3・殿下、日韓併合を語る
「それはどういうことですか!」
会議の場に怒鳴り声が響き渡る。ガキが偉そうに言ったのが気にいらないのか、元老が顔を真っ赤にしている。
「方々は何やら勘違いしておられませんか?」
そう言うと、何言ってんだおまえと言わんばかりの顔が一斉にこちらを向いた。
「方々の過去の偉業に異議があるのではない。現在行おうとしている事態に関して、まるで理解されておられないことを指摘しておるのですよ」
しかし、「何言ってんだおまえ」という顔でこちらを向いている。
「方々にとって、我ら天皇家こそが徳があり、120余代も連綿と続く高徳家以外が日本を治める資格なし。と、考えておられる事でしょう」
そう言うと、そんな当たり前のことを言うなという感じだ。
「しかし、それはあくまで日本について。それをそのまま朝鮮、シナへひろめることは危険極まりない事です」
ハァ?といった感じだ。
「朝鮮、シナにおいても徳のある者がその地を治めるという考えは同じです」
だから何だという元老たち。
「そして現在、韓国やシナにおいて活動する方々には、日本、朝鮮、満州、漢、蒙古による大同なる考えの者も居られるようだが、その五族の徳者となるのは父ですか?」
そんなの当然だという者、それぞれの団結だという者がいる様だ。
「父がすべてを束ねる徳者であるというならば、他のいずれかに新たな徳者が現れた場合、争いは必至。団結など霧散してしまうでしょう。それだけではなく、我が国もその新たな徳者の配下となるやもしれません」
呆れた元老が居たようだ。
「殿下、何の話をしておいでですか?」
そう、聞いてくる。
「韓国合邦の話です。我が国が韓国を治めるという事は、後の世において、韓国が我が国を治めることも当然となるという話です」
バカかといった目で見てくる者も居る。
「今の力関係ではそうでしょう。そして、日本における歴史に照らせば、起こり得ないと言えるのでしょう。しかし、それは日本の考え。朝鮮において李朝が興ったのは500年ほど前。室町の世の出来事ですね。それ以前は高麗国であった。高麗も千年ほど前、新羅の混乱を収めて興った国です。かの半島においては、その様に幾家かの徳者の代替わりを経ており、徳者の交代を当然としている。シナにおいては何をかいわんや」
そこまで言うと、言いたいことが分かった人も居たようだ。
「つまり、殿下は合邦によって天皇家に危機が訪れるというのですかな?」
どうやらここにおける俺はそのような能力者設定らしい。
「そうです。早ければ迪宮親王の御代に凶運が訪れると出ております」
元老たちもそれを聞いて騒然としだす。
「それは、合邦のためですか?」
俺は頷いておく。実際にはそんな単純な話ではないのだが、そう言った方が今は良いと思う。
「合邦、そしてシナへ出ていくことによってです。我が国にも天皇による統治でなくともよいという考え、天皇排除という考えを引き入れてしまうからです」
実際のそれは共産主義だが、今はそう言った方が都合がよい。
「よく考えて頂きたい。シナにおいてはいくつもの王朝が建ち滅びた。時には数多の国が出来ていた。五族が団結できるというならば、数多の国が並び立ち、幾百年と太平であったはずではないですかな?シナにおいてそうならなかった事は、徳者を唯一無二として他の者を排除、臣従させることによってのみ、治めることが出来たからです。これから方々やシナ、朝鮮で活動されておられる人々が行おうとしておるのは、『天皇も排除、臣従させられる側』へ追い込む行為に他なりません」
そう言って全体を見回す。そう言った能力設定なので誰も反論して来ない。そもそも未来の分からない出席者には、具体的な反対意見など出せないのだから当然だ。如何にか打開策をと考えているようだが、その答えは見つからないらしい。
そもそも、日本において儒教を国の基幹としたのは家康だった。それは天皇家を守るためではなく、将軍家を守るために。しかし、いつの間にやら日本を治めるべきは将軍ではなく天皇ではないのか?という考えが出てくる。
幕府というのは江戸幕府で三つ目になるが、その間ずっと天皇は存在していた。日本から朝廷が消えた時代は無かった。
武家支配はコロコロ変わっても朝廷は変わらない。ならば、この国の支配者とは誰だろうか?将軍ではなく天皇ではないのか?
そう考えるのに時間がかかるはずはない。
そして、儒教の聖地である中国に日本は隷属すべきなのか?
そう考えた時、中国大陸では数百年おきに王朝が交代しているのに対し、日本では有史以来天皇家が打倒された歴史は無かった。
そこで、儒教を学ぶ者達は考えた。「あれ?天下は徳者が治めるってんなら、清や李氏より天皇家の方が徳があるんでね?だったら、日本こそがシナ、半島を治めても良いよね?」と。
帝国主義ウンヌンというけれども、日本において根底にあるのは、欧米の植民地支配の猿真似ではなく、「高徳なる天皇家による天下の支配」だったのではなかろうか。その天下というのが中国であり朝鮮半島だった。
五族協和というのも、「高徳なる天皇の下の協和」という意味になる。
いくら日本の歴史教科書や研究者の著作を読んでも分かりはしないが、天皇こそが朝鮮、シナを治める資格があるんだと考えたとしたら、戦前日本が何をやったかおぼろげに見えて来るんではなかろうか。
「朝鮮を発展させてやった」だの「満州は中国で最も治安が良かった」だの言う話は、一面では確かであり、一面では大間違いと言える。
それらは全て「高徳なる天皇の治世において、施されたもの」であって、徳の施しなのだから、搾取のみの植民地支配を行うという考えとは対立している。だからこそ、朝鮮や満州への投資が行われ、治安を安定させることに尽力していた。
儒教的な背景を抜きに、日中、日韓の歴史問題を考えれば、「なぜ、韓国や満州を発展させた日本をあそこまで恨むのか?」となる。
だが、当の韓国や中国にしてみれば、「徳のない天皇が高徳なる韓国政府や共産党に打倒されたのだから、日本が平伏し臣従しないのはおかしい!」となる。
これこそが、本当の「歴史認識のズレ」という奴ではないのだろうか。
日本では戦後、儒教的な考えを徹底的に排除したが、そもそも300年しか儒教に漬かっていなかった。千数百年儒教に浸りきっていた中国、韓国の人々には、日本人にとっての言霊の如く、ごく自然に、習慣の一部としてしみついてしまっており、思考の際には儒教的な価値観で行われる。そう考えれば、このズレは辻褄が合いはしないだろうか。
だったら、はじめっから儒教的な施しなんか排除してしまった方が良い。日韓併合?トンデモナイ!