第三話:朝の出来事
「……朝、か」
目が覚めると、見たことのない天井が視界に入ってくる。
暫し、ぼんやりとした後、自分が今居る場所を思い出す。
「……そういえば、泊まったんだった」
泊まれば、見知らないのも当たり前だとユイは思いつつ、ふぁ、と欠伸をして、窓へと向かう。
窓から外に目を向ければ、屋敷が少しばかりとはいえ高い場所に位置してるだけあって、迷路のような街並みなどが見える。
そして、軽く息を吐くと、ユイは顔を洗ったり、髪を梳くなどして身支度を整え始める。
それが終われば、タイミング良く扉がノックされる。
「おはようございます、ユイ様。オブリウスです。起きていらっしゃいますか?」
「あ、はい」
オブリウスの声にドアを開けて、その隙間から顔だけを出す。
「おはようございます、ユイ様」
「おはようございます。オブリウスさん」
にこにこと笑みを浮かべるオブリウスに、昨日遅くまで大変だっただろうに、と思いながら、ユイも挨拶をする。
「朝食は夕食の時と一緒で、旦那様たちとご一緒されますか? それとも、こちらにお持ちいたしますか?」
「あー、では一緒に食べさせてもらいます」
「分かりました。お時間は七時ですので、あと少ししたらお迎えに上がります」
「分かりました」
それでは、と去っていくオブリウスを見送れば、ユイはドアを閉じて、息を吐く。
あの後、ようやく部屋で休めて、少しは落ち着けるかと思えたが、結局は緊張しっぱなしのままだった。
「……思ってたより、辛いな」
こちらが子供であるということもあるとは思うが、この屋敷の人々は優しい。
ーーどこまで、嘘を吐き続けられるかな。
養父となったロイドに助けられたとき、名前と実年齢以外のことは何も覚えていなかったユイだが、彼に助けられた以降は、それ以外のことも少しずつ思い出してきてはいた。
「たとえ『私』が、どんな『私』であろうと、今の私は『ユイ・ディライト』だ」
ユイは何かを決意したかのように、手を握りしめる。
「そうだよね、ーー」
上げられた名前は声には出されなかったが、顔を伏した状態のユイが、その人物を信じているのだけは分かる。
ドアをノックする音が聞こえ、オブリウスが迎えに来たのかと思ったが、時間を見てみれば、まだ教えられた時間にはなっていない。
「どちら様ですか?」
ドアの隙間から顔を覗かせれば、「よ」と軽く手を挙げられる。
(この人たち、確かーー)
ドアの前に居たのはユーリとケインの二人。
「ユーリです」
「ケインです」
にっこりと微笑むユーリに、まるで漫才をする前の名乗りみたいに名乗るケイン。
「何かあったんですか?」
「いや、オブリウスさんは今手を離せないから、代わりに呼びに行ってくれって言われてね」
「で、だ。どうせ起きてて暇そうなら、屋敷内を一緒に見に行かない? って、誘いに来た」
前者の説明はまだ分かるが、後者の説明がよく分からない。
ユイは仮にも部外者である。
自分たちが見張るor見張っているから大丈夫だとでも思っているのだろうか。
「一応、お聞きしますが、この屋敷の関係者ではない私を連れ回して、大丈夫なんですか?」
その問いに、ケインとユーリが顔を見合わせる。
「まあ、確かにご指摘の通りではあるけれど、君が僕たちの前で変なことをするとは思えないし、ロイドさんの顔に泥を塗るような真似もしないだろうし」
「……」
ケインの言い分は間違っていない。
今回、ユイはロイドの代理として、この屋敷に来ている以上、彼の顔に泥を塗って、信用を失墜させるわけには行かない。
そして、見張り云々については、やっぱりか、とユイは思う。
「昨日の数時間しか一緒に居なかったのに、私のことについて、よく分かっているようなことが言えますね」
「何か間違ったこと、言ったかな?」
「いえ。でも、代理は代理ですからね。養父が皆さんと築いた『信頼』を、どのような方法であっても私が壊すわけには行きませんから」
ケインの言葉に、ユイはそう返す。
それを聞いた彼は、といえば反論内容に驚いているのか、目を見開いていた。
「君、本当に十一?」
「そう思いたければ、そう思っていただいて構いません。どっちみち半年後には年を取りますし」
ユイは否定しなかった。年齢詐称しているのは事実なのだから。
だが、肯定もしない。何が悲しくて『年』を実年齢に加算しなくてはならないのだ。
「不思議な子だね。君は」
そっと小さく呟かれたその言葉は、隣にいたユーリには届きながらも、ユイには届かない。
なので、不思議そうな顔をするユイに笑みを浮かべると、ケインは彼女の頭を撫でる。
「けど、君は女の子なんだから、ああいうことは僕たちに任せれば良いんだからね?」
「……相手が子供だからって、そういうこと言ってると、いつか刺されますよ。お兄さん」
それを聞いたケインは硬直し、ユーリが思いっきり噴き出す。
「年下の子に言われたら、いくらケインでも反論できないか」
「……ユーリ。お前、覚えてろよ」
いつもと違うケインが面白いのか肩を揺らし続けるユーリに、顔を引きつらせながら、恨むような眼差しを向けるケイン。
そんな二人を余所に、時間確認したユイは二人に告げる。
「もう時間になったようなので、案内してもらっても構いませんか?」とーー
☆★☆
「なるほどな。ユイ殿に言われては、さすがのケインも反論できなかったか」
楽しそうにそう告げるのは、この屋敷の主人であるアクティウス・ユーティウスである。
朝食を食べながらではあるが、良く眠れたか、という質問から会話は始まり、ユイが先程のことーーケインたちとのやり取りーーを話してみれば、それを聞いていたアクティウスとその妻であるクリスティールも笑みを浮かべる。
ちなみに、フィオンは不在であり、部屋で朝食を食べているとのこと。
オブリウス曰く、「私もユイさんとお話ししたいです!」と言っていたらしいが、彼女の体調を考慮してのことだから、こればかりは仕方がない。
「彼らにも、恋人ぐらい居て欲しいんですけど……ユイさん、いっそのこと守護者の誰かと婚約予約しといてみません?」
「えっ」
思わぬ申し出に、ユイの食事をしていた手が止まる。
「クリスティール?」
「だって、彼らに『相手がいない』ということは、それだけ婚期を逃している女性が居ると言うことです。ユイさんもまだ十代前半とはいえ、悠長に構えていたらどうなることか!」
クリスティールの言い分も尤もだが、アクティウスとユイも告げる。
「そういうことはロイドの領分だろ。もし、下手に婚約者になんてしたら、どうなるか分からないんだぞ?」
「それに、特に相手に関する縛りが無ければ、私ではなく、フィオン様でもよろしいのでは?」
あくまで、あくまで参考意見である。フィオンに婚約者が居るなら居るで構わないし、どちらにしろ彼女に関することについて、ユイにはどうすることも出来ない。
「っ、主従の恋愛物語……!」
何やら、クリスティールの変なスイッチを押したらしい。
「こうなったら、放っておくしかない。我々は先に食べてしまおう」
「は、はぁ……」
どうやらアクティウスは慣れているらしく、特に動じた様子は無い。
そこにオブリウスがやってきて、用件を告げる。
「旦那様。新聞の方が届きましたので、お部屋にお運びしますが……如何なさいますか?」
「そうか。部屋で良い。それより、何かあったか?」
「シェルトフォードで大規模火災が遭ったみたいです。今もまだ消化中みたいですが」
その瞬間、カツン、と音が響き、二人がそちらに目を向ければ、ユイが驚いた表情のまま、手に持っていたスプーンを落としていた。
「ユイ様、如何なさいましたか?」
「い、ま、シェルトフォード、って……」
「ええ、シェルトフォードで大規模火災があったみたいですよ。すでに死者も出ているとか」
平然を装っているようにも見えるが、驚きや困惑などで染まったユイの顔色は悪く、オブリウスの『死者が出た』というのを聞いたせいか、もっと顔色が悪くなっていく。
「お、養父、さん、がシェルトフォードに行くって言ってて、予定通りなら、もう、こっちに向かっている、はずで……」
話し方から察するに落ち着いてきているとはいえ、ユイの中では困惑が大半を占めていた。
(大丈夫。死ぬはずがない。だって『約束』したんだし、訃報なんて入れてないんだから)
そんな彼女の心情を知る由もなく、アクティウスはユイを宥め、オブリウスに指示を出す。
「分かった。分かったから、もう話すな。オブリウス」
「はい。至急、調べてみます」
オブリウスが食堂を出て行き、いつの間に我に返っていたのか、クリスティールも心配そうにユイを見ている。
「とりあえず、部屋に戻りましょうか」
「……いえ、大丈夫です。きちんと頂きますから」
ユイは言った通り、朝食は完食したが、火事の話以降で口にした物の味など、分からなかった。
「あ、何か分かったことがあれば教えてください。お願いします」
心配そうな顔をするアクティウスたちに頭を下げた後、ユイは一人で部屋に戻る。
「生きてなきゃ、恨むんだから」
死んでこっちに取り憑いてきたら除霊してやる、と趣旨違いのことを決めてはみたが、現実逃避にしかならない。
部屋に着いたので、ユイはさっさと中に入る。
「私、まだ何も恩返し出来てないのにっ……」
ーー大丈夫。どんなイレギュラーが関わっていようと、ちゃんと『彼』は帰ってくる。
ベッドに倒れ込んで、自問自答を繰り返す。
ーー『貴女』を一人にはしない。『ロイド』や『**ら』もね。だから信じ、祈ればいい。情報が無き今の貴女に出来る最良策なのだから。
その『声』に誘われるかのように、ユイは願う。
今はただ、養父であるロイドの無事が聞けるように、とーー