6・殿下、自身の決定したその後について見聞す
院長に任せた戦術研究は見事に成果を出してくれた。
購入した小銃が届いた時には造兵廠で怒号や悲鳴が上がったというが、仕方がないだろう。なにせ、あの精密機械を作るスイスの製品だけに、明治日本での生産など土台無理というモノ。
おかげで工作機械の購入からすべてを揃えていかなきゃ部品供給も開発もままならんという金食い虫になってしまった。
ただ、気が付いた人も居たようだ。小銃として使用する前提なので、重量わずか4キログラム。考えようによってはこれをモノに出来れば歩兵に持たせる機関銃が造れるんじゃね?と。
それを聞きつけた俺は、「機関銃にするならピストルグリップと狙いやすい直床型銃床ね♪」と、解説してあげた。
自動銃を制御するにはボルトアクション銃で一般的な曲床型では都合が悪い。肩と腕でしっかり保持しようと思えば、どうしても反動を直線的に受ける直床型銃床とピストルグリップになる。
重量を抑えるために全長も銃身も短いので三八実包をそのまま使っては火炎過大、ガスポート詰まりという事態を引き起こす事にもなった。
そこで、減装薬としていっその事薬莢も変更して三八とは別の規格にしてしまった。
というのも、三八実包はセミリムド。薬莢には薬莢の底に縁が飛び出たリムド薬莢、大砲やリボルバー銃、或いは古いタイプのライフル弾がこれに当たる。そして、三八みたいなセミリムド。薬莢の底を絞って溝を付けているけど、筒径より縁が飛び出したタイプ。そして、リムレス。九七実包や現代のNATO弾のように、筒径と縁が同径のもの。他にも分類はあるが、まあ、リムについてはこの三種類が一般的、他にも特殊なものがあるが、まあ、それは良いだろう。
なぜリムレスにしたのか?というと、後々機関銃が標準化されると、リムドやセミリムドでは装填や排莢のトラブル、いわゆるジャムの要因になりかねないからだ。つまり、縁が引っかかって取れない、入らないという事が起こり得る。そのため、先を見越して改めることにした。
開発者はその説明に納得してくれたので、開発自体はスムーズに行えた。問題は銃本体だが、まずはスイスにその新型弾薬に合わせた製品を依頼し、後に日本国内でのライセンス生産のために工作機械を輸入した。
ただ、銃がバカ高いので歩兵全てにいきわたらせることは不可能だった。
そのため、実包の方を三八歩兵銃に適合させるように弾頭重量も弄って何とかしてもらった。が、最終的には三八も短小銃化して、銃身を少し短くして何とか適合させるという状態になった。
一応、四五式実包として、銃の制式採用は遅れて三年式自動歩兵銃として採用された。
戦艦はどうなったかと言うと、三連装砲塔の開発が難航した。河内の起工に間に合わせようとしたが、間に合わず、艤装までには何とかなりそうだという事で三連装計画のまま工事を進め、何とか竣工を遅らせずに済ませることが出来たらしい。
運用でも水圧機の問題などが出たようだが、イタリアからの指導もあって、何とかそこを乗り越える事は出来たのだという。
どちらかと言うと、三連装という事で英国から問い合わせや協力の申し出があったそうで、英国戦艦史を変えてしまうのかとも思われたが、そんな事は無いらしい。逆に、やはり、更なる大型艦建造に向けて、巡洋戦艦を英国に発注したそうだ。
まあ、イタリアでは限界があるのも確かだからね。
さて、気になっていた合邦問題なんだが、会議での決定は覆ることなく実行されているらしい。
何より驚いたのは、併合を行わないどころか統監府すら廃止し、内政をすべて李朝に戻した事だった。
その結果なのか、俺が元老を要職から退けさせたからなのか、暗殺事件が未遂に終わっている。ただ、ハルビン駅へ別の人物が向かった事から、暗殺に至らなかったのかもしれない。
ただ、未遂であって何もなかったわけではない。武装した韓国人が駅で官憲に拘束されている。
この事件によって、合邦派は再検討を主張したが、日本政府が行ったのは、そんな儒教的な施しではなく、まさに欧米式の植民地政策的なモノだった。
「殿下、朝鮮になにか資源があったりしませんかな?」
そう聞かれたので、北部山岳地帯は資源が豊富だったはずと伝えると、即刻韓国政府に北部山岳地帯の租借を要求している。
拒む力のない韓国政府はその要求をのみ、日本が山岳部を統治し、鉱山権益を押さえる事になった。
そして、そこで働く労働者については、その調達を両班や韓国商人が行い、彼らは鉱山で働く労働者から様々な理由でその賃金を毟り取っていった。当然、日本はそのことにとやかく言わなかった。雇用企業が最低限の衣食住と健康管理を保証しているので、労働自体には支障が無かったからだ。あとは、韓国人同士の問題なので、関わろうとしなかった。
仮に介入しようにも、商人や両班から「その労働者には借金がある」と言われてしまえばそれまでだった。
そうして北部山岳地帯では日本企業が進出し、外国企業の参入も認めたことから、いくつかの欧米企業も入ってくることになる。そこへ労働者を送り込むのは韓国商人や両班。
両班や商人はその実、半ば強引に人攫いで頭数を揃え、企業に「紹介」している状態だった。その時に仲介料を要求し、労働者の口座だとして自分たちの懐に金が入る様にもしていた。
当然、韓国内でもこれは問題となったが、摘発しようにも主導しているのは両班であり、摘発にも限度がある。仮に強権を発動しても、代わりに配置された両班が同じような事に手を染めるのだから改まりようがない。
南部においては日本へのコメ輸出で潤う両班が多く居た。
日本の自給率はまだ低く、米の輸入が行われていた。そこで、韓国南部では農民から奪い取ったコメを日本へ売る事で収入を得る商人がいた。当然、両班が絡んでいるのは当然だった。
政府は彼らを摘発しようとしたが、理由がない。仮に、何らかの嫌疑で捕らえたところで、北部同様、代わりの両班が対日輸出に手を染めるだけだった。
こうした事から韓国内には反日勢力、反両班勢力、反李朝勢力、開明勢力などが入り乱れて権力闘争が繰り広げられ続ける状態となっていた。
北部富裕両班は更なる富を求めて反日勢力に加担し、企業から用心棒代を取るマッチポンプもやっていたし、南部両班は開明勢力と組んで農業改革を行い、さらなる対日輸出に勤しもうとして他勢力と闘争を繰り広げている訳だ。
正直、こんなアフガンやシリアみたいな状態の所に首を突っ込むのは自滅行為というほかなく、韓国の振興に協力していた元老は肩を落として失望していた。