9. 過去を清算して前に進もう
闇雲に走り続けてどのくらい経っただろうか。気がつくとギルド街の入口付近まで移動していた。
息はすっかり上がっている。「あの時」もこのくらい必死だったかもしれない。
「コーーーーージィーーーーーくーーーーーん!!」
遠くからリルハが駆け寄ってくる。律儀に追いかけてくれたようだ。
「大丈夫? なにかいやなことされた?」
「……あぁいや、そんなことないよ」
「……なにもなかったら、あんな風に騒がないと思う」
ずいっ、と迫り寄る栗色の瞳。「隠し事はしないほうがいい」と、たしなめるように。
……言うかどうか迷った。そもそも、ありのままを言っても、異世界では伝わらない気がする。
だけども、率直な気持ちぐらいは、告白してもバチは当たらないだろう。
「……ちょっと、トラウマで」
「トラウマ?」
「冤罪、ふっかけられたんだ。やってもいない悪いことを、『お前がやった!』って決めつけられて。それがたまたま女の人でさ」
リルハは黙っている。もとより返事を求めてるわけじゃない。構わず、独白を続ける。
「誓っても、自分はやっていない。だけど、その場では、その女の人が『世間的には弱い人』だったんだよなぁ。そうなりゃ、俺がいくら言っても悪者扱いになる。……それが嫌っていうか、なんか自信なくしちゃってさ。結局、そこから逃げ出したんだ」
「それって、もしかして、コージィの記憶がないことに関係あったり?」
「……さぁ。でも、その記憶だけあるってことは、なにかある……のかもな……」
もちろん、記憶喪失なんて、ウソっぱちだ。
だけど、前世を捨てるきっかけになったことはたしかだ。
「この人痴漢です!」に言い返せない、理不尽さ、やるせなさ、情けなさ。
そんな世界が嫌になったし、毅然と反論できない自分も嫌だった。
「でも、コージィくんは、やってないんでしょ?」
「もちろん、やってない」
「だったら、そのことで気に病んじゃいけないと思う」
――ハッとさせられるような言葉だった。
リルハの顔を見る。まっすぐな瞳は、おだてているように見えなかった。
「もし、悪いことをしちゃったなら、たっぷり反省すべきだと思う。けれど……『やってもいない悪いこと』なんでしょ? その責任も、埋め合わせも、それはコージィくんがすることなんかじゃない!」
……当たり前すぎて、なにも言えなかった。
きっと、複雑な現代の日本じゃ、通用しない可能性のほうが高いだろう。
だけど――人として、絶対に折れてはいけないことだ。
それを堂々と、はっきりと、こちらをしっかりと見て言えるリルハは、俺の目にはものすごく輝いて映る。あの時抱いた心のモヤを晴らしていくほどに。
「……それに、女の子って、思い込んだら一直線なことが多いの。『自分の考えは曲げたくない』っていう気持ち。気弱な男の子だと、それにちょっとびっくりして、なにも言えないことってあると思う」
「……そういう時の女の子って、どうしてあげるのがいいだろう?」
「――『女の子だけ』じゃないよ。きっと」
優しげに微笑む姿は、本当に聖女のように見える。
「自分の考えを、まっすぐぶつけるの。ぶつけあって、はじめてわかることがあるから!」
……こんな子と、31年の人生の中で出会えていたら、どれだけ幸せだっただろうか。
前世は取り戻せない。だけど、俺はいまこうやって「生き直して」いる。
「……ありがとう、リルハ。でも、俺にできるかな?」
「大丈夫! コージィくんならきっとできるよ!」
こちらの両手に手を添えて、彼女は満面の笑みで鼓舞してくれる。
こんなことを言ってもらえるのも、「女神の寵児」のおかげかもしれない。
だけど、前世でも、少し頑張れば手の届きそうな言葉な気もして。
二度目の人生だ。無駄にせず、前向きにやっていこう。