三十四、小さな復讐者
「――以上だ。また何かあれば連絡するから、それまでは凛心から目を離さないように」
「……分かりました」
国王の命令に桜樹国の看守は渋々承諾して執務室を出る。
普段ほとんど仕事の無い看守に久しぶりに与えられた仕事は、牢屋に収監された粟峯凛心の監視役だった。
看守も凛心を慕っている桜護衆の内の一人。
心境は複雑と言う他なかったが、それでも国王の命令とあっては聞かないわけにはいかなかった。
何を話せばいいかと考えながら、凛心が収監された牢屋へ向かう。
♢
「凛心さん何か欲しいものはありますか? 何か欲しいものがあればできる限り用意しますので気軽におっしゃってください」
「……ありがとう。必要になったら呼ぶわ」
「……分かりました」
凛心は以前にも増して酷く傷ついた様子で、頭を垂れて心ここに有らずといった体だった。
「私はここにいるので、いつでもおっしゃってください」
「ええ」
凛心は桜護衆の言葉に一言だけ返事をして虚空を見つめる。
(……どうして諦止は……)
♢
ある日、家に帰ると母が泣いていた。
理由を聞いても、「お父さんの事は忘れなさい」と言うだけだった。
何を言っているのか理解できず、喧嘩でもしたのだろうかと思ったが、母の表情に怒りは無く、ただ深い悲しみの色だけがあった。
分かっている事は、その日から父が姿を見せなくなったこと。
そして、母に何度理由を聞いても返ってくる答えは最初に聞いたものと同じだった。
幸せな家族だった。
決して裕福とは言えなかったが、両親は優しかった。
決して悪事に手を染めず、正しいと思われている行いをする。
自慢の両親だった。
封印事件の終結を国王から宣言され、再び世界に平和が戻った。
そう思っていたのに、それからすぐに父はいなくなってしまった。
何があったのか。何が起こったのか。
母は何か知っている様子だったが、決して教えてくれなかった。
だから、私は家を出た。
父を探すために。
父が消えた原因を。
母が泣いた理由を探すために。
当てはあった。
あの日、逢調を連れて行った桜護衆の粟峯凛心ともう一人の男。
可能性があるとすれば、あの二人だった。
父は逢調に恩があったようだった。
厳密には父だけでなく、トリナ村の人間全員が逢調に対して恩があった。
その逢調が姿を現さなくなり、父も後を追うように消えた。
確証は無かったが、関係があるのではと思った。
その時に思い浮かんだのは、あの日粟峯凛心と一緒にいた男だった。
粟峯凛心は顔が知れている有名人だが、あの時粟峯凛心の隣にいた男に関しては全く見覚えが無かった。
思い返してみても、あの姿からして桜護衆ではないだろう。
勿論、服装だけでは判断できないが、それでも疑念を抱くには十分だった。
その日から、ひたすら色んな人に話を聞いて回った。
その結果、あの男は月見里諦止という桜護衆だったということが分かった。
いや、正確には桜護衆になったというのが正しいか。
封印事件の元凶を処刑した功績で、ただの村人から桜護衆まで上り詰めたようだ。
現在は行方不明になっているようだが、それも疑念を増幅させた。
そして、その処刑された元凶が誰なのか。
これもすぐに分かった。
逢調業身だ。
ここまで分かってしまえば後は簡単だった。
父は、逢調を殺して英雄を気取っている男に復讐をしに行ったのだ。
そして、帰って来ない理由は恐らくだがその男に返り討ちに合って殺された。
相討ちになった。もしくは、復讐を果たしはしたが殺人という罪を背負って、私達の前に姿を現さないという考えもできた。
どちらの可能性もあり得たが、父の性格を考えるとどうしても人を殺せるとは思えなかった。
だから、父が帰って来ない理由は一つ。
月見里諦止に殺されたのだ。
更に、父や月見里諦止が行方不明のまま見つかっていないという事実は、桜樹国の主である国王への疑惑も深める結果になった。
殺人事件が起こらない国。
疑惑を抱いてから考えてみると、これは明らかに不自然だ。
何故今までその違和感に気付かなかったのか。
それは、国王に全幅の信頼を置いていたからなのかもしれなかった。
だが、今は何か隠していることがあるのではないかと考えるようになった。
そんな中、国王が明らかにした封印洞窟という存在と封印洞窟への立ち入り禁止令は、私をその場所に向かわせるのに何の躊躇いも覚えなかった。
もし、封印洞窟に誰かいるのなら、その人物は恐らく月見里諦止だろう。
♢
暗い洞窟の中から入り口を見つめる。
次はいつ、誰が来るのか。
願わくばもう誰も来ないでほしかった。
そんな時、洞窟の外で微かに音がしたように聞こえた。
だが、これまでと違って洞窟の中にまで入って来ようとする気配は感じられなかった。
気になって洞窟の外に出てみると、そこには今まさに灰色の狼に襲われそうになっている少女の姿があった。
腰が抜けてしまっているのか、少女は地面に座り込んだまま身動き一つできていなかった。
「っ!」
少女を庇うようにして咄嗟に前に出る。
目の前まで迫っていた狼の動きが止まり、牙を剥き出しにして低い唸り声を上げて威嚇してくる。
その声はまるで耳元で聞こえるかのように鮮明に鼓膜を震えさせた。
暫く睨み合いを続けたが、狼は最後に唸り声を上げて森の中に帰っていった。
この辺りの狼は縄張りを犯されない限り、危害を加えて来ることはない。
狼が去った後も動けずにいた背後の少女に目を向ける。
恐らく、踏み入った場所が狼の縄張りだということに気が付かなかったのだろう。
「あなたは」
制服を着た黒髪の少女は、見た目からして十代の半ばを少し過ぎたぐらいに見えた。
どこかで見たような顔だったが、どこで見たかは思い出せず、少女の問いに思わず聞き返す。
「君は?」
「私は観道って言います。あなたは?」
「……俺は城詰だ」
偽名を名乗る。
行方不明になった人物として名を連ねているのに月見里諦止だ、などと馬鹿正直に答えるわけには当然いかなかった。
だが、もしこれまでと同じ復讐をしに来た人間なら、この少女も手にかけることになる。
「……城詰さん……。危ないところを助けていただいてありがとうございます」
名前を聞いた途端、それまでの暗い表情を一変させて少女は感謝の言葉を述べてきた。
正体不明の人物に名前があると分かったことで少しは安心したのか、そこに敵意の様なものは微塵も感じさせない声音だった。
「それで、君はこんなところに何しに来たんだ? 国王の勅令が出ている事は知ってるだろう」
「はい……それは勿論知っています」
「ならどうして」
「実は、家出をしてきたんです」
「……家出?」
予想していた言葉とはかけ離れた可愛らしい単語を聞いて思わず聞き返す。
観道と名乗る少女にしてみれば大事なのかもしれなかったが、ここに辿り着くような人間は粟峯凛心を除いて全員が命を奪われていた。
その落差もあってか、僅かに気が緩んだ。
「ちょっと家で色々あって……。食料も持ってきていたんですけど、さっき狼に襲われたときに置いてきてしまって」
「どうしてここに来た? 家出にしても、もっと他に場所があっただろう」
「ここなら誰も来ないと思ったんです。暫く一人になりたくて」
「…………そうか」
完全に疑いが晴れたわけではなかったが、現時点で少女の言動に怪しむべき点は無かった。
いや、無いと思いたかった。
「そういうあなたはここで何をしてるんですか?」
瞳を真っすぐに見つめながら、心の奥底を覗き込むようにして少女は聞いてくる。
「詳しくは言えないが、国王の命令でな。……それで、食料はどこに置いてきたんだ? 狼がまだうろついてるかもしれない、一緒に見に行こう」
口篭りながらも、これ以上根掘り葉掘り聞かれる前に話を変える。
「あ、こっちです!」
その様子に気付いていないのか、それとも食料のほうが大事だったのか、少女は立ち上がると誘導するように森の中へ入っていった。
♢
「そんな……」
「持っていかれたか」
少女の言う場所には既に何も無かった。
代わりに残っていたのは、狼のものと思われる足跡だけだった。
「……食料がないんじゃ家出もここまでだな。危ない目にあって少しは懲りただろう、早く家に帰るんだな」
途方に暮れる少女に冷たく言い捨てて封印洞窟に戻ろうとする。
よほど強い意思が無い限り、こうなってしまえば家に帰らざるを得ないだろう。
これでもまだ駄々をこねるようなら、想像していた以上に家に帰りたくない理由があるのか、そうでなければ。
「っ! ちょっと待って!」
少女は慌てた様子で腕を掴んで引き留めてきた。
「……なんだ?」
「その、できればもう少し一緒にいてもらいたいんですけど……」
「何故?」
「それは……さっきあんなことがあったし……」
「それならすぐに家に帰れ。ご両親も心配してるだろう」
その言葉に少女の肩がピクリと動く。
少しして、下を向きながら考えるようにして言葉を紡ぐ。
「……もう日が落ちてきてるし、今から家に帰ろうとしたら道中でまた襲われるかもしれないし……」
「……それで?」
「その……もし良ければ、今晩だけでも泊めてもらう事って」
「無理だ」
即答する。
少女が遺族の関係者ではないという確証が無い以上、寝首を掻かれるような真似は避けたかったからだ。
「なら、せめて近くの村まで送ってもらえませんか? また襲われたらと思うと怖くて」
少女の提案は尤もだったが、行方不明扱いになっている以上どこに行くにしても顔を出すことは得策だとは思えなかったし、何よりここから一番近い村といえばポソリ村だった。
とてもではないが無理な相談だった。
「どうして俺がそんな事をしなくてはならないんだ? 勝手にこんな場所まで来た奴にそこまでしてやる義理はない」
「だったら、勝手にあなたに付いていきます」
「……何?」
「だって、一人で村まで帰るのも怖いし。あなたと一緒なら、とりあえず一晩は安全が保障されるでしょう?」
「…………どうしても付いてくると?」
「はい」
少女は即答した。
その瞳には強い意思が宿っているように見えた。
「……そうか……そうだな。……それなら好きにしろ。ただし、面倒を見るのは一晩だけだ」
「え……いいんですか?」
「どうした? やめるか?」
「い、いえ。よろしくお願いします」
これ以上少女に何を言っても無駄だと判断して、一晩だけ行動を共にする事を許可する。
少女は意外そうな顔を一瞬見せたが、すぐに元の表情に戻った。
♢
洞窟の中は不思議と温かく、冬場であっても凍死する心配は無い。
ここにいる理由を聞かれるのを避けるために、当たり障りのない会話を繰り返していると、すぐに夜がやって来た。
もう暫くすれば就寝するだろう。
だが、その前に聞いておきたい事があった。
「一つ、聞きたい事が」
これまでの雑談とは明らかに違った声音が少女の口から発せられる。
暗がりだったため表情まで細かく窺い知る事はできなかったが、声のトーンが僅かに下がったのは明らかで、どちらのとも言えない緊張が洞窟の中を包む。
「なんだ?」
「ここ最近行方不明者が多いじゃないですか」
「……それがどうした?」
「行方不明になった人達はどこにいるんだと思いますか?」
「どうしてそんな事を俺に聞く?」
「それは……」
警戒されれば目的の達成が困難になる。
もし、目の前の人物が本当に復讐相手なら次の瞬間には殺されるかもしれない。
それが分かっていても、生まれた迷いを消すことができるのなら必要なリスクだと思った。
「国王様と親密な関係のようだったので、何か知っているんじゃないかと思いまして。……国王様の命令でここにいるんですよね?」
「…………そうだが。どこにいるか見当がつかないから探しているんだろう」
「それもそうですね。でも、もし仮に殺されていたとしたら、殺した人間はどういう人物なんでしょうか? 何か恨みがあったとか?」
目の前の男が犯人なら自己肯定の為の言い訳の一つや二つしてくるだろうと踏んで聞いみてる。
「恨み云々は知り様が無いが、どういう人間かは想像がつく」
「……どういう人間だと考えているんですか……?」
「狂人か、悪鬼羅刹の類。……いや、その両方かもしれないな」
「狂人……? 悪鬼……?」
だが、返って来たのは予想していた答えと真逆のものだった。
「どちらにせよ一つだけ確かなのは、関わるべき人間じゃないという事だ。まともな人間が人を殺せる訳がない。そうだろう?」
「…………そうですね」
「さて、俺はそろそろ寝るが、お前はまだ起きてるのか?」
「……まだ眠くないので、もう少ししたら寝ます」
「そうか」
一言だけ返して男は横になる。
洞窟の中を静寂が包む。
その中で少女はある一点に意識を集中させていた。
それは少し離れた場所で横になった男の寝息。
その音が聞こえた時、その時こそ父の復讐を果たす絶好の機会になると考えて。
その時は遠からず訪れる。
逸る鼓動を落ち着かせながら、その時を待った。
そして、その時はやってきた。
「すぅ……すぅ……」
(きたっ!!)
失敗は許されない。
聞き間違いではないことを確認するために、男の背中を見ながらもう一度その音に聞き耳を立てる。
「すぅ……すぅ……」
寝息で間違いなかった。
眠りが浅いうちに動いては起きてしまう可能性がある。
少しの間そのまま待ち、熟睡したであろうタイミングを見計らって小声で何度か呼びかけてみる。
だが、返事はなかった。
懐に隠し持っていたナイフを取り出し、眠りについた男に近づく。
手の届く距離まで来ても変化は無かった。
(やるなら今しかない)
殺せる。
父の復讐を果たせる。
この手で仇を取る。
少女は男の首元に狙いを定めてナイフを振りかぶる。
「…………っ…………!」
だが、その腕を振り下ろすことはできなかった。
理由は分かっていた。
一つは、この男が本当に父を殺した人物なのか確信が持てなかった事。
城詰と名乗る男は月見里諦止とは言わなかった。この場所に人が居るという事は、ここに至るまでの推理が正しいということの裏付けでもあったが、この男が月見里諦止だということを裏付ける確固たる証拠がなかった。
もう一つは、狼から助けられたという事実が邪魔をしていた。
月見里諦止は悪魔のような人物である。そう想定して恨みを募らせていた少女にとって、月見里諦止だと思っていた人物に助けられた事は予想外の事態でしかなく、その事実を都合よく処理するには時間も理屈も足りなかった。
何か思惑があって助けた、という事ならまだ心の持ちようがあったかもしれない。
だが、本当に思惑があったのかどうか、その真偽を知るには時間が必要になるだろう。
そして、それが分かる頃にはこんな千載一遇のチャンスは二度と訪れないだろうということも理解していた。
この男が探していた人物だと分かったとしても、既に顔を知られている以上、一度別れてからもう一度会いに行けば疑問を持たれるだろう。
かといって、顔を隠そうものなら怪しいなどというレベルの話ではない。
どちらにせよ警戒される。
「…………っ!!」
思考を巡らせる。時間にして数秒か、それとも数分か。
結局、その腕を振り下ろす事はできなかった。
(私は一体……何をしにここまで……)
ナイフを強く握り締めたまま暫く自問自答を繰り返して、眠りにつく男に気づかれない内に洞窟を後にした。
♢
少女の気配が消えたのを確認してから月見里諦止は躰を起こす。
隠すようにして持っていた短刀を投げ捨て、短刀が洞窟の壁に当たり金属音が反響する。
そして、夜の帳が下りた外の景色を見る。
「帰ったか……」
小さく呟き、観道と名乗った少女の顔を思い出す。
時折覗かせたあの眼は間違いなく復讐を決意した者の眼だった。
当然寝ていたわけではなく、あのままナイフを振り下ろそうとしていれば少女も殺さなくてはならなかった。
「……っ……」
悍ましい考えが根付いている自身に心の底から嫌悪感を抱く。
(しかし、何故……?)
今まで復讐に来た者と同じ眼をしていた少女の決意は本物だった。
何故、復讐を果たす絶好の機会をふいにしたのか理由は分らなかったが、立ち去ったということは暫く姿を現す事はないのだろう。
それでも確かな事はあった。
少女は必ずまた現れる。
今度こそ、揺るぎない覚悟と共に。
来るべきその時を想像して、すぐに頭を振って横になる。
今夜もまた、眠りにつくことは難しそうだった。




