29. いずこより来たれり、黒翼の王
最高に空気の読めないタイミングで、長かったエレベーターは終着点に到着した。
リルハとともに眉をひそめながら、突如壁に開いた長方形の「出口」へと一歩を踏み出す。
「……マジ、か」
出口の向こう側は、ただただ広大な空間だった。
白一色の空間。あの、神さまが現れた空間を連想させるけど、決してここは異空間ではない。地下の岩盤を、見事なドーム状に切り抜いた「大空洞」だ。
見上げればおよそ3フロア分の高さはあろうか。だだっ広い空間にはなにも配置されておらず、「なにもかもが白い」という点を除けば、野球ドームにも似ているなと感じる。
その、意図的なまでに人工的な場所に――ヤツはいた。
黒曜石のような鱗に、鋭い真紅の瞳。
切り落としたはずの両腕は、何事もなかったように生え変わっており、全身に与えた傷という傷も、まるで見当たらない。
あの夜、この目に焼き付いた、漆黒の巨体。
討伐対象の黒竜は、あたかもボスモンスターのごとき風格で、そこに鎮座していた。
反射的に腰の剣に手をかけ――抜刀を思いとどまる。
「なんか、小さく、なったか?」
直感的に抱いた疑問を口にすると、剣山のような牙が生えそろった竜の口が開き、
「――左様」
言葉を、発した。
「……はっ?」
聞き間違いではない。だが、どう考えても、聞き間違いにしか思えなかった。
あの夜、激昂したヤツは、「言葉っぽい鳴き声」なら、たしかに発した。
だが、いま眼前に立つ黒竜は、はっきりと、流暢な「言葉」を発した。
……俺の頭がおかしくなったか?
「――マヌケ面め。だが無理もあるまい。オレも今さっき、言語機能をここまで復帰させたばかりだ。3日もかかったのは想定外だったがな」
おかしくなったわけじゃなさそうだ。隣のリルハも、「竜が人の言葉しゃべってる」と、ぽかーんとした顔をしてつぶやいている。
「……復帰させた、っていうのはどういうことだ? 『獲得した』ではなくって?」
「言葉通りだ。もともと有していた機能を手放し、そして取り戻したまでのこと。完全な徒労よ。貴様さえいなければ、わざわざ人語を話すだけの知性も必要なかったものを」
「もともと……? なのに、わざと手放した?」
「言葉とは人間が持つべき機能。獣には扱えぬ『過剰』な機能だ。故に、言葉を話すためには身体を人の側へ近づける必要がある。そのために竜としての力を削ぎ、結果として身体が小型化するだけのこと――無論、その逆もまた、然り」
「……だからあの時はそのまんま竜みてーな言動だったわけか」
知性と引き換えに得られる、凶悪なまでの破壊力を誇る巨体。
ただそこを歩くだけでなにもかも蹂躙できるなら、たしかに「考える必要性」すらなくなってくる。
「巨獣に敵なし」ということだろう。怪獣映画でも見れば、誰でも理解できることだ。
そして浮かぶ疑問。俺よりも先に、リルハが口にする。
「……それで、なんでその逆をやろうと思ったんですか?」
「ほう、あの時殺したはずだったが、やはりそこの男が蘇生させたか」
「質問に答えてください。わたしがいまここにいることとは関係ないはずで――」
「あるとも。そこまでの魔法を使える人間を相手に、獣では勝てない。それだけのことだ」
つまるところ、あれだけの魔法を行使した、俺を危険視した末の行動、ってことか。
黒竜の目を見る。獰猛さが減った代わりに、より鋭利な敵意が、俺に向けて注がれている。
「……そんなに俺が怖いってか?」
軽い挑発を投げかける。真紅の瞳が燃えたぎるように怒る――と思っていたが、その目は思慮するように細められた。
「違うな。『焦り』、そして純粋な『対抗意識』だ――『同類』よ」
「……同類?」
「コージィ、とか言ったな。貴様を殺す前に、一つだけ問うておこう――」
同類、という異質な言葉。その真意を正す前に、黒竜は、予想だにしなかった問いを投げかけてきた。
「――貴様、都道府県でいうと、出身はどこだ?」
「――――――ん?」
頭から漂白剤をぶっかけられたような感覚に陥る。
はて。俺はいよいよ本格的に頭がおかしくなったか。
目の前には「人語を話す竜」。まぁこの時点で自分の狂気を疑う。
だが、隣には、いよいよ両目に「?」を躍らせるリルハがいる。きっとリルハも聞こえている。今さっきのヤツの言葉を。
……「都道府県」なる単語を。
「……コージィくん、その、言ってること、わかる? 『トドウフケン』って……」
どうする。説明するか。いや、これまでの俺の経緯並に説明できない。そもそも行政区画の概念、この世界にあるのか。そういや。
「……すまん、リルハ。ちょっとだけ、ついていけない会話をヤツとするから、見守っていてくれ」
逡巡の末、説明を諦めた俺は、行儀よく答えを待っている黒竜に向けて告げる。
「埼玉県だ」
「ッカァーーーーー埼玉か、埼玉か……」
うなだれた。黒竜がたしかにうなだれた。「埼玉」を連呼しながら。
悔しそう。見るからに悔しそう。悩ましげに両目閉じちゃってるもん。
これアンブッシュできるんじゃない? あまりにしょうもないからやらないけど。
……その反応を見て、否応にもこの黒竜の「正体」を察してしまう。
「……そういうお前はどこ出身だ」
「栃木県」
「あぁ~~~……」
わかった。うなだれた理由がわかった。首都との距離だ。絶対そう。群馬県出身の同僚も同じリアクションしたことある。
ただただひたすらに無念な表情を浮かべていた黒竜だったが、ほどなくして、元の殺気立った竜の顔へと戻る。
口元には溢れ出す紫炎。視線に込められた殺意も、より一層強まる。
「……同じ転生者である時点で見過ごせないと思ったが、まさか、まさか同じ関東の中でも、一番気に喰わん県の人間とは! なおさら、生かしておけんな」
「待て待て待て! そんな小規模な理由で俺に殺意向けるワケ!?」
「戯け。大元の殺意に薪をくべただけの話よ。まぁ――東京の人間だったら、すでにお前を殺していたがな」
「……そこまで『同郷』の存在がお嫌いかね、黒竜さんよ」
さすがに、都道府県レベルの争いには嫌気が指してくるので、この流れでもっともヤツが気に食わないであろう言葉をぶつける。
案の定――真紅の瞳は、燃えたぎるマグマのように、爛々と輝きだす。
「無論だ。『最強の竜』として転生したのだ。この世界にオレより強い存在がいることなど、許しがたい冗談よ。ましてや『最強の人間』として、あそこまでデタラメな能力を振るわれては――なりふり構ってなどいられまい」
そこまで告げると、栃木より転生せし黒竜は、巨大な咆哮を上げる。
ドーム状の大空洞を遍く震わせる、大音量の雄叫び。室内であるせいか、音はさらに反響し、反射された音圧の渦が、台風の如き暴風を生み出す。
かろうじて踏みとどまり、見失わないようその巨体に視線を注ぎ続ける。
そして、異様な光景が姿を現す。
魔法陣だ。黒竜の身体を囲むように、3つの小さな魔法陣が回転し、それらが直線で結ばれ正三角形を描き、1つの大きな魔法陣を構築している。
その姿は、ドラゴンというより、魔王。
「――我が名は魔王竜・ナグルファル! 竜の身にして魔導を支配せし存在! 魔導に関してはこちらの方が先達であることを、思い知れ!」
魔法陣が禍々しく紅く輝き、黒竜――ナグルファルの頭上に、無数の火球が出現する。
それら全てが、一斉にこちら目掛けて放たれる。さながら、流星群のように。
……数えるのもバカバカしい個数。当然だが、避けられるわけなどない。
「――上等!!」
脳内から最上位の風魔法を探し当て、間髪をいれず呪文を詠唱する。
俺とリルハを包み込むように吹き荒れる、風の城壁。
雪崩のように降り注ぐ火球の雨が、吹き荒れる風に巻き込まれる。
膨大な数の火球は、暴風をもってしても消しきれず、呼び出した烈風の渦は、瞬く間に火柱となって霧散する。
「フン、防ぎきるか。ますます腹立たしい!」
生え変わった両腕を指揮者のように振り上げると、ナグルファルの足元で、魔法陣がさらに回転する。
「生憎、物覚えだけはとてつもなく優れた身体なんでね!!」
これ以上ヤツに魔法を撃たせるわけにはいかない。
剣を引き抜き、竜の魔導師と距離を詰めるべく、ありったけの早さで駆け出す。
悪いが、腕が立つのは魔法だけじゃない。なんでもありの「女神の寵児」の真髄、見せてやるよ。
「……ねぇ! 結局どういうことなのっ!!」
そして少し遅れて、リルハも怒りながら追いついてきた。ぶっちゃけ俺もわからん。




