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晴れた梅雨

作者: 宮本 ナオ

訂正しました。




梅雨は、重苦しくて嫌いだ。






________





「じゃあ、またね」

「うん、また明日、ばいばい」




じゃあね、と向こうの彼女たちに手を振り、自転車を押した。

途端、梅雨の時期独特の心地よくない生ぬるい風が頬を撫でて、

いつもなら眉間にしわを寄せた、ところだけれども、

今日の私は、足取り軽く、寄せるどころか、口元に笑みを浮かべている。



(ふふ、やった、はじめて、話したぞ)



気持ち悪いほどにやける理由は、

放課後、先ほどの女の子たちと話していることにあった。

もともと人と話すのでさえ口ごもってしまう私で、

クラスの中心にいるような子たちとは、話す縁など、まるで無い。

けれど、今日は珍しく帰ろうとしたところを呼びとめられて、

そのまま話に参加したのだ。


そこにはよく先生たちをからかう男子もいて、背に汗が伝うのを感じたが。

けれどそれもつかの間。

いつの間にか私はそれさえ関係なく、楽しく話せていた。

ただそれだけでも、嬉しかった。

けれどそれ以上に、



「ねぇねぇ、なんて名前なの?」



その男子達に、名前を尋ねられたことも、嬉しかった。

男子に名前を覚えられることなんてほとんどなかった私が、

なんと、初めて、男子に名前を尋ねられたのだ。

失礼だな、なんて何ひとつ思わず、私は喜んで名前を教えた。




「ふふ、ふふふふっ」




不気味な笑いを零しながら、口元を押さえる。

実は、部活をサボってしまっていた。

すこし話してから、行こうと思っていたけれど、

いつの間にかそんな時間はとうに過ぎてしまっていたのだ。

それでもその時の私はそんなことは忘れて、すっかり上の空。

信号が青になった途端、私は今までにないくらい、

ぎゅん、と足に力をこめて、ペダルを漕いでいった。



__________




キキィッ




中学から使いこんでいる、自転車のタイヤが、

鋭いブレーキ音を辺りに響かせた。

腕時計をふと見ると、普段より、30分ほど早かった。


(まぁ、大丈夫かな)


カバンを降ろして、ふと右端に風で揺らぐ、

白地のワンピースを見つけた。



「あれ、私のだ」



紺のラインが2本入ったセーラーの襟のついたワンピース。

何故かそれだけ、物干し竿にぶら下がっている。

すこし気にいっていたため、気になった。

またあとで取りにいこう、とそのままドアノブに手をかけて、

ドアを開いた。


「ただいまぁ!」

「おかえり」


元気よく声を弾ませてリビングに入って行くと、

ばあちゃんがにこにこ笑って、床に座っていた。

腕をまげて膝を抱えながら、お気にいりの韓国ドラマを観ている。


「部活は?早くないか」

「今日は早く終わったの」


そうなん?とばあちゃんが首を傾げながら、私を見つめたが、

すぐに最近買い換えた、新しいテレビの画面に目を向けた。

ばあちゃんはもう歳だから、騙されやすい。

ふう、と息をつきながら、部屋に戻って行く。

一瞬、大好きなハンバーグの匂いがして、口元を緩ませた。


(やだ、今日、いいことばっかり)


嬉しくなって、私は素早く、制服を脱いで、

Tシャツをかぶって、ふふん、と腰に手を当ててみせた。

けれど、白地のTシャツを見て、あ、とさっきのワンピースを思い出した。


「ねぇ、私のワンピース、なんで、外にあるの?」

「ワンピース?」


お母さんが、台所から、訊ねた。

私は誰にも見られていないのに、襖越しに、頷いた。


「うん、私のワンピース。セーラー服みたいなの、」

「あぁ、あれかぁ!」


今度はばあちゃんが声を上げて、あれね、と繰り返した。

あとに続いて、お母さんもあぁ、と声を零して、

また、ジュー、と、たぶん、ハンバーグを焼きだした。

部屋を区切る襖をすこし開いて、ばあちゃんを覗き観る。



「あれね、落ちてたみたいよ、立花さんとこがかけてくれたみたい」

「あぁ、それで」

「そうそう、お母さんのかけ方が悪いんか知らんけどねぇ」

「またそんなこと言って、」



怒られるよ、と言おうとした、瞬間だった。








「うるさい!!なんで私のせいなんよ!!!」








さっきまで穏やかだったお母さんの声が、

ぴしゃり、と雷のように、家中に鳴り響いた。

びっくりして肩を強張らせながら、ばあちゃんと顔を合わせた。

ばあちゃんもびっくりして、目が、まんまるだ。


「風で落ちたんかもしれんやろ、なんで私のせいなん、勝手に人のせいにせんといて!」

「ちょ、お母さん、待ってよ、」

「なんでいつも私のせいなん!!昔っから押し付けて、もう嫌よ、」


台所からキンキンと頭に響く鋭い声が、次々に溢れだす。

おばあちゃんはじっとお母さんの方を見て、ぎゅっと唇を結んでいる。




「別に、そんなんで言ったんじゃないわい」

「うるさいな!!もうどっかいってよ!!!」




そう言い切った瞬間、ばあちゃんが立ちあがった。

そばに置いてあった麦わら帽子をぎゅっと深くかぶって、

わなわなと腕を震わしながら、ずんずんと玄関へと足を運んでいく。


「ばあちゃ、」

「めぐみ、もう、明日から来んけん、ごはんお作りよ」

「え、」

「あぁ、恐ろしい、こんな家、散々じゃ」


ばあちゃんは恐ろしい、恐ろしい、と繰り返しながら、

真っ赤になった顔を隠すようにまた麦わら帽子のつばを深く引っ張って、

飛び出していった。

私はただ、ぽかんと口を開けたまま、その小さくなっていく背中を見ていた。

すると台所の方からお母さんが真っ赤な顔を覗かせて、

ふぅ、と息を荒くして、髪をくしゃくしゃに掻き乱した。



なんで、お母さん、あんなひどいこと言うの。



そう言おうとして、のどに引っかかって、呑みこんだ。

お母さんの頬が、濡れていたから。


「めぐみ、ユキの散歩、行ってちょうだい」


無言で頷いて、いつの間にか足元にぴったりくっついたユキを抱いて、玄関に下りた。

リードがついたままの首輪を素早くつけてやって、

黒い、ぶかぶかのクロックスを足にひっかけて、私も、飛び出した。


あの子たちと話さないでいれば、

私がちゃんと部活に行っていたら、

ワンピースの話なんかしなければ、


そんなことがよぎって、私の浮かれていた気持ちは、

どんどん下へ下へと急降下していく。

あぁ、今日、ちゃんと部活にいっていれば、こんなことなかったのかな。

初めてあの子たちと話して楽しかったことさえ、

頭からすっかり抜けてしまっていて、

私はただ、唇をぎゅと噛みしめる。





「お母さん、なんで、怒ったんだろう」





わからないまま、私はユキと、いつもの道を走った。

足は鉛のように重くて、走りづらくて。


梅雨独特の生ぬるい風が頬を撫でて、眉間にしわを寄せる。

胸のあたりが苦しくて、奥歯を、ぎゅっと噛みしめて、

熱い耳たぶに触れながら、、目を大きく見開いた。




みんなが暗い顔をする梅雨。

私はそれが、そんな梅雨が、大嫌いだ。









閲覧ありがとうございました。

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