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2 脳細胞は減る一方

 十八歳を境に、脳細胞は減り続けるらしい。


 具体的には一日に約千個の脳細胞が、死滅している。また、他器官の細胞とは違い、脳細胞が再生産されることない。



 これをネット記事で知ったとき、僕は形容しがたい絶望に駆られた。脳細胞の死滅からは、どう足掻こうが決して逃れられない。

 記事曰く、人間の脳には平均一千億個の神経細胞があるので一千個の死滅を心配する必要はない、とのことだが僕にとってそれは安心材料にはなり得なかった。母数の問題ではなく、減るという事実が問題だった。



 脳細胞の死滅とは、つまり『僕』の衰退だ。

 『僕』の衰退は、僕の可能性を殺す。以前に出来たことが出来なくなる。 記憶が浸食されて風化する。挙げ句の果てに、呆けて死ぬ。

 知らないうちに、時間がヤスリをかけるようにして『僕』を削っていく。

 僕は、『僕』が白痴に晒されることが怖い。


 ちょうど十八歳の誕生日を迎えた僕は、今が盛りというわけだ。

 あとは、下り坂を転げ落ちるだけ。

 それならば先細る道程の果てを目にしてしまう前に、いっそのこと、自らの手で人生に終止符を打つべきではないのか?





「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」


「……ハムレットか。出し抜けにどうした」


「それが問題なのだ!」


「それはとっとこハムレット太郎」


「Yes」




 昼休み。

 僕は友人である優人と机を並べて飯を食っていた。優人は牛乳の紙パックを吸っている。我が子に飲ませるためのはずだった乳が個包装されて人類に提供されているのを考慮すると、逆説的に雌牛は僕らのママなのでは? とか考えた、りはしなかった。

今朝から考えている二択問題を目の前の彼に訊いてみることにした。



「優人はさ。突然トラックに轢かれて即死するのと、アルツハイマーになって自我が曖昧になりながら死ぬのと、どっちがいい?」


「エグいなオイ。食事中にする話かそれ……。マジでどうした」


「いや参考程度に」


「いったい何の参考なんだ……」


「いいから、ほら」



 優人はストローの穴をじっと見詰めて沈黙する。考え込んでいるみたいだ。

 教室では、金と白のグラデーションをした髪の女子が、小柄で中学生にしか見えない女子を彼氏のもとに行くか行かせないかで騒いでいる。それを一歩引いて静観していた長身の女子と目が合う。会釈をした。無表情の会釈を返された。



「俺は後者だな」



 視線を戻すと、優人はまだストローの穴を覗いている。



「なんで」


「年食ってボケるのは死を受け入れられる準備をするためって聞いたことがある。だとしたら自我が薄れて死ぬってのは、電池が切れるようにコロッとくたばるよりマシな死に方なんじゃねえの」



 知らんけど、と優人が付け加えた。


 優人の言うことは一理ある。


 確かに痴呆になるという過程は恐怖だけど、結果的に死の恐怖を回避できるのである種の救いではあるだろう。


 いやしかし。僕は思う。


 それならトラック、別にトラックじゃなくてもいいけど、即死でも良くないか? 過程を飛ばしてダイレクトに結果にコミット出来るのだから。

 そう言うと、



「どうして死に急ぐんだよ」



 俺は童貞のまま死にたくねえ、と優人がぼやきながら空の紙パックを潰す。

 するとストローから飲み残した白濁した液体が噴出して机に飛散した。

 うわ、スマン、と平坦な声を漏れる。



「あ、この馬鹿、僕の制服に付いたぞおい」


「スマンスマン。おスマン帝国」


「寒いんだよそのギャグやめろ」


「やだ」



 掃除用具入れの雑巾で机を拭く後始末に追われ、結局、納得のいく回答を得られぬまま昼休みが終わった。

 掃除の途中、チラッと教室の入り口を見ると先程の金髪女子が地に伏して意識を失っているのが見えた。





 放課後、僕は教室棟の屋上に立っていた。勿論、僕以外には誰もいない。

 水彩絵の具の淡い空色が頭上に広がっている。この雲一つない空を飛ぶ鳥はさぞや心地よいことだろう。


 屋上の鍵はどうした、と訊かれるかもしれないが、実は男の子は魔法が使えるのだ。男の子って年齢じゃないけど。

 完全に余談。



 粗いコンクリート敷の屋上には防護柵がない。 学校側の配慮が足りないと捉えるべきか、どうぞ飛び降りてくださいと暗に告げていると捉えるべきか迷う。

 教室棟は五階建てなので高さ的には少々心許ない。飛び降り方によっては死にきれずに死ぬほど痛い目に遭うだろう。

 地上のコンクリートを目掛けて背面飛びしたらうまい具合に逝けそうだ。



 まだ自殺すると決めたわけではないけど。



 しかし今ここで決めないと、このまま惰性で生きてしまうに違いない。

 そして老いて、劣化して、『僕』を失ってしまう。

 老いなくとも、今まさにこの瞬間にも僕の脳細胞は死に続けている。 自分は失われ続けている。



どうすべきなんだろうか。



 屋上縁に腰掛ける「死にますアピール」で学校を賑わせたいわけではない僕は、縁の三歩手前に、入り口に背を向ける形で胡座をかく。この角度なら地上からは見えないはずだ。



今はただ、決断する理由が欲しい。



 ゴウ、と鳴いて吹き荒ぶ強風が、僕の髪をくしゃくしゃに掻き乱して運動部の掛け声を塗り換える。


 何も感じない。

 何も聴こえない。


 これでいい。

 僕は頬を引きつらせて前を見据える。そこはどうしようもなく空色だ。



 背後には、失うためにある人生。


 目の前には、刹那の痛みと永遠の『』。



 その境界に座る僕は、そっと静かに目を閉じた。



 何も見えない。

貴重な時間を使わせてごめんなさい

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