第十三話:親の願い、子の想いⅡ
ーー本当に、何やってるんだろう。
ユイは一人、自問自答する。
でも、何もかも失っていた『あの時』とは違って、今の自分に、両足できちんと立てるほどの力はあるはずで。
けれど、それは誰かの支えがあってこそで。
「っ、クソが……」
自分が置かれた状況もそうだが、苛立ちを助長させるかのような現状もまた、ユイの足を止め掛ける。
けれど、歩き続けなければ、いずれはロイドたちに見つかってしまう。
「こんな姿じゃなければなぁ……」
それなら説得力を増すことは出来たんだろうか?
否、もしかしたら、彼らとは出会い方から違っていたかもしれない。
それでも、『嫌なものは嫌』だったから。
友人たちを捜すという目的もそうだが、何より家族同然となった彼と、友人たち同様に離れ離れになることに堪えられなかったから。
「ーーユイ!」
背後から掛けられた声に、小さく肩を揺らし、ユイはそっと振り返る。
そこに居たのは、この雨の中、ずっと捜していてくれたであろうロイドの姿。
「ーーぁ……」
ユイの声が洩れるのと同時に、足は一歩ずつ一歩ずつ後退し始める。
あんな逃げ方をしておきながら、今更どうやって彼の元に戻れというのだ。
「っ、」
そのまま背を向けて走り出すユイに、ロイドも慌てて追い掛ける。
「待って! 待つんだ、ユイ!」
ロイドはそう声を掛けるが、逃げるのに必死でユイには答えることができない。
しかも、地面は雨に濡れており、いくら石畳であろうと走りにくさもあるので、転ばないようにするだけで必死である。
ただ、ユイには一つだけ忘れていることがあった。
「お前はーー待てって言われてるのに、何で待たねぇんだよ!」
走っているにも関わらず、急に腕を引かれたことで、ユイの足は止まらざるを得なくなる。
一体、誰が引っ張ったのかと、その顔を見るべく振り向いたユイは目を見開いた。
「な、ん……」
「何で俺たちが居るのか、か? それとも、何で一緒に捜していたのか、か?」
ユイの忘れていたことーーロイドとともに彼女を捜していたユーリとルークに、彼らを認識したユイは戸惑いの表情と、腕を掴むルークの手を何とか引き剥がせないか、腕を動かすのみ。
「あ、間に合ったね。さすがルーク」
ユーリとロイドが駆け寄ってくるが、なおさら焦りながら、ユイは腕の拘束を外そうとする。
「諦めろ。つか今離したら、絶対に逃げるだろうが」
シェルトフォードで見せたときとは違い、この場から何としても逃げようとするユイに、困惑するしかない三人。
しかも、最悪なことに、雨はどんどん強くなっていく。
「とりあえず、屋敷に戻ろう。話はそれからだ」
ユーリの言葉に、「そうだな」と男性陣は賛同するが、ユイは余計にルークの手を外そうと躍起になるが、雨で濡れていることもあり、思うように外すことが出来ずにいた。
「ユイ」
「……」
「一回、戻るぞ。そのままだと、お前も風邪を引きかねないからな」
そんなことは、言われなくとも分かっている。分かっているがーーそれでも、気まずさもあってか、ロイドと真正面から向かって顔を合わせたくはない。
「……い」
「ん?」
「……私は、守護者にはならないし、なりたくもない」
それはきっと、近くにいたルークにしか聞こえなかったのかもしれない。
だからこそ、彼はその言い分に顔を顰めざるを得なかった。
彼女の反応から、心から『守護者』を嫌っている訳ではないのだろう。もし、そうであればユーティウス家に来たあの時から、接触を避けていたはずなのだから。
「ユイ」
「……」
「お前がどう思おうが自由だが、今は屋敷に戻るぞ。旦那様や奥様たちも心配してるからな。早く戻るぞ」
彼の手が、いつの間に腕から手に移動したのかは不明だが、握られたのが手であれば、簡単に振り払えるはずなのに、不思議とその気は起きなくて。
そんなユイとルークの様子に、ロイドとユーリはそっと顔を見合わせるかのようにして、後ろの二人の様子を窺う。
「とりあえず、戻ってはくれるみたいですね」
「ごめんね、予定よりも時間オーバーして」
「無事に見つかったなら、良いですよ」
ユーリはそう返すが、本当にそれに限る。
まずは無事に見つかって何よりだ。
「……でも、やっぱりあの子の理由は分からないんだよね」
それなりに一緒にいたつもりではいたが、彼女のことを何も分かっていなかったんだな、とロイドは内心で自嘲する。
「それはもう、きちんと話すしかないでしょうね。一体どこで勘違いしたのか、すれ違ったのか。些細な認識違いで、ずっと続くと思われていた関係なんてものは、あっさりと終わってしまいますから」
どこか遠い目をするユーリに、「似たような体験したのかな?」と内心思いつつ、ロイドは告げる。
「ユーリ君、本当に十七?」
「十七ですよ?」
普段が普段なので、いろんな人に実年齢を疑われることはあるが、まさかロイドにまで疑われるとは思ってなかったらしい。
「けどまあ、やっぱり話すしかないのか」
いくらこちらがその気でも、ユイの方に話す気が無ければ意味がない。それに、告げる言葉を間違えて、再び飛び出されても困る訳で。
そんなこの場での年長二人が話すのを見ながら、ルークはユイにも目を向ける。
「ユイ、大丈夫か?」
「……」
声を掛けてみるが、返事がない。
単に返事をしたくないのか、返事が出来ない状態なのかは分からないが、もし後者なのだとすれば、もう少しスピードを上げて屋敷に戻らないといけない。
その顔を確認するために立ち止まれば、ユイの足も同じように止まる。どうやら、認識できていないわけではないらしい。
「大丈夫か?」
「……大丈夫だけど」
再度同じ質問をするルークに、ユイも今度はちゃんと返す。
どうやら、単に返事をしたくなかっただけらしい。
「なら、良かっーー」
ルークに目を向けたユイが何かに気づいたのか、繋いでいた彼の手を強く引く。
そうなれば当然、ルークは体勢を崩し、引っ張った張本人であるユイの方へと倒れる。
「一体、何がーーッツ!?」
倒れかけたルークを、ユイが支える形にはなっていたが、それに気づいた当人はというと、凄い勢いで距離を取ろうとするが、それは二人が繋いでいた手によって、阻止されてしまう。
けれど、ユイの視線はその後ろに向けられていた。
「ルーク! 青春は後回しにしろ。敵のご登場だ!!」
雨の中でも聞こえるようにと、声を張り上げて言うユーリに、ルークもようやく背後のその存在に気づく。
ーーああもう、何でこんな時に。
四人の心が一緒になった瞬間だった。
「何で、こんな時に出てきやがるんだよ! 獣って、本来なら雨や水が嫌いなんだろ!?」
「本当、空気読めないよね」
腹立たしげにそう文句を言いつつも、ルークが武器を構え、ユーリも苛立っているかのように抜刀すれば、そのまま戦闘開始となる。
ユイも戦いたいところではあるが、何分距離が近すぎる。
「っ、」
(ああもう、こんな時まで)
普通にルークに声を掛けていれば、彼らが反応するのに遅れることはなかった。だって、先に気づいたのは、間違いなくユイなのだから。
ーーだったら、今ここで役に立てばいい。お前の能力は、こういう時にこそ役立つんだろう?
内に秘めたディザイアから、そのような念を送られ、ユイは苦笑いする。
「……そうだね」
遠距離攻撃用の弓が使えないのなら、必要距離を取るか、近距離用武器のディザイアか護身用として所持している短刀を使うしかない。
「優先するべきは、この状況の打開だ」
ルークとユーリの合間を掻い潜ってきたのか、獣化した者が雨の中なのにも関わらず、ユイの方へと向かっていく。
「ユイ!」
「逃げて!」
二人が声を上げるが、ユイは回避行動に移さない。
それどころか、視線を獣化した者へと向けるのみ。
「ユーー」
「私は、」
自身に掛けられようとしていた声を遮りつつ、ユイがそっと、向かってくる獣化した者に手のひらを向ける。
「私は、旅をしないといけないから」
「ユイ……?」
ユイの言葉に、ロイドが疑問の声を洩らす。
「私は、捜さないといけないから」
「……」
彼女の言葉に、誰も何も言わず、返すこともない。
ただ、雨の振る音と獣化した者の咆哮とも言える声が響き渡るのみ。
「こんなところで、死ぬわけにはいかないんだよ」
ユイの手のひらを中心に、一つの『陣』が浮かび上がる。
「あの二人と会うまでは、絶対に」
喜びも、怒りも、悲しみも、楽しさも。
すべての感情を灯した瞳で、ユイはそう告げる。
(あの二人?)
けれど、あの雨の日に会ってからの彼女しか知らないロイドにとって、ユイが言ったことについては疑問でしかなく。
「何だ……これ?」
ユイの『陣』に触れた獣化した者の姿が、少しずつ変化していくのを見て、ルークが呆気に取られながらも、何とか声を放つ。
何が起きてるんだとか、そんなことはどうでも良かった。
問題は、彼女がーーユイが何をしたのか、だ。
「ユイさんは拒否していたけど、こんなの見せられたら、何か手放すの惜しくなりそうだね」
ユーリがそう言うのも無理はなくて、触れただけで『獣化』を解除出来てしまう能力者なんか、どこだって欲しいに決まってる。逆に、今までそんな話題が上がらなかったのが不思議なくらいだ。
(ロイドさんが何かしたのか、ユイさんが何かしたのか……)
きっと、どちらもなのだろう。
意図的にかは置いておくとしても、何度も使えば悪目立ちするのは予想できなくはない。
(でも、ユイさんは守護者になるのを拒否している。たとえ、他の家や組織の誘いがあったところで、きっと目的を達成するまでは、どこの傘下にも入らないはずだ)
そこまで考えるユーリではあるが、上げていた腕を下ろし、どこかふらついているユイに目を向ける。
それもそのはずで、現在ユイには先程の『術』の反動が襲ってきていた。
「っ、」
「ユイ、大丈夫?」
倒れかけたユイをロイドが受け止めるが、ユイの視点はぼんやりとしたままで、受け止めたのがロイドであることにも気づいていない。
「……う、ぁ……」
「っ、ユーリ君、ルーク君。急いで戻ろう!」
このままでは駄目だと判断したロイドが二人にも声を掛ければ、ようやく正気に戻ったのか、我に返ったのか、二人が駆け寄ってくる。
「ユイは大丈夫なんですか?」
「単に反動が来ただけだとは思うが、ずっとこの雨の中居たことを思うと、多分それだけじゃない」
そのままユイを抱き抱えて戻ったロイドたちだが、その後のユーティウス家は慌ただしかった。
ユイの無事を聞いた屋敷の者たちに待っていたのは、ルークとユーリによる獣化した者との交戦報告とユイが倒れたという情報。
当然、医者を呼ぶ事態になり、医者の「風邪ですな」の一言で安堵の息を吐く。風邪であるのなら、薬を飲んできちんと眠れば治ることだろう。
そしてーー……
「ここは……」
ユイは一人、暗闇の中に居た。
「……」
ひたすら暗いだけの空間に、とりあえずで歩き出したはずの足もいつの間にか止まる。
「これ、どう捉えればいいの?」
街で待てということか。
今まで通りに旅を続けろということなのか。
街で待つというのも一つの手なのだろうが、二人がこの街にいつ来るなど分かるはずもないし、もしかしたら来ないのかもしれない。
けれど、もし来なかった場合ーーこの街でその時間を無駄にするぐらいなら、捜し続けた方が幾分かはマシだろう。
「っ、」
ロイドと会ったあの日以前の記憶は、少しずつ取り戻してきている。
その中で思い出した一つが、友人二人のことと、彼らを捜さなくてはならないということ。
だから、ロイドに同行したり、別行動したりする合間も、二人に関する情報収集は欠かさなかった。
でも、ここに来て、これまでとは変わろうとしている。
『ーー大丈夫』
『ーーちゃんと迎えに行く』
ふわりと肩に乗せられた手に、俯きがちたった顔を上げれば、そう告げて友人二人が通りすぎていくかのように、どんどん先へと進んでいく。
「待っーー」
『だから、泣かずに待っていろ』
『世界中のどこに居たって、絶対に見つけ出してやるから』
それはユイの記憶が産んだものなのか、予知夢的な何かなのかは、ユイには分からない。
けれど、こちら側の発言を遮ってまで、二人がそう言うのであれば、少しばかり信じてみても良いのではないのだろうか。
「っ、」
そもそも、街に居ようが他の場所に居ようが、どこに居たって、ユイの目的自体が変わる訳じゃない。
「それじゃ、ちゃんと迎えに来てね」
たとえこんな姿でも、きっと気づいてくれると信じてーー




