1. 痴漢に間違われたら線路から転生だ
「この人痴漢です!!」
電車の中で突然叫ばれた。
スマホをポケットにしまったばかりの右手が、金切り声を上げる女にがっしりとつかまれている。
やばい。これは、痴漢冤罪だ。
予測不能、回避不能の、男にとって最悪の不幸。
しかも、よりにもよって、完全無実な俺に降りかかってきた。
「……やってない」
車内が騒然とする中、乗り換え駅についた電車が、ゆっくり扉を開く。
「――俺はやってないからなぁぁぁぁぁ!!!!!」
女の手を振りほどき、俺は電車から飛び降りる。
とにかく逃げるしかない。裁判をやっても勝ち目なんてない。逃げるは恥だが、逃げねば死だ。
人の波をかきわけ、ホームを全速力で走る。
後ろから「待てー!」という声。追ってきやがった。そんなに人の人生台無しにしたいか!
このままじゃ改札で引っかかって捕まるかもしれない。
こうなったら――
俺は思い切って線路へ飛び降りた。
そのまま線路の上を走り出す。ここなら追ってこないだろ。
とにかく、逃げるしかない。無賃乗車になるけど仕方ない。痴漢より、痴漢よりマシならば――
不意に、背中からなにかに突き飛ばさる。
鳴り響く警笛。
それが反対側からやってきた列車だと気づいた時には、俺の体はトマトのように、ぐちゃり、と潰れた。
* * *
「……えーっと、宝田耕司。埼玉県在住、31歳独身、宝田耕司くん!」
「はっ!?」
気がつくと、見知らぬ空間に立っていた。
前後左右、どこまでも真っ白な空間。そして目の前には、金髪で碧眼の小さな女の子が立っている。
「おぅ、気がついたようじゃの」
「ここ……いったい……?」
「ざっくり言うと死後の世界。そして、わらわは神さま。転生神じゃ」
「死後の……あっ!!」
ぼんやりとしていた記憶がにわかに組み上がる。
痴漢。冤罪。逃走。轢死。
我が人生、なにも起きないまま、31歳でゲームオーバー。
「うわあああああちっくしょおおおおお!! あのアマァァァァァ!!!」
「ぶっははははは! いやはや残念! 無念! かわいそうじゃのうおぬし! 31歳、彼女無し童貞。学歴も仕事も平凡そのもの。特に人生いいことないまま、痴漢に間違われた挙句に事故死。山手線内回りは1時間の運転見合わせときた!」
「うわあああ! ぜったい死体がひどいことにいいい!」
「ネットでもおぬしの話題で持ちきりじゃ! 『【悲報】痴漢冤罪で線路に飛び降りた会社員死亡。『俺はやってないからなぁぁぁぁぁ!!」』という断末魔…』ってまとめブログもあるぞ! ついてるコメント……『今年一番いやな死に方だ』……だって!」
「だって! じゃねーよ! 俺はエンターテインメントじゃねーよ!」
「あっ、他にも……『せめて女にキスしてから飛び降りるべきだった』……たしかに〜!?」
「たしかに〜!? じゃねーよ! つーかお前! なに!? 俺をまとめブログのコメントで煽り散らすタイプの神か!? 邪神か!?」
「いやいやいや。わらわは転生神。人の子よ。おぬしの死後、おぬしの行く先を決めるものじゃ」
ふと、神を名乗る女の子から、柔らかな光が発せられる。
まるで後光のようだ、と思っていると、光は俺の体をゆっくりと包み込み始める。
「いやー、こんなにも笑わせてもらったものの、おぬしが哀れなのは本当じゃ。無実の罪で死んだ魂を、わらわは悼む。そして、善き来世を与えたいと思っておる」
「来世……俺、転生とか、するんですか?」
「うむ。記憶はそのまま、容姿は美男子にしてやろう。ついでにいい感じのすぺしゃるな能力も1つプレゼントしよう!」
「あっ! これ知ってる! チートな能力もらって異世界に転生するやつだ!」
「話が早くて助かるの! では――宝田耕司よ、おぬしは次の人生で、なにを望む?」
ちっちゃくてあどけないのに、おだやかで、やすらかな、慈母のごとき微笑み。
生前向けられたことがない、すべてを受け止めてくれる微笑み。
あぁ……バブみ……「ちっちゃい子から産まれたい」って気持ち、今ならわかる、わかるよ……
いっそ死後の世界で、このロリ神さまに毎日膝枕をしてもらう生活も……
……いいわけない。俺は、童貞彼女なしのまま、痴漢冤罪で死んだ男だ。
やるべきことがある。情けない男のまま散った俺には、満たさねばならない「欲望」がある!
「――モテたい」
「――うむ」
「モテたい。女の子にモテたい。地上に存在する全ての女性に愛されたいです!!」
「承諾した! ドン引きするほどその正直な気持ち、ぜひとも応えようぞ!」
神さまが右手を振りかざした瞬間、体を包む光がより一層強まる。
それに合わせて、俺の体が徐々に、光の粒となってほどけていく。
31年の平凡な人生を共にした体が消える。
怖くはない。むしろ、奇妙なほどワクワクする。
あのクソッタレな最期を払拭できるのだから!
「ではな! 次こそ、善き人生を送るのじゃぞ――!」