二十七、復讐の連鎖
『もちろん諦止は殺させない。けど、もし誰かに殺されるような事があればその時は私が復讐する。……だからあなたとは違うわ』
『その復讐っていうのは、殺すって意味でいいんですかね?』
『……そうよ』
『へぇ、そうですか』
「っ!!」
瞬間、その言葉を思い出し、とっさに躰を反らして男の凶刃から逃れる。
「……どういうつもりだ?」
男はその場に立ったまま、苛立ち混じりに視線を向けてくる。
「さっきの言葉は嘘だったのか? やはり命が惜しいと?」
「……悪いが、死ぬわけにはいかなくなった」
もし、この男にここで殺されれば、凛心はこの男を殺すかもしれない。
絶対とは言い切れなかったが、凛心の性格を考えると可能性は高いように感じた。どちらにせよ、僅かでもその最悪の可能性がある内はどうしても殺されるわけにはいかなかった。
「頼む……! 都合のいい事を言っているのは分かってる。だが、命だけは助けてくれないか? 他のことなら何でもする! だから――」
「……さっきと言っている事がまるで違うな。死が目前に迫って怖気付いたか? 生憎だが、俺の望みはお前の死だけだ。すぐに終わる、大人しくしていろ」
男は溜息をついてから躰の向きを変える。
次こそ逃さないといった顔つきで、鋭い視線を向ける。
「っ!! 俺を殺せばお前は死刑になるかもしれないんだぞ!?」
どんなに惨めに思われても、思いとどまってくれればと思いながら、とっさに思いついた言葉を吐き出す。
「何を言いだすのかと思えばそんなことか。関係ない。俺は仇討ちができればそれでいい。その後に処刑されようと悔いはない」
少しでも怯んでくれれば別の解決策が生まれるかもしれないと思ったが、男は顔色一つ変えずに言い切る。そこに虚勢の類は全く感じられなかった。
「くっ……!」
言葉は無駄だと判断して、男に背を向け林の中を全力で走る。
逃げ切れるとは思っていなかったし、仮に逃げきることが出来たとしても状況は変わらないと分かっていた。
居場所を知られている以上村に戻ることはできないし、下手をすれば逆上した男が村人に危害を加える可能性も生まれ、より状況が悪くなるかもしれなかった。
だが、このままむざむざ死ぬわけにいかず、いずれにせよ答えを出すまでは足を止めるわけにはいかなかった。
「無駄な事をするな……!」
男もすかさず追いかけて来る。
(くそっ! どうする、どうすれば……!)
このまま殺されてしまえば凛心がこの男を殺す。
死ぬことも逃げることも赦されない。
自害という選択肢を思いついた時には、既に時機を逸していた。
持参してきた伐採道具は手元に無く、一度男の攻撃を避けている以上、『これから自害するので、その短刀を貸してください』と言ったところで、はい分かりましたと武器を渡してくれるとも思えなかった。
仮に、落ちている木の枝や石を使って運よく果てることができたとしても、死体が見つかれば凛心は不審に思い捜査を始めるだろう。そうすれば結果は同じことだった。
この男は死を恐れていない。
捕まれば簡単に口を割ることも十分にありえた。
殺されても自害しても、凛心は真相を暴いて復讐するだろう。そして、復讐が終われば凛心は自身の罪を認める。国王がいくら隠そうとしても、当の本人が認めてしまえばどうしようもない。
そうすれば、民を殺したとして桜樹国は激しく批難される。凛心ほどの有名人ともなれば、その批難の声は人気に比例して大きくなり、当然国王も座を追われることになるだろう。
そうなってしまえば、桜樹国はお終いだった。
(駄目だ……)
完全に八方塞がりの状況。
疲労と恐怖で縺れそうになる足に活を入れて走り続ける。
次の瞬間には追い付いてきた男に殺される場面が何度も脳裏を過り、考えが閉塞していくのを感じる。
「っはぁ……はぁっ……!」
『殺されることも逃げることも叶わないなら、殺してしまえばいい』
「っ!!」
一瞬、悪魔の囁きが聞こえた気がした。頭を振り、その考えを候補から掻き消す。
確かな殺意を持って男は追いかけてきている。
だが、それは仲間の復讐という筋の通ったものだった。
殺人を正当化するわけではなかったが、自身も結果的に復讐を成し遂げた側の人間。
それを否定することはできなかった。したくなかった。
だからこそ、この男を殺すことはできない。
復讐を成し遂げておきながら、自身への復讐は許さないというのは、あまりにも傲慢な考えだと分かっているから。
男を殺せば、それは自身さえも否定することになる。
(何かあるはずだ! もっと考えろっ……!)
短刀を持ち、殺意のある人間に対して素手の人間が捕縛する。不可能だ。
相手が子供ならともかく、大人の男が相手なら結果は目に見えている。
せめて武器があればと思ったが、生憎と持ってきた伐採道具は既に遥か後方だった。
「……っ……」
手詰まりだった。
こんな場所では誰も助けに来ない。
この辺りの地理に詳しいとはいえ、捕まるのは時間の問題。
次の瞬間には肩を掴まれてもおかしくなかった。
決断しなければならなかった。
凛心と、村の皆と、自身。
天秤にかけるまでもなく、答えは明白だった。
凛心に人殺しをさせるわけにいかない。
ポソリ村の人達に危害を加えさせるわけにもいかない。
(…………殺す…………)
悪魔が笑った気がした。
その声を無視して必死に手段を考える。
相手は短刀を持っているが、対する自身は素手。
男の動きが読めれば話は別だが、真っ向から戦っても勝ち目は薄かった。
(…………これだ)
その瞬間、脳裏に閃くものがあった。
それは、先ほどの一瞬の出来事。男の振りかざした短刀を躱したその一瞬にあった。
あの時、男は確かに心臓を狙ってきていた。
(それなら、次も同じ場所を狙う可能性は十分にある)
確証は持てなかったが、もう一度無防備な状態を晒せば同じ部分を狙ってくる可能性は高く思えた。
一度攻撃を避けたことで警戒されていたら話は変わってくるが、そこは賭けるしかなかった。
仮に狙う場所が分かっていたとしても至難の業であることには違いなかったが、それでも僅かだが可能性は生まれた。
(そうだ、もし短刀を取り上げることが出来れば殺さなくて済むかもしれない。……いや、駄目だ)
すぐに自身の考えを否定する。
ここまで強い意思を持つ人間が短刀一つで襲ってくるとも思えなかった。
もし隠し持った武器があれば、千載一遇の好機を逃すことになる。
そうすれば元の木阿弥。
いや、殺すことに対する迷いを自覚しているからこそ分かる。
その好機を逃せば次こそ確実に殺されてしまうだろう。
「……殺す……」
走りながら呪文のように口にする。
それでいいのかという自問から耳を塞ぐように、逢調の仲間なら殺した方がいいと必死に思い込ませて、心を底の底まで落とす。
「っ!!」
覚悟が決まると同時に、走っていた足を止めて振り返る。
男は想像していたよりも近い距離まで詰めてきていた。
「……もう逃げるのはお終いか? その顔、覚悟はできたって顔だが」
「そうだな。……覚悟は出来た」
「ふぅ。最初から大人しくしていればいいものを……」
男に悟られないように殺意を抑える。
その様子に気付かず、男は近づいてくる。
足取りは先ほどと変わらず、警戒心も感じ取れなかった。
「最後に何か言い残すことはあるか?」
「……何も」
目の前まで来た男は左手で肩を掴む。
「また逃げるかもしれないからな、念のためだ」
そう言って右手に持った短刀を振りかざし、男は流れるようにそのまま心臓目掛けて振り下ろした。
「っ!!」
短刀を握った男の右手を、左手を使って右に受け流す。
「なっ!?」
「ぐっ!!」
心臓は避ける事ができたが、完全に捌くことは出来ず右肩に短刀が突き刺さる。
これまで感じた事のない激痛に、反射的に苦悶の声をあげていた。
突然の反撃に驚いたのか、自身とは違う驚いた声を上げる男を無視して、右肩に刺さった短刀を左手で抜けないように力の限り抑え込みながら、全身を使って男を突き飛ばす。
想像に反して仰け反らすことしかできなかったが、短刀を奪うことには成功した。
「ぐぅっ……!」
痛みを無視して、右肩に刺さった短刀を勢いよく引き抜く。
血が溢れて肩を伝ったが、気にしている時間的猶予は無かった。
男が現状を理解する前に終わらせなければならなかった。
「ぅ、ぉぉおおお!!」
左手に短刀を構えて、吠えながら男に向かって一直線に走る。
痛みはあった。だが、その痛みが殺意を補ってくれた。
男は観念したような面持ちで、ただ見ているだけだった。
隠し持っている武器は無かったのか。
そんな考えが頭を過るが、次の瞬間には思考が目的に塗り潰される。
男の想いも、自身の想いも、全てを忘れて、殺す。
ただその一念のみで短刀を振りかざす。
もう一度、脳裏で悪魔が囁いた気がした。
その声はどこかで聞いたことのある声だった。
『失敗に終わった? くくっ、く……! ええ、そうですね。失敗に終わりました』
一刹那の出来事だったが、逢調の言葉の真意を悟った気がした。
(……そうだ、これで終わりじゃない)
このままこの男を殺せば、男が逢調の復讐に来たように男を大切に想う人間が同じように復讐に来るだろう。
そうすれば復讐は終わらない。止まらない。
仮にこの後自害したところで、行き場のない負の感情は別の何かに向けられるだろう。
男を殺した人間が桜護衆だと知られれば怒りの矛先は桜護衆や桜樹国に向く。
他の桜護衆や凛心にまで飛び火して、争いの火は止まることなく膨れ上がるかもしれない。
そうなれば、その復讐の連鎖はいつ終わりを迎えるのか。十年後か、百年後か。もっと長い年月を必要とするかもしれなかった。
復讐を想う生者を動かしてるのが死者なだけに、誰も止めることはできないだろう。
復讐に次ぐ復讐。
復讐の連鎖の始まり。
間違っても終わりではなかった。
(これも逢調の計画の内だったのか?)
そう思えば、これまでの逢調の行動にも納得がいった。
コウカイ港での自身の居場所を知らせる旨の伝言、トリナ村での攻撃を防ごうともしない無抵抗な行動。
そして、路地裏での戦い。あの時、逢調は確かに短刀を持っていた。
何故それを使わなかったのか気になっていたが、これが狙いだとしたら合点がいく。
唯一、封印結晶を破壊した後、逃走経路から逸れて咲音のいるポソリ山に向かった事だけは未だに納得できないが、それもこの時の為の罠だったのではないかと考えてしまう。
それでも、ここまで用意周到に準備してきたにしては、逢調を殺して復讐の連鎖を始めさせる重要な役割の人間を決めるのに随分と場当たり的な行動だと思う。
(……だが)
この計画の欠点に気付く。
以前なら気付かなかったであろう一点に。
複数の人間を巻き込んだ復讐の連鎖が前提条件としてあるのなら、その業を全て一人で受け止めれば復讐の連鎖は広がらない。
桜護衆である事を隠し、ただの殺人鬼として生涯を独りで過ごす。
そして。
(復讐に来るもの全てを……殺す)
その考えが如何に悍ましいものかは考えるまでもなかった。
正当な復讐に来る人間を、憎しみを持たないまま殺す。
決して人間のする所業では無い。
月見里諦止にとって、逢調業身は紛れもなく悪人だった。
だが、それは逢調を知らない人間からの一つ観点でしかない。
現に、男は逢調の仇討ちをするために行動し、その為には死さえも厭わないでいた。
それは何故か。
答えは明白だった。
男にとって逢調は善人だったからだ。
国王が逢調を悪人と断じたとき、微かな違和感を覚えた。
それは、心のどこかで普遍的な悪人などいないと分かっていたからなのかもしれなかった。
そう考えた時、この男の行動は悪なのか、それとも善なのか。もはや分からなかった。
(……それでも)
それが悪であれ、善であれ、このままでは復讐の連鎖が始まってしまう。
これが逢調の作戦通りであったとしても、そうでなかったとしても、そのきっかけに加担してしまったのは他でもない自分自身。
他の誰にもこの責任を押し付ける訳には行かなかった。
いくら大義名分を叫ぼうとも、成そうとしている事はただの殺人。
それが分かった上で、その大罪を一身に担おうと心に誓い、振り上げた短刀を強く握りしめる。
向ける殺意は男ではなく、既にこの世にいない逢調業身の思惑へ向けて。
腕を振り下ろす。
「駄目っ!」
その瞬間、聞き覚えのない女の声を確かに耳にした。
声の主を探す暇もなく、一瞬のうちに視界が緑色の眩い光に包まれる。
そして、そのまま意識は急速に遠くなっていった。




