第6話:登校初日!(その3)
もしこの世界に神が存在するのなら、なぜ神は俺にだけこんな過酷な試練を与えたりするのだろう? などと現実逃避に神を持ち出しなから、俺は屋上の片隅に寝っ転がって視界いっぱいに広がる果てしなく青い空をぼんやりと眺めた。
終わった……。俺の夢に描いた学生ライフは、、始まりもせずに終わった……。
まだ、あの自己紹介までならよかった。あの時点までなら、クラスメイトの俺に対する恐怖も、慣れてしまえば
「なーんだ」
となってしまう程度のものだったのだ。
そう。長くつき合ってくれれば、誰だって俺がむやみやたらと人を傷つける粗暴な人間では決してないことを分かってくれるはずだ。それなのに、何の因果かいつも俺にはそのつき合いを元から絶ってくるトラブルがタイミング悪くふりかかってくる……。俺は、もう忘れようと自分に言い聞かせながら、ぎゅっと瞼を閉じた。だが、あの忌まわしい記憶は瞼の裏にまで張り付いて俺を苦しめるのだった。
自己紹介を外してしまったせいで、昼休みに入っても俺に話しかけてくる人間は未だに1人としていなかった。このままではまずい。そう思いながらも、自分から見ず知らずの人間に話しかけるという行為に及ぶことのできない俺は、人の輪から外れてひたすら誰かが優しく
「ねえ、金常時君」
なんて声をかけてくれるのを待っていた。教室の中は、いくつかのグループに分かれて、みんな楽しそうに仲間と談笑しながら昼食をとっていた。俺は机の中に持参した弁当を隠しながら、そのときをひたすら待ち続けた。
「ねえ、金常時君。よかったらこっち来て一緒に弁当たべない?」
そのときに備えて準備は万端だ!
仲間と談笑しながら弁当を食べる。そんなことが、俺の人生の中に一度としてあっただろうか? いや、ない。ありはしない。だが、それももう今日までだ。俺は、今日から生まれ変わるのだ……! と密かに握り拳を握っていると、突然背後から
「ねえ、金常時君」
と声が響いてきた。俺は幸福のあまりピクリとも体を動かせずに、声の主の次の言葉を待った。しかし、待ちに待った次の言葉は、俺のまだ見ぬ楽しい学生ライフを粉々に打ち砕くカウントダウンの始まりだった。
「君って金常時君っていうんだね」
「俺たちのこと覚えてる?」
「忘れたとは言わせねえぞ、ごるあ!」
聞き覚えのある、新種の珍獣の鳴き声のような奇声を聞いて、俺は旋律を覚えた。声の主は俺の目の前に回り込んできて、その姿をあらわにした。
間違いなく、昨日俺に訳の分からない因縁をつけてきた不良三人組だった。
「お、おい。あれって三組の高橋たちじゃん」
「あいつら、停学解けたのかよ」
「それよりさ、あいつらと金常時知り合いみたいだぜ。やっぱ、金常時ってやばい奴なのかな」
クラスメイトの声が、俺を激しく動揺させた。
それにしても、こいつらがまさか同じ学校の生徒だったとは……。俺って奴は、一体どこまで運のない人間なのだ……。
「ごるあ! てめえ、昨日は不意打ちなんて汚ねえ真似しやがってよお!」
「そうだよ。それでちー君、やられちゃったんだよなあ」
「ほんと、汚ねえ奴だぜ」
一通り、
「こいつは喧嘩に勝つためなら、不意打ちも平気でする汚い奴」
という汚名を俺に着せた不良三人組は、今度は思い出したように俺に詰め寄ってきた。もっとも、詰め寄ってきたのは例の珍獣スキンヘッドだけで、残りの2人は後ろに控えている。
「ごるあ! 昨日は不意打ちなんて汚ねえ真似にしてやられたけど、今日はそうはいかねえぞ、ごるあ!」
珍獣スキンヘッドは俺の前の席の机を蹴り倒して、俺の眼前に醜い顔を寄せてきた。たちまち、教室の中は険悪なムードに包まれた。―――しかし、鼻に取り付けられた固定具はとにかく、前歯2本が抜けたその顔はどう見ても間抜けにしか見えない。そして、その間抜け面した奴に俺の今後が左右されているかと思うと、言いようのない情けなさとしょうもなさに俺の頭はクラクラした。
「おい、ごるあ! てめえ、俺の舎弟になんなら許してやってもいいぞ、ごるあ!」
珍獣スキンヘッドはそう言って、煙草臭い息を俺に吐きかけた。
こいつの舎弟? 冗談じゃない。そんなことになったら、楽しい学生ライフどころか俺の周りには誰も人が寄りつかなくなるではないか。
「……断る」
「ああ? 断るだと、ごるあ!」
「てめえ、ちー君が下手に出てるからって、つけあがるなよ」
「痛い目見たいのかよ、こら」
なるべく、相手の気を逆立てないようにやんわりと断ったつもりだったが、それもどうやら無駄に終わったらしい。不良三人は、意味もなく机や椅子に当たり散らし、クラスメイトに多大な迷惑をかけ始めた。そして、俺に手を出せない様子の珍獣スキンヘッドは、あろうことか無関係のしかもか弱い女子生徒に訳の分からない因縁をつけ始めたではないか。
「ごるあ! てめえ、なにじろじろ見てんだよお! 見せ物じゃねえんだぞ、ごるあ!」
ごめんなさい、と怯えた顔をして謝る女子生徒に、珍獣スキンヘッドはなおも訳の分からない因縁をつけたうえに、手持ちの因縁を使い尽くすと言葉につまって、女子生徒の頬に容赦なく平手打ちをかました。
「思い知ったか、ごるあ!」
元来、正義感の強い俺がそのまま傍観し続けるなんてできるはずもなかった。俺は席から立つと、なおも女子生徒をいびり続ける珍獣スキンヘッドの背後に立って、その肩をつかんだ。
「ああ? なんだ、ごるブッ!」
俺の右拳は珍獣スキンヘッドの顔面を貫き、またも鼻骨と前歯二本をへし折って、珍獣スキンヘッドを数メートル吹き飛ばした。
倒れる机。乱れ飛ぶ悲鳴。絶叫。たちまち、クラスメイトたちは教室の中から俺1人を置いて1人残らず逃げ出し、またしても俺は気を失った珍獣スキンヘッドとともにその場に取り残されたのだった。