二、星影
諦止が帰った後、布団の中の咲音の表情には緊張の色が浮かんでいた。
ハンカチを諦止の家に置き忘れたのはわざとだった。
なかなか進展しない仲を変えるきっかけにでもなればと思ってやったことだったが、まさかここまで事が進展するとは思ってもみなかった。
勇気を出して結婚という単語を口に出した甲斐があったというべきだろう。
プロポーズをしてくれる。
そう考えるだけで自然とはにかんでいる自分がいた。
だが、未だに不安に感じる事もあった。
プロポーズをされても、上手く応えられる自信が無かったのだ。
口下手なのは自分でもよく分かっていたし、とても今日のように上手くいくとは思えなかった。
(どうしよう)
布団の中で何度もシュミレーションをするも、これだという答えには至っていなかった。
「あっ」
そんな時、ふいに閃く。
「あれなら!」
布団から起き上がる。
辺りは既に真っ暗だったが、諦止が朝一でやって来るかも分からない。
行動に移すとしたら今しかなかった。
「……よし!」
すぐに身支度を整えて、小さなポーチを手に取り家を出る。
村の人達は寝静まり、明りが点いている家は無かった。
目的地が山の中ということもあって多少の不安を覚えたが、この辺りには不思議と野生の生き物は近づこうとしてこない。
そのため、夜中に山の中に入った所で襲われるような危険はなかった。
「うぅ~……、やっぱり冷えるなぁ。もう少し着込んで来ればよかったか」
外に出ると冬の寒さを痛いほど感じる。
萎えそうになる心を諦止の顔を思い出して奮い立たせた。
♢
(……おかしい)
森の中を歩きながら咲音は直感で思う。
一歩進む度に、まるで知らない場所にいるかのような奇妙な感覚が足元から登ってきていた。
嫌な予感がした咲音は足早に目的地に向かう。
「着いたっ!」
見慣れた景色にほっと息を吐く。
無事にポソリ花壇に到着した咲音は目的の花を摘むと、すぐに立ち上がって逃げるようにその場を後にする。
「……はぁ、はぁ……」
駆け足で村への道を急ぐが、未だに不安はすぐ後ろを付き纏ってきていた。
それでも、帰り道だと思えば多少の恐怖心は和らいだ。
「……?」
気が付くと月明りが消え、辺りが暗くなっていた。
月が雲に隠れたのかと思い空を見上げると、雲ではない何かが月を隠すようにしてゆっくりと落ちてきていた。
(あれは……?)
黒い影のような、それでいて所々光っているそれはまるで星空を切り取ったかのような印象を咲音に与えさせた。
その時、ふと諦止との話を思い出す。
(……星影? でもまさか……)
暫く眺めていたが、気が付くとそれは地面に落ちていた。
観察していると、最初に抱いた印象通り星空を切り取ったものと形容するのが適当だと感じた。
それと同時に、これまで感じていた嫌な予感の正体はこれだったのだと思い至る。
逃げなければならないと頭で分かってはいたが、躰が動いてくれなかった。
視線を奪われ、目を逸らす事ができなかった。
直径ニ十センチほどの大きさのそれは地面の上で暫く蠢き、歪みが生じたかと思った瞬間、咲音に向かって襲い掛かって来た。
「っ!!」
間一髪避ける事に成功した咲音は金縛りが解けたように一目散に村へと走り出した。
(今、私を喰べようとした……!?)
口や目の様なものは一切見当たらなかったため思い違いであってほしかったが、本能が確かにそう感じさせた。
(諦止っ)
あまりの恐怖で転びそうになる度に心の中でその名前を繰り返して、恐怖で縺れそうになる足に何度も活を入れる。
♢
「――!?」
「――! ――!!」
「……ぅん? なんだ……?」
騒がしい喧噪に諦止は躰を起こす。
まだ辺りは暗く、夜が明けていないことは明白だった。
「こんな時間になんだ……?」
カーテンを開けると、窓の外には農作業用具を持って空を突いている村人の姿があり、周りには松明の火が点けられていた。
「なんだ……?……っ!?」
何かと戦っていると気付いた瞬間、駆けだしていた。
玄関に置いていた二本の木刀の内、一本だけ持って外に飛び出す。
戦っている人の数は四人。
他の村人はまだその異常に気付いていないのか、家の中も暗いままだった。
「どうしたんですか!? 一体何が――」
言いかけて言葉を飲む。
話かけようとした村人が怪我をしていることにも驚いたが、その傷口が異様だったからだ。
村人の躰には抉られる様な傷が綺麗に開いていた。
人にも獣にも付けることのできない傷口に思わず絶句する。
「危ない!」
「くっ!」
後ろから村人に突き飛ばされて反射的に振り返ると、次の瞬間目の前に光り輝く影のようなものが通り過ぎていったのを確かに見た。
「早く立て! 死にたいのか!」
「っ! 今のは……!?」
急いで立ち上がって周りを見渡す。
「……なんだこれは!?」
そこには、大きさにして約四十センチほどの、星空を連想させる様な光り輝く影が空中で動いていた。
それを見た瞬間、脳裏に一つの言葉が思い浮かんだ。
(……星影)
その姿は、昔話や古文書で知った星影にそっくりだった。
自身の眼を疑ったが、星空のような見た目といい、星影であることは否定できそうになかった。
本当に星影だとするなら、あんな傷口を付けられたのも納得できる。
しかし、既に村人から何度か攻撃を受けたのか、星影の動きはどこか弱々しく感じさせられた。
「……っ来るぞ! あれは金属でも関係なく触れただけで喰ってくるからな、受けようと思うなよ!」
「分かりました……!」
星影を追おうとするも、不規則な動きに加えて暗闇の中というのもあって目で追うのがやっとだった。
(それなら)
一歩前に出て木刀を構え、正面から星影を見据える。
「おい!」
「大丈夫です! 直前で右に避けるので合わせてください!」
「……分かった。ヘマるんじゃねえぞ!」
星影は蛇行を繰り返しながらも確実に諦止に近づいてきていた。
「くるぞぉ!」
村人の叫び声と共に、星影は一番近くにいる諦止目掛けて襲い掛かってくる。
(直前まで引き付けて……)
目の間まで迫った星影を寸前で右に回避する。
そして、避けるのと同時に星影の弱点とされている背中の星群目掛けて木刀を叩きこむ。
「はぁ!!」
打ち下ろした攻撃は星群に完璧に直撃した。
手応えはなく空振りしたかのようにも思えたが、地面に伏したまま動かない星影を見ると、どうやら攻撃は当たっていたようだった。
「おい、大丈夫だったか!?」
戦っていた村人が駆け寄るように集まってくる。
「ええ、大丈夫です。……古文書の通り、本当に背中の星群が弱点のようですね」
星影について記載されている古文書には、星影の唯一の弱点は背中の星群と呼ばれる部分だけと記載されていた。そして、それ以外の部分に触れれば、たとえダイヤモンドでもまるで空間ごと削り取るかのように一瞬にして消え去ってしまうという。
「俺は御伽噺でしか聞いたことが無かったが、そうみたいだな。……倒しちまえば少し経てば自然に消滅するらしいが、念のため何人かで見張っておいた方が良いだろう。俺が怪我人の治療をしながら見張ってるから、他の人は村の皆に声を掛けてきてくれ。……諦止も、咲音ちゃんの様子を見に行ってやれ」
「ええ、そうさせてもらいます」
星影は多く現れると古文書には書いてあった。
今の一体だけとは到底思えず、急いで咲音の家に向かう。
♢
「咲音! 大丈夫か!?」
鳥柿家の扉を叩くも、一向に出てくる気配は無かった。
それどころか、家の中に人がいる気配もしなかった。
(いない、のか?)
こんな夜中に出掛けるような理由は一つしか思い浮かばなかった。
(まさか……)
嫌な予感が胸中に渦巻く。
「くそっ! 一体どこに」
辺りを見回すと、村の人達も続々と家から出てきていた。
その中から咲音の姿を探そうとするも、どこにも見つからなかった。
「どうした、咲音ちゃんいないのか?」
探して走っていると、村の人達が声を掛けてくる。
「ええ、もし見つけたら教えてもらえますか?」
「そりゃもちろん。こっちでも探しておくよ」
「ありがとうございます!」
だが、誰に聞いても一人として咲音の行方を知らなかった。
「どこに行ったんだ……!」
広場の捜索は村の人達に任せて噴水前に移動する。
「……誰もいないか」
噴水前に移動するも、そこには咲音どころか村人の姿すらなかった。
いよいよ手詰まりとなってきたところで、目の端に人影を捉える。
その人物は咲音ではなかったが、何か知っているかもしれないと思い、近寄って話しかける。
「すみません! この辺りで――」
途中まで言いかけて、話しかけた人物が村の人間でないことに驚く。
(旅の人か? こんな時間に……?)
「はい? どうかしましたか?」
考えていると、目の下に僅かにクマを作った白髪混じりの痩せた男が目の前まで歩いてきていた。
近くで見るとそれなりに身長が高く、自身と同じかそれより少し小さく見えた。
「あ、いえ。人を探しているんですが、この辺りで肩までの長さの黒い髪をした女性を見ませんでしたか? 身長は小さいんですが」
「そんな人いたかねぇ。いや、私も今さっきこの村に着いたばっかりなんでねぇ?」
「そうですか……。ありがとうございました」
失礼だとは思ったが、咲音の身の安全が第一と考えて無理やり会話を切り上げる。
(他に探してない場所は)
踵を返して歩き出そうとすると、背後から同じ男に声をかけられる。
「あのぅ、もしかしてその探してる人って若い女性だったりしますか?」
「そうです! どこかで見ましたか!?」
少し食い気味に言葉を被せる。
「ええ。暗かったんであなたの言う人かどうかは分かりませんが、女性が一人山の中に入っていったのを見ましたよ」
「山の中に!? その時の様子はどうでしたか? 何かに追われていたとか」
もし咲音が星影に追われていたとすれば、悠長に話している暇など無かった。
「さぁ、どうだったかなぁ?」
「そうですか……」
「その人は恋人か何かですか?」
「はい。行方不明になっていて……」
「へえ、そうなんですか」
とりあえず、見てすぐ分かるぐらいの危機的状況では無さそうだった。
それでも、現状危険な事に変わりなく、急いで会話を切り上げる。
「そうだ。言い忘れてたんですが、ついさっき星影と思われる存在が現れたので、あなたも気を付けてください」
「星影って、あの?」
「はい。信じられないと思いますが、気を付けてください」
「はぁ、そうですか。ご忠告どうも」
痩せた男はまるで信じていない態度で、どうでもよさそうにお礼を言った。
「それじゃあ、私は山に入ってみます。探してる人かもしれないので」
「……急いだ方がいいですよ」
「はい?」
その言葉に思わず聞き返すも、痩せた男は無言のままだった。
聞き間違いかと思い、諦止は軽く会釈してからポソリ山に向かった。
♢
「どこだ、咲音!」
名前を叫びながら山道を走る。
(まさかポソリ花壇まで行ったのか?)
ポソリ花壇は咲音のお気に入りの場所だった。
それにしても、星影に追われているわけでもないのに、こんな時間にそんな場所に向かう理由が分からなかった。
考えながら山道を走っていると、再び目の端に何かが映る。
「まさか……!」
道端のそれを人だと認識した瞬間、足が竦んで動けなくなる。
頭の中で必死に否定するも、近づけば近づくほど、横になったその輪郭は見知った人物の姿になっていった。
「咲音っ!!」
咲音と認識すると同時に声を上げて駆け寄る。
「……ぅ……」
「大丈夫か!? しっかりしろ!!」
身体を抱きかかえるも、その身体は血に染まっていた。
「どうして、こんなっ!」
その答えは、咲音の躰についた傷でおおよその検討は付いた。
所々抉れた傷跡は村で見たものと同じだった。
(やはり他にも……いや、今はそんなことより)
意味があるかは分からなかったが、自らの服を破いて目に付いた部分の止血に取り掛かる。
だが、出血が激しく咲音の顔色はどんどん悪くなっていった。
呻き声を漏らす咲音に謝り、躰を抱き上げて村まで走る。
「頑張れ! すぐに医者に連れて行くからな!」
咲音の意識が途切れないように必死に声を掛ける。
だが、そうこうしている間にも咲音の顔からは少しずつ生気が抜けて言ってるように感じた。
「……諦止……」
「咲音!」
その声に再び視線を落とすと、咲音が苦しそうに名前を呼んでいた。
「……私の……ごほっごほっ」
「喋るな! 頼むから喋らないでくれ……っ!」
口から血を吐きながらも何かを言おうとする咲音に頼み込むように懇願する。
「……ポーチの……中……」
「ポーチ……?」
走りながら手探りでポーチの中を探る。
すると、手に何か触れる感触があった。
「これは?」
確認せずに取り出すと、そこには見覚えのある花があった。
咲音が最初に教えてくれた花の名前。
その時の照れくさそうな顔が忘れられずに、花の名前も覚えてしまっていた。
「これは、アングレカムの花?」
はっとして咲音の顔を見ると、咲音は痛みに耐えながら笑顔を作っていた。
「まさか、この花を採るためにこんな所に……?」
言葉は無かったが何を言いたいのかは、はっきりと伝わった。
「俺も、愛してる。愛してる……咲音っ!!」
諦止の言葉を聞いた咲音は安心したような笑みを浮かべて、それから動かなくなった。
「……咲音。……咲音?」
ぐったりとした躰。
僅かに発していた息遣いも聞こえなくなっていた。
「咲音……ぅ、うおぁぁぁああああ!!!」
その悲痛な叫びは、闇の中に消えていった。
アングレカムの花。
花言葉は、いつまでもあなたと一緒。
もっと早くプロポーズしていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
もっと早くこの場所に辿り着いていれば。
思い返してみて、無駄な寄り道をしていなかっただろうか?
もっと深く考えていれば、すぐにここへ来れたんじゃないだろうか?
そんな考えが頭の中を支配する。
(……俺のせいで……咲音は、死んだ……)