-【1-1】-奇虫の様な習性を持った生物
「…………。」
少年は、教室に備え付けられた、
ビリビリとノイズの入るボロいスピーカーから
突如として伝えられた言葉に、
給食の豚汁を銀色のスプーンで口に迎えたまま停止してしまった。
例え話をしよう。
小学生にとって台風というのは、
どうにもワクワクする期待値の高いフレーズだ。
全く原理はわからないが、無意味にちんちんが勃起してしまう事もある。
それは台風が、時速5〜60㎞と言うヤンキーの原付ほどの速さで
学校が休みになる可能性を引き連れてくるからだ。
これは単に、学校が休みになるという事に期待しているわけではなく
重要なのは「もしかすると休みになるかも」というところだ。
朝起きてテレビをつけると「ハロー警報」なるフランクな警報が
文字通り画面の下側に「こんにちは」していれば学校に行かなくても良くなるという
この一種のギャンブル性が、期待値を跳ね上げているに違いない。
そう言う見方をすれば、今この状況はさしずめ
「宝くじの一等」にでも当たった様なもの。
「〜大分郷で起こった事件に伴い、本日の授業は昼までで終わり一斉下校となります。各クラス担任の〜」
聞き間違いじゃなければ、スピーカーからはそう聞こえた。
よしんば聞き間違いだったとしても「昼で」「終わり」「一斉下校」
そのキーワードが含まれているならば僥倖に違いはない。
放送終わりのチャイムが鳴ってから一呼吸
静寂がクラス内に訪れ……直後、歓喜のざわめきが爆発した。
皆口々に、好き勝手な喜びの言葉をあげているが
ここで担任の教師が手を叩きながら、大きな声で注意を誘う。
「みんなの気持ちはわかるが、さっきの校長先生の放送で事件があったと言っていたのは、きちんと聞いたか?」
確かに、そんな事を言っていたような、いないような。
「一斉下校がどんな時に行われるか、みんなも五年生ならもうわかると思う」
担任の教師は「その事をよく考えて、この後下校までの時間を過ごすように」そう付け加えてから、昼食の再開を促した。
先生の問いかけに、少年もしばし頭を回してみる。
確かに、先生の言う通り、五年生にもなればだいたい察しがつく
こういった急な一斉下校が行われるという事は
どこかで、犠牲者の出た残酷な事件が起こったに違いない。
しかし少年からすれば、そんな事はどうでもよかった。
こう言うのを「ふきんしん」と言うのだろうが
今までもこれからも自分には関係しない人間が
どんな死に方で何人死のうが
脚本で練り直し、哀愁のある音楽と
激情をフィルターするカメラワーク等で再現映像にでもしてくれなければ
気の毒だとか、可哀想だとか言う気持ちはあまり湧いてはこない。
少年は、直感的かつ習慣的にそう思った。
きっとクラス連中の多くは少年と同じ気持ちのはず。
つまりは、「ふきんしん」でもなんでも良い
早く帰れると言う事の方が大事なのだ。
だから、給食後の掃除中、特に自重するでもなく友人とふざけていた少年は
クラスの真面目な女子に突っかかられて言われた言葉に面食らってしまった。
〜以下回想-(掃除時間)〜
「わかってるぜ?…こいよ……テメーはこの30cmものさしで殺り合いたいんだろう?」
そう言いながら、竹製ものさしを逆手に構え近づく少年を、
背中越しに睨みつけるトンズラ(あだ名、本名は田中)は
ゆっくりとランドセルから銀色の定規を引き抜き少年と向き合う。
「ほう…多少腕に覚えがあるようだが。この俺のアルミ製ものさしに、その竹製ものさしでサシで殺り合うつもりか?ものさしだけに」
カビも生えないような、くだらないジョークで少年を挑発しながらも、
トンズラは獲物を構えしっかりと間合いをとった。
「さてはお前さん、新人か?腕の良し悪しは性能じゃない経験で決まるのさ」
その少年の言葉にトンズラは、両手を上にあげて、更に小馬鹿にした様な態度をとってみせる。
「ふん。確か2年前にも同じ様な事を言った奴が居たが……あいつはどうなったかな?…忘れてしまった……」
その言葉に少年は、眼光を研ぎ澄ませた。
2人の気迫がぶつかり合い、緊張が走る。
「そういえば」
固まりそうなその空間に一滴投じたのはトンズラ。
少年はトンズラの言葉を固唾を吞んで待つ。
少年の様子を見たトンズラは
これでもかと言うほど憎ったらしい表情を捏ねた。
「同じく2年前くらいだったなぁ……理科室の人体模型が一つ増えたのはよぉおおお!!」
アルミ製のものさし特有の滑らかな面に
昼時の眩い陽光を反射させたトンズラ。
少年は不意に網膜に流し込まれた光量にまごついた。
戦いの火蓋が切って落とされる。
「やろぉおおおッ!!」
「イヤッハァアアッ!!!」
「ちょっと!!雨永くん達!いい加減にしなよ!先生が言ってた事聞いてなかったの!?」
カチャカチャとものさし同士を無造作にぶつけ合う2人に対し
同じく掃除をしていた女子3人グループが
怒り心頭と言った様子でプンプンと、しゃしゃり出てきた。
「へーん!うるせー!性能じゃない経験なんだよ!」
「それ言いたいだけじゃない!!」
「なんだようるせーなー!」
「ちょっと言いたい事あるんだけど!」
女子生徒は、2人ほど後ろに仲間を侍らせたまま
少年の目の前に立ちはだかり腕を組んで喋り始めた。
なお、田中は、そのあだ名に恥じない速さで消えたのでもう居ない。
「雨永くんさ!この前の社会の時間、新垣さんの席座った時、座布団、上にあげなかったでしょ!みんな言ってたよ!」
一瞬、思考が停止する少年。
一体こいつは何を言っているんだ?
あれ?先生の言ってた話がどうとか言ってたのに
社会の授業?新垣さん?どう言う事?
何が起こって、なんで怒ってるんだ?
性能じゃなくて経験なのか?
「あ…?なんだそれ…か、かんけーないね!!知らねーよ!」
「みんなに嫌われるよ!!」
「うわー!かわいそー!」
「サイテー!!」
「っ!?」
1回しか喋ってないのに、3回も返事が返ってきた。
3対1のこの構図は、1ターンの間に数回行動するゲームのボス戦の様、当然、少年はたじろぐ。
話の趣旨もわからないうえ、圧倒的不利なこの状況に
少年は、絞り出す様にこう言い返すのがやっとだった。
「う!…うるせー!ばーか!!」
〜以上回想終わり〜
いやいや…なんの話だよ!!
と、ツッコミ待ちしている芸人の様に
大袈裟に転けたくなるような脈絡のないエピソードに思えるのだが。
確かに少年は面食らい、ショックを受けたのだ。
まず、自分が先生の言葉と、事件の被害者をないがしろにしたと言う微量の罪悪感から
もしかして、そんな非道な奴は自分だけなのでは?と言う不安に駆られ
そんな自己中心的な奴だから、クラスの女子が嫌がる事をして嫌われてしまうんだ……。
というナイーブな小学5年生男子がやりがちの典型的な被害妄想である。
こういう類の小学生女子達は、
2〜3人を「みんな」と豪語し
訳のわからない「法律」を勝手に作り
それを犯した人間を無意味に攻撃する。
そういう熱帯雨林とかにいる
奇虫の様な習性を持つ生物だと少年はまだ知らない。
あっけらかんとして見えて、この時期の男子というのは意外とデリケート
だから、せっかくの「高額当選」は、変な虫の習性に蹂躙されて、半減してしまった。