22・殿下、ロシアの恐ろしさに震撼す
内蒙古の自然環境は非常に厳しかった。
そんな環境での移動手段は自然と馬へと変化していく。なにせ、輜重をどんなに強化したところで、そもそも鉄道や道路の整備が進んでいない地域の輸送は馬などに頼るしかなかったからだ。
馬での移動が主体となると、最も困難なのがクソ重たい無線機だった。ハンディとまではいわないが、壊れにくくてランドセルクラスの小さな無線機が欲しいと思った。
飛行機もようやく全金属製になりだしたばかりで、無線機を小型機に積めるようなご時世ではなく、陸空の連携はまだまだ問題が山積みしていた。
それでも航空偵察を行い、馬になれた連中に偵察を任せ、何とか連れてきた砲兵に支援砲撃を頼む。出来れば攻撃機による支援を求めたいのだが、生憎とまだそんな機体を作るほどに完成されては居なかった。シュトルモビクや九九式襲撃機とかがあれば良いのだが、高望みだろう。
そもそもこの時代、双発機の方が優速の時代で戦闘機不要論なんかも唱えられていた。例えば、この時代に初飛行しているツポレフSBは戦闘機より速かったし、コレと同じ運用思想で日本陸軍が開発した九九式双発軽爆撃機だって九七式戦闘機とほぼ同速だった。
爆撃機は逃げる時には一直線に飛べばよいが、それを墜とそうとする戦闘機は、射撃位置に就くために旋回や上昇、降下と言った運動が必要になる。そうすると、一定速度を維持することができず、相手に引き離されることになる。戦闘機がよほどの優速を得ていなければ、爆撃機は逃げ切る事が出来た。
世界中で1930年代とはそう言う時代だった。
そのため、航空支援を望むと双発機が出来上がってしまう。それがどうなるかは、九九双軽やJu88を見ればわかる。モスキートみたいな成功作を作れたら良いが、事はそう簡単ではないんではなかろうか。
そうは言っても、この頃にはこの頃なりの事情があった。
エンジン一基あたりの出力が小さいので、単発ではあまり装備を盛り込めない。何かを作ろうと思うと双発機が都合がよかった時代だった。
だからと言って、屠龍やHe110は少々時代に乗り遅れていた。先に飛んだSBは時代の波に乗り、それを追いかけた機体群の多くは時代を間違える性能となっていた。
まあ、ウダウダそんな話をしても仕方がない。
十分な燃料の集積を行いながら装甲部隊が騎兵の後を追いかけるというちょっとおかしな戦線がそこにはあったんだ。
そもそも、ここ、どこ?黄河に沿って随分西までやってきた。そろそろ内蒙古の境界を超えるだろうというところで、ようやく進軍を停止することになったわけだが、なんともすごい所だ。そもそも広すぎる。史実の陸軍はよくこんなところへ攻め込もうと思ったもんだ。
まあ、地図を見ればここから南下すれば蘭州を突けるという場所だ、何百キロか行けば。気が狂った奴らならば、そう言う事をやろうとしたかも知れんな。俺はやらん。
そんな最果ての様な場所で一年ほど過ごして帰国した。技術系の連中に小型無線機が欲しいと愚痴ったのは仕方がない話だと思う。
日本へ帰ってみると、特に何も変わってはいなかった。クーデターが起きたとか、右翼がどうしたみたいな話は無い。
そうした話の根源を潰しているのだから当然だ。そして、この時期には陸海軍ともトップが皇族だったはずだが、その動きは無い。皇族軍人が居ないのではなく、その動きが無いのだ。
陸海に次いで空軍が創設され、三軍を束ねる統合参謀部が出来たことで、史実の様な派閥争いが起きていない。現役を退いたとはいえ、未だ院長元帥の威光は陰りを見せず、彼の教え子たちが要の統合参謀部を動かしている。
ただ、その参謀部はプロイセンの参謀部ではない。その利点も欠点も院長元帥は現地で見て来ているので熟知しているんだろう。そして、第一次大戦の欧州派兵における総司令官として欧州へ赴き、現地の教育を目の当たりにして、乃木式教育には大きな変化があったという。
そして、その教育法を軍にも普及させている。陸軍や総参謀部で働く若手にはその教育を受けた者も多い。史実で絞首刑台に立った秀才も、どうやらここでは院長元帥の影響を受けた一人であるらしい。総参謀部で働いている。
ちなみに、帰りに大連で交換条約後の朝鮮について詳しく聞いてみたのだが、恐ロシアだった。
満州や東部シベリアにおいては近代国家としての政策を行っているロシアだが、どうも朝鮮については違うらしい。ユークボートルやウースチェリースクは朝鮮とは隔離された街としてロシア人街が形成されているのだという。
シベリアや中央アジアの荒野でなら分からなくはない。しかし、なぜなのかと聞いてみたら、あそこはそう言う土地という回答だった。さらに、私的な話として、将来的には朝鮮族をヤクーツクをはじめとした北部地域へと分散移住させる計画もあるという事だった。なんか、聞いたことある話の様な気がする。中央アジアやバルト諸国の人たちってそんなことになってたんじゃなかったか?
とはいえ、すでにあそこはロシアの領土、何をどうするか日本人が口を出す事ではないだろう。




