何度も言っているがそれは違う。私は――」
「これだけの事をして、信じろと言いたいんですか?」
「……信じろとは言わない。ただ、それだけは伝えておきたかった」
その言葉を最後に国王は牢屋を後にした。
封印洞窟で諦止と対峙した凛心が何を考えているか、国王は薄々感づいていたが、あえて詳しく聞こうとはしなかった。
それは、実の娘のように育ててきた凛心に対して後ろめたさがあったせいでもあった。
対する凛心は、これまで思い描いてきた国王のイメージが崩れていくのを確かに認識しながら、一つの覚悟が決まった。それは、夢霞の話を聞き終わるのと同時に思いついてしまった歪な考え。
いざ実行に移そうと思っていると、ふいに諦止と初めて行動を共にしようと決めた日の事を思い出した。
あの時は月見里諦止という個人にここまで執着していなかった。
『人の役に立ちたい』
この願いを成就させてくれる人が現れた。ただそう考えていた。
だが、今はその考えとは少し願いの形が変わっていた。
不特定多数の人の役に立ちたい、ではなく、月見里諦止個人の助けになりたい、救いたいと考えるようになっていた。
一体いつからこんな考えになったのかは自分でも分からなかったが、この感情に名前が付いている事は知っていた。
これまでそういった類の感情を持ち合わせていなかった為、気付くのが遅れてしまっただけなのかもしれない。
(私が諦止を気にかける理由。それは、私は彼の事が……)
そんな事を考えていると、ガチャンという音と共に扉が開かれ、国王と入れ替わるように看守が戻って来た。
「……国王様に何か言われましたか? あっいえ、すみません。こんな事聞いても答えられませんよね……」
「…………ちょっと耳貸してくれる?」
「えっ!? あ、はい分かりました!」
凛心の突然の言葉に理由を聞くことも忘れて、看守は慌てて牢に近寄る。
普段ならもしもの時の事を考えて鍵束は机の上に置いていたが、これまで凛心に暴れる様子が一切無かったこともあって完全に油断していた。
「っ!!」
「え? あっ!?」
牢に近付いた瞬間、看守の腰にぶら下げてあった鍵束を奪い取る。
「凛心さん!? 何してるんですか! こんな事がバレたらただじゃ――」
「これだ!」
看守の言葉を無視して手錠と牢の鍵を開ける。
金属の擦れる音と共に、凛心を外界から隔絶していた鉄格子が解き放たれた。
「凛心さん!」
「ごめん!!」
「え? ぐっ!?」
牢の鍵が開いた瞬間、中に入ってこようとする看守の懐に入り込み、鳩尾に肘を叩き込んで気絶させた。
意識を失った看守が怪我をしないように、崩れ落ちる躰を抱き留めてその場で横にする。
「……よし。後は」
椅子にかけてあった看守の上着を羽織る。
これで少なくとも一目見て粟峯凛心だとバレることはないだろう。
そのまま牢屋を後にしようとして、机の上に紙が置いてあることに気付いて動きを止める。
逡巡した後、中腰のまま紙にペンを走らせる。
そして、書き終わるのと同時に牢屋を後にした。




