歯ぁ食いしばれっ!
抜いていったモータサイクルが、速度を落として路肩に停まった。
乗り手は携帯を取り出して、電話をかけている。
そんな様子をぼんやりと眺めながら、メガネの男はモビルを走らせた。
頭の中で、ガラの悪い未来予想図を描く。
まずはどこかで、水野家を騙す計画を相棒に詳しく話してやるか。士家を相手にするのは命がけだが、そのぶん見返りもデカい。ヤツラの体面を利用すれば、大金が稼げるはずだ。
それから、女の身体をゆっくり味見しよう。
本当は今すぐにでも強姦したいが、相棒が機嫌を損ねても困る。つーか相棒はなんでヤりたがらないんだろう? もしかしてアッチの気があるんじゃねぇだろうな?
どうやら諦めたのか、女はすっかり大人しくなった。くそっ、エビ反りの変な格好がやけに興奮させやがる。この女は……仲間に出来るようなら、生かして使おう。ダメなら水野家から金をせしめたあと、始末してしまえばいい。
どうせ危ない橋を渡るんだ、それ相応の大金を掴まなくちゃな。
あーくそ、早いところヤリまくりたいぜっ!
アカネの裸体や山積みの札束を妄想しつつ、だらしない顔でニヤついていたメガネの男は、ふとバックモニタを見て面倒くさそうにつぶやく。
「なんか来たな」
その声に顔を上げた長身の男が「なんだ?」と問う。メガネの男は黙ったまま、バックモニタを指差した。オレンジ色の街灯が浮かぶ薄暗い画面には、小さな光点がポツリポツリ見えている。
「ああ、夜な夜な走ってるガキどもか。この光だと、モータサイクルか?」
モ-タサイクルと言う単語に、アカネの心臓がどくんと鳴った。
ダメだ! 変な期待を持つな! そんな話があるわけない!
現実はブックデータの中の「お話」とは違うんだ。ここで期待が裏切られたら、絶望で戦えなくなるよ、アカネ!
そう自分に言い聞かせるのだが、それでも心臓は高鳴るのをやめない。
「おぉ、もう追いつきやがった。すげぇ速さだな。狂ってるぞ、あいつら」
「相手にするな。速度を落として追い抜かせろ」
「わかってるよ。ちぇ、今ならナニしても捕まらねぇのになぁ」
「わざわざ目立つことはない……ん? なんだ? 様子がおかしいな」
数台のモータサイクルは、赤いモビルのそばに来ると、急に減速した。そしてそのまま、まるでカラむように近づいてくる。一台が前をふさぎ、残りは横や後ろを囲み、という風に統制が取れていた。
「ち、めんどくせぇな。俺たちを止めて、ユスリでもやろうってのか?」
「派手なモビルだから、からかってるだけだろう」
長身の男が冷静に分析する。対してメガネの男は、不愉快そうに頬をふくらませた。
「どうせ捕まらねぇんだし、面倒だから、ぶつけて転ばしちまわね?」
「万が一、走れなくなったら事だ。だまってやり過ごすほうがいい」
「あぁ、そうか……うーん、でも趣味じゃねぇなぁ」
公定速度まで落とした赤いモビルは、そのままおとなしく走る。
すると後ろから、さらに幾つかの明かりが追いついて来た。今度はモータサイクルではなく、スポーツタイプのオートモビルだ。流線型の車体が三台、モータサイクルと入れ替わって彼らを囲む。
「くそ、モビルに囲まれたら面倒だ。前のモータサイクルにぶつけるぞ」
「仕方ないか……しかし、このモビルで逃げ切れるのか?」
「こっちは、ヤツラのポンコツが何台も買える、最高級スポーツ車だぜ?」
言うなり、メガネの男はアクセルを踏んだ。急激な加速にアカネの身体は後部座席へと押し付けられる。
明らかに、ぶつける意思を持った加速。
しかし、前をゆくモータサイクルは動じなかった。こちらもアクセルひとつで一気に加速する。そうなれば軽いモータサイクルの方が、男たちのモビルより速い。加速したモータサイクルは、そのまま闇に消えてゆく。
すると周りにいたモータサイクルも、次々と加速する。テールランプの赤を残して、あっという間に消え去っていった。
残った三台のオートモビルは、包囲するようにしてついて来る。
「くそ、ナメやがって! ぶっちぎってやる」
「モータサイクルはどうする? 前で待ってるかも知れんぞ?」
「こうなったら遠慮は要らねぇ、ハネ飛ばしてやるさ」
「正面からぶつかるのは避けろ。動けなくなっては元も子もない」
メガネの男は返事もせず、アクセルを踏み込んだ。
高級スポーツモビルだけあって、違法アプリはインストール済みらしい。公定速度の二倍を超えながら、赤いモビルはさらに速度を増す。しかし、周りにいたモビルたちは、なんなく付いてきた。
「へえ、けっこう付いてくるもんだな。よーし見てろ!」
「おい、気をつけろよ?」
赤いモビルと夜棲たちは、けん制しあいながら夜の高速を駆ける。
前に出て進路をふさぎ、横に出てスペースを潰し、後ろにベタ付けで追う。
包囲された誘拐犯の赤いモビルは、なかなか抜け出ることが出来ず焦っていた。
やがて長い直線に入ったところで、メガネの男はアクセルをいっぱいに踏み込む。蹴飛ばされたような加速で、赤いモビルは車群を抜けた。速度はそのまま、公定速度3倍の大台に乗る。
「へ、こっちの方が速いぜ!」
叫んだメガネの男の表情に、しかし、言葉ほどの余裕はない。公定速度の3倍近くを「ただ出す」のと「その速度で走り続ける」のには、技術的にも肉体的にも、そして精神的にも雲泥の差がある。
離れて付いてくるヘッドライトを時折バックモニタでにらみながら、直線が終わり道が曲がり始めても、メガネの男の速度はあまり落ちない。
「こんな速さで、大丈夫なのか?」
心配そうな長身の男に、答える余裕も失いつつ。
やがて道は帝都高速でもっとも曲率の大きい左カーブへさしかかる。ぐーっと曲がりこんだ二車線の道路なので、内壁に阻まれて行く先が見渡せない。そんなカーブへ赤いモビルが、公定速度2倍以上の狂った速度で突っ込んでゆく。
メガネの男の顔が引き締まり、後部座席のふたりは横Gで押し付けられる。
と。
「うわっ!」
メガネの男が叫んだ。
モータサイクルの集団が、内側車線に停まっていたのだ。
乗り手の姿は見えず、車体だけが10台以上、固まっている。
高速で曲がってる内側車線をふさがれ、男は外へハンドルを切った。間一髪、モータサイクルの群れを躱した赤いモビルは、外側の壁面へぶつかりそうになりながら、なんとか車体を立て直す。
メガネの男が、大きく息を吐き出した。
次の瞬間。
「わぁっ!」
突然、黄色と青に塗られたモビルが飛び出してくる。
そこはちょうど、道路皇団の管理施設、その車両で入口の前であった。メガネの男はパニックになりながらブレーキを踏み込む。ABSを効かせながら、見る見る減速してゆく赤いモビル。
本来ならそこからハンドルを切り、皇団のモビルを避けることも出来た。
現在のモビルに積まれたA.Iは、そのくらい性能がいい。
ところが、赤いモビルはそこで一瞬、コントロールを失った。
皇団施設の前だけ、路面がぬれていたのだ。
ドームに囲まれた皇都では、もちろん一滴の雨も降らない。当然、ぬれた路面へのA.Iの対応は、ゼロではないが充分とは言えない。なんとか車体を立て直すも、ハンドルを切ることは出来なかった。
モータサイクルの連中が彼らを抜かして先に行ったのは、内側車線をふさぐことに加えてもうひとつ。
この「仕掛け」をするためだったのである。
出発前イズモがみんなに買わせた、ひとり500ml×3本のドリンク。15人分あわせて22リッター以上の液体を「人工の雨」として、すべて道路にぶちまけたのだ。
車体はまっすぐ、皇団のモビルへ突っ込んでいった。
黄色と青の横っ腹が、みるみるせまってくる。
メガネの男は叫びながらブレーキを踏み、A.Iは高速演算をして最適の減速をする。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
皇団のモビルからほんの数センチ、ギリギリのところで。
赤いモビルはどうにか停まった。
◇◆◇
内側車線に並べたモータサイクルを移動させるために数人を残し、他の連中がヘルメットを脱ぎ捨てながら駆け寄ってくる。赤いモビルを目指すたくさんの人影に、メガネの男は冷や汗を浮かべながら歯を食いしばる。
すると長身の男が、冷静な口調で声を掛けた。
「ロックしてあるんだ、あわてるな。一度バックして皇団のモビルをよけろ」
「あ、ああ。わかった……くそ、ダメだ。後ろにヤツラのモビルが来てる!」
「大丈夫だ、ドアを開けなけりゃ何とでもなる」
「くそ、こいつらぶっ殺してやる!」
メガネの男が叫んだ。
そこへ駆け寄ってきた最初のひとりが、赤いモビルの後部ドアにとりつく。
そして、そのまま、何事もなかったかのようにドアを開ける。予想外のことに長身の男が驚いてるのには構わず、ドアを開けた男がアカネの身体を引きずり出した。
「なんてこった! ひでぇことしやがる!」
男がその無残な恰好に思わず声を上げた。その間にも別の男たちがモビルに取り付き、ふたりの誘拐者を引きずり出す。彼らが拘束されるのを横目で見ながら、男……ガンテツは声を掛けた。
「待ってろ、今、切ってやるからな」
ポケットからナイフを取り出し、プラスチックベルトを切ってゆく。
その声を聞きながら、アカネはもう、何も考えられないでいた。
まずエビ反りが解かれ、続いて両手が自由になる。ガンテツが足首のベルトを切っている間に、顔の布をむしりとった。べっ、とボールを吐き出し、服の袖でよだれまみれの口元をぬぐう。そして足首のベルトを切ったガンテツが立ち上がった瞬間。
アカネはそのまま、思いっきり抱きついた。
あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
ずいぶん大きな音がする、と思ったとたん。
それが、自分の口から出る泣き声だと気づく。
アカネはガンテツの胸に顔をうずめて、まるで赤ん坊のように泣き続けた。
「ガンテツさん、こいつらどうします? ちょっと面倒そうですよ」
イズモが横目で男たちを見ながら、そうたずねる。視線の先では、数人の男に拘束されながらメガネの男がわめいていた。長身の男は黙ったまま、鋭い視線をこちらに送ってくる。
そこへ髪を短く刈り上げ、道路皇団の制服を着た男が近づいてきた。
「ガンテツさん、マジで大丈夫ですか? これだけの騒ぎだと……」
「警邏に連絡したら無視されたんだ。こいつらワケありさ」
「なるほど、無視されたってことは、存在しないってことですか」
「ま、そういうことだ。しかし、悪かったな、ムリ言って」
短髪の男はニヤリと笑い、「イッコ貸しですよ?」と背中を向ける。
「道路皇団に勤めてるダチなんだ。仕事中なのに、手ぇ貸してくれた」
胸の中でまだぐすぐす言ってるアカネに、ガンテツがやさしく話しかける。それでようやく落ち着いたアカネは、コトの次第を語り始めた。いつの間にか、周りに集まってきた連中が、うめきながらその話を聴く。
話が進むにしたがい、男たちの冷ややかなまなざしが、誘拐者に注がれた。
大勢に睨まれて、メガネの男は虚勢を張る。
「てめえら、このままタダで済むと思うなよ? 全員捕まえてボコボコ……」
「だまれ!」
内に秘めた怒りを押さえつけながら、ガンテツが鋭く叫んだ。アタマ一つ以上大きく、横幅も倍はありそうなガンテツに睨まれて、メガネの男は一瞬、言葉を呑んだ。
それから、呑まれた自分に腹が立ったのだろう。急に暴れて、押さえている人間を振りほどくと、ガンテツに殴りかかってきた。それなりに鍛えているらしい、メガネの鋭いコブシがガンテツの顔めがけて飛ぶ。
がしっ!
飛んできた手の手首を左手で掴み、そのまま力任せに片手で男を吊り上げた。腕を上に引っ張られて身体がのびきり、男は無防備になる。瞬間、右のゲンコツを握り締めたガンテツが大声で叫んだ。
「歯ぁ食いしばれっ!」
ぶん!
唸りを上げて疾った右拳は。
ぼすっ!
メガネの男の胃袋に、深々と突き刺さった。
「歯ぁ、関係ないじゃん」
イズモが肩をすくめてツッコみながら、小さく笑った。
男は胃袋を破られて血を吐き出しながら、気を失って崩れ落ちる。
それを冷たい表情で眺めていた長身の男が、ここでようやく口を開いた。
「ひとつ不思議なんだが、どうしてモビルのロックを外せた?」
「緊急信号だ。皇団のモビルは、緊急のロック解除信号を出せるんだ」
「なるほど。それで自分らのじゃなく、わざわざ皇団のを使ったのか」
落ち着いてしゃべっているように見えた長身の男は、次の瞬間、急に駆け出した。周りには人が多いと見て、まっすぐガンテツに突っ込んでくる。横で見ていたアカネが「あぶない!」と悲鳴を上げた。
長身の男はフェイントを入れてから、反対側へ抜けようとする。構えていたガンテツは、しかし、男の動きを完全に読みきっていた。男が横を駆け抜けるちょうどそのタイミングで、ガンテツの左腕が唸りを上げて飛ぶ。
顔面に太い腕ごと浴びせられた男は、そのまま縦に回転し。
がっ!
後頭部から、地面に叩きつけられた。
「うほっ、ラリアット! ハデだねぇ」
周りの連中は感嘆しつつ、笑いながらはやし立てる。
イズモの指示で若者がひとり、プラスチックベルトの束を持ってきた。それを使って男たちを、アカネがされたとの同じ方法で拘束する。仲良く気絶したままエビ反りに固められた男たちは、赤いモビルへ荷物のごとく積まれた。
その姿を見ながら、ガンテツが優しい声でアカネに話しかける。
「ちったぁ、気が晴れたか?」
ガンテツの言葉にうなずきながら、アカネは小さな声で「ありがとう」と言う。
それからもう一度、今度はどさくさではなく、しっかりとした意思を持って。
ガンテツの胸に、思いっきり飛び込んだ。
「ひょー! いいなぁ。ガンテツさんばっかり」
イズモの声を合図に、みながニヤニヤ笑いながらからかう。
ガンテツは真っ赤になって、「うるせぇ」と怒鳴り返す。
もちろん、はしゃぐ彼らにとってそれは、火に油を注ぐ結果にしかならなかった。