1 灰色の街
この世に生を受けて以来十八年と三ヶ月を、この灰色の街で過ごしてきた。
いかにも街に何かがありそうな前振りだけど、街自体は特筆すべき点がない。
どこにでもあるような街だ。
世界規模のオシャレなコーヒー・スタンド店がある。
大きなデパートや書店、ゲームセンターがある。
道を歩けば、部活動を終えたジャージ姿の学生がウケるだのウケないだのじゃれあっている。
信号を待てば、向かい側でサラリーマンが腕時計にちらりと目をくれている。
俯けば、薄汚れた路傍のアスファルトにこびりつくガムと吸い殻。
仰げば、モノクロの曇り空を横切るように電線が走る。
何処かで見た風景。
平凡で見飽きた街。
じゃあどうして『灰色の街』なのさと訊かれたら、それはきっと、私の心のせいだろう。
私はこの街を無関心の海に沈めている。
自と他を隔てる無関心が他者との関係を阻害して、心が触れ合うことはない。
海を満たす無関心が、街から色彩と音とを奪い去り。
残るのは、鼓動が聞こえそうなほどにシンとした静けさと、常に付き纏う息苦しさ。
目には見えないけれど確かに存在するこの灰色の海に、私は溺れていた。
ありふれた光景だけで構築されたこの街は、非の打ち所がないほどに日常で溢れている。
当然ながら私もその一部なわけで。
少ないながらも友人に恵まれた私は、女子高生という役を誰から言われるまでもなく演じている。
「セッちゃん彼氏出来てたっぽい」
私は、某コーヒー・スタンド店・略称『スックス』で、幼馴染みのマーちゃんと放課後のカフェタイムを開いていた。
マーちゃんが机に突っ伏せて愚痴る。
マーちゃんは毛先だけ白みがかった金髪を指先でぐるぐると弄んでいる。髪の毛は見事なグラデーションだけど、手入れは大変そうだなと思った。
ちなみに、セッちゃんというのは仲良し三人組の一人だ。勿論、残り二人は私とマーちゃん。
正直な話、友人に恋人が出来ようと出来まいと興味がなかった。
たとえそれがどんな男だろうと、はたまた仮に女であったとしてもだ。
私の人生に直接影響を及ぼさない相手に割く心的リソースはない。
私はおざなりに相槌を打つ。
「へえ」
マーちゃんは下唇を突き出してぶーたれる。
「どうでも良さげに『へえ』じゃないよウミっち! 私たち三人でモテない同盟結成してたの忘れたの?」
「そんな事実はない。それよりセッちゃんは?」
「裏切り者はデートあるって」
セッちゃんより私の方が可愛いでしょ……と彼女は爪を噛んで悔しがっている。
マーちゃんのそういう腐った性根が駄目なんだよと思いつつも、飛び火を食らいたくないので黙っておいた。 人をたしなめられるほど上等な人格を私は持っていない。
しかし、陰口大会になりそうな予感がしたので、軽く軌道修正を図る。
「受験生だから恋愛してる場合じゃないでしょ」
「あ~、考えたくない。いっそ石油王相手に婚活しようかな、玉の輿狙いで」
「東大合格より望み薄だけど頑張れ。応援する」
「あばばばば」
それから記憶にすら残らない日常のあれこれを二時間ほど駄弁った。正確には、マーちゃんが一方的に喋っていた。
話題に興味はなかったので、内容については全然覚えていない。
夕暮れ。
日が傾き、空に朱が混じり始めたので、私はそろそろ帰ろう、とマーちゃんを促す。 マーちゃんはもうこんな時間か、と時の経つ早さに驚いていた。
テーブルに拡げられた私物を通学鞄の中に納める。
暫しの沈黙の後に、
「ウミっちは」
マーちゃんがおもむろに口を開いた。
不意に名前を呼ばれた私は驚きに手元が狂ってスマホを取り落とす。
ガシャと音を立てるスマホ。
「え」
顔を上げると、マーちゃんは空虚を見詰めていた。
「ウミっちは、やっぱり私にも興味ないの?」
「…………」
マーちゃんは馬鹿ではない。私が話を適当に聞き流していることくらい気付いていたのだろう。
性根が腐っているのはむしろ私の方だなと自嘲する。
この質問を幼馴染みから聞くのはこれで四度目だ。
この時私はどんな表情をしていいのかわからない。
ただ、虚しさとやりきれなさの蔦が胸に絡み付いた。
自然と口から零れる言葉は妙に乾いていた。
「そんなことないよ」
これを言うのも四度目。
自身の言葉の真偽すら覚束ないほどに、無関心の海は深い。
マーちゃんは、そう、と呟いて、
「帰ろ」
と通学鞄を肩に掛けた。
彼女の表情は斜陽の逆光に遮られて見えなかった。
隠されたその表情の正体を確かめようとは、思わなかった。
魅力も才能も、そして余裕すらもない私がどうして他人を好きになれる?
逆に、そういう私を誰が好きになる?
私はただ呼吸をするのに精一杯で、それ以外の感情――例えば『好き』――が生まれる余地はない。
そして、それが更なる『無関心』を海に注ぐのだ。
依然として私は海に溺れていた。