第23話:ドキドキの放課後!(その4)
放課後、下校する生徒や部活動に励んでいる生徒を尻目に、俺は人っ子一人いない体育館裏に来ていた。もし、体育館裏などに一人でいるところを誰かに目撃されでもしたら、またありもしない噂を立てられることは必至だったが、それでも、やはり呼び出されている以上シカトするわけにもいかないだろう。そう。別になにも俺に思いを寄せる女の子に会ってみたいだとか、それをいいことに、あんなことや、こんなこと……! なんて期待をしているわけではない。俺はあくまで、こっちにその気はないにしても、相手の気持ちを無視するようなことはしたくなかっただけなのだ。だから、悪魔のささやきにそそのかされたなんてことは……決してない!
それにしても、体育館裏に来てからもうずいぶん経っている。さっき、ケータイで時間を確認したら、すでに30分……。しかし、いくら待っても相手はまだ来ない。もしかすると……。いい加減、そんな考えが俺の頭をよぎっていた。
まさか、これは単なるいたずらだったとか? しかし、健一の奴が俺をだましていたとは思えない。どう考えても、あいつはだますよりだまされるタイプの人間だ。
そう。そうだよな。第一、待ち合わせ時間とかも聞いてなかったし、もうちょっと待ってみよう! と前向きに考えた直後、いたずらなどという考えが生ぬるく思えてしまう現実が理不尽にも俺の前に立ちはだかった。
「金常時こらあ!」
体育館裏に唐突に響き渡る怒声。そして、わらわらと人気のないそこを埋め尽くす、ごつい顔の嵐。もう衣替えの季節は終わっているのに、時代に乗り遅れたがごとく、奇抜な改造を施した学ランに身を包んだ、どこからどう見ても「よからず」な人間たちが、瞬く間に俺の前に壁を作り出した。その数、後ろのほうは見えないが、およそ30はくだらない。
「……」
あまりの出来事に、俺は事態がうまく理解できず放心状態に陥った。
体育館裏。呼び出し。愛の告白。色眼鏡で俺を見ない、心優しい女の子(内気で美人)とのランデブー。美しい幻想が、またしてもガラス細工のごとくもろく、いともあっさりと崩れ落ちていく。そして、その崩れ落ちた美しい幻想の残骸を拾い集めて作り直された現実は、ごつい顔、いかつい風貌の人間が競演して奏でる地獄の交響曲……もとい、目を覆いたくなるほど悲惨なものだった。
「おうおうおう、金常時よお。てめえ、逃げずによく来やがったなあ、ああ?」
そして、俺の心境を完全無視して、現実は無情にも俺に因縁をつけてくる。眼前にむさいブ男の、高校生とは思えないひげ面野郎の顔が迫ってきて、俺はようやく放心の底なし沼から強制的に引き上げられた。と同時に、それが期待していたものとはあまりにもかけ離れすぎていたので、俺は吐き気を催し、思わずうつむいた。
ちくしょう。なにがどうなってやがんだよ……。とは思いながらも、こういう理不尽な不測の事態に慣れているせいか、それほど困惑していない自分が悲しかった。
「おうおう、こら。さすがのてめえも、これだけ頭数そろえりゃイチコロってか?」
「黙ってねえで、何とか言ってみろよお!」
「いまさらびびってんのか、おう!」
「何とか言ってみろこらあ!」
眼前で何人ものごつ顔にキャンキャンほえられつつも、俺は冷静に今の状況を分析した。まあ、健一の言伝がなあなあな感じでひん曲がって俺に伝わっただけのことなのだろうが、でも、あいつ女がどうとか言ってたよな……。ってか、ここにこいつらがいるってことは、俺のクラスメイトに伝言を頼んだのはこいつらだったってことか。そう思いつつ顔を上げると、どいつもこいつも、以前俺に一方的に因縁をつけてきて、逆に返り討ちにした連中ばかりだった。おそらく、直接俺と対峙するのが怖くて、クラスメイトに言伝など頼んだのだろうが、それにしてはこいつらやけに強気だな。とりあえず、面倒ごとは嫌だったので俺はもう一度黙ってうつむくことにした。すると、調子に乗ったゴツヒゲ(たった今命名)が、俺の髪をつかんで無理やり俺の顔を上げさせた。その醜い顔と至近距離で目が合って、思わず眉根を寄せる俺を見て、にやりといやらしい笑みを浮かべるゴツヒゲ。しかし、ここは我慢だ、我慢。
「あれれ? 金常時様ともあろうお方が、まさかマジで俺らなんかにびびってるわけじゃありませんよね?」
「……別に」
「あ? なんてった? 聞こえねーよ」
そう言ってゴツヒゲが、俺に向けておちょくるように耳に手を当てたポーズを取ると、背後の不良たちからどっと笑い声が沸きあがった。これには温厚な俺も、さすがにムカついて、俺の髪をつかむゴツヒゲの手首を鷲づかんだ。すると、ゴツヒゲは驚いて俺の手を振り払うと、ひるみながら俺から距離を取った。途端に、示し合わせたように笑い声が止み、場の空気が一気にぴんと張り詰めた。
このまま黙って道を開けてくれそうにはないものの、明らかに不良連中は全員そろって引け腰だった。それを見て取った俺は、一番手っ取り早い方法でこの場を切り抜けることにした。
「……おい」
そう言って、ズボンのポケットに手を突っ込み、大仰にため息をついてみせる。すると、不良たちは各々俺から一歩退いた。よし、ここでとどめの一発だ、と俺はゆっくりポケットから出した手を胸元まで持ってくると、バキボキと拳を鳴らして決め台詞を吐いた。
「お前ら、死にたくなかったら、黙って道あけろ」
一様に青ざめた顔から、不良たちが揃って息を呑むのが読み取れる。そして、そこで道は開かれ、何のいさかいも起さずこの場を切り抜けられるはずだったのだが、ここで予想外の事態が起こった。黙り込み、今まさに開かれようとした不良たちの壁の背後から無遠慮に「あーもう!」となぞの声が割り込んできたのだ。
その声が聞こえた瞬間、俺はそれが空耳であることを心から祈った。そして、その次には、その声に聞き覚えがあることを全力で否定し、いやな予感を無理やり押しつぶした。しかし……。
「いつまで待たせんのよ! こっちはわざわざ時間割いてきてやってんだから、さっさと済ませなさいよ!」
「あ、あねさん。一応こっちにも立場ってものがありますので話が済むまでもう少し待――」
「お前らの立場なんか知るか!」
その傍若無人な台詞とともに「ぎゃう!」と不良の一人の悲鳴がとどろき、同時に背後のほうから不良の壁が左右に別れ、一直線に道が開かれた。そして、開いた道の先に立っていたのは、ごつい男たちの寄せ集めの中、あまりにもこの場には浮いている、セーラー服に身を包んだ女の子だった。
それが、ただの女の子であったなら、迷子の子猫ちゃんのようだと形容しても差し支えないのだろう。しかし、そいつを見た瞬間、無理やり押しつぶしたいやな予感が俺の中で吹き上がり、俺の意識は混乱の渦の中へ一気に放り込まれた。ちなみに、その女の子の足元には、不良の一人が悶絶しながらぴくぴくと痙攣を起こし、地べたにはいつくばっていた。
「な、な、な、な……」
長身に細身の体。それでいて、豊かな胸と引き締まった腰がかたどる悩ましい曲線美は見事に身に着けたセーラー服の魅力を引き出し、同時に本人の美貌も引き立てている。勝気な性格を現したきゅっと鋭い瞳は、苛立たしげな光を宿していたが、表情を和らげれば、たちどころに、その傍若性は影を潜め、世の男どもはみんなその二面性にだまされる。そう。そこには、傍若無人という言葉が知りたいなら、この女を観察すればいい、と思わず言いたくなる、俺のよく知った女が立っていた。
「な……なんで春姉がここにいるんだよぉ!」
俺の台詞に「えええ!」と不良たちが驚きの声を上げる。まあ、無理もない。しかし、当の春姉は別に驚きも困惑もせずあっけらかんと「あんたこそ、何でこんなとこにいんのよ」と返してきた。
「な、何でって、ここ俺が通ってる高校だろが!」
「え? あ、そういえば、そうだっけ」
「……てめえの弟が通ってる学校ぐらい覚えとけ」
「なに? なんか言った?」
「べ、別に……そ、それよりこんなとこでなにしてんだよ!」
「なにって、なんかこいつらが、やたらケンカが強い転校生がいて、自分たちじゃどうにもできないからって助っ人頼まれてさ。ま、私はんなこと興味ないんだけど、助っ人代が破格だったもんでね」
「……」
やたら強い転校生。助っ人。そして、この状況……。ま、まさか、これって――。
「で? そのやたらケンカの強い転校生ってのはどいつよ」
そう言って、春姉は周りの不良に目配せした。すると、不良たちはいっせいに無言で俺を指差した。
「え?」と間の抜けた声を漏らしてから、俺と目をあわす春姉。
「――あ、あはははは……」
どうやら、人間気まずい状況ではどうにも笑うしかないらしい。信じられない事態に追い込まれ固まる俺を尻目に、春姉は苦笑いした。なぜか、不良たちも春姉と一緒に苦笑いをしている。なんか、無茶苦茶空気重てえ……。
「コホン! あー、その……なんといいますか……」
「……」
言葉を濁す春姉を、息を呑んで見守る俺と不良たち。今まさに、俺の命運は目の前の傍若無人な女に握られていた。まるで、生きた心地がしねえ……。と、思っていると、春姉が重い口を開いた。
「い……」
「……?」
「い……いざ! 尋常に勝負!」
開き直りやがった、こいつ!
「いや、ちょっと、待てえ!」
「待てないの! 今月の新作バッグは待っちゃくれないの!」
「てめえには血も涙もねえのか!」
「ふ……もやは問答は埒もなし……言いたいことはその拳で語りなさい、我が弟よ……」
そう言って、左半身を斜め後ろにずらし、拳を構える春姉。その構えを見ただけで、過去のトラウマがよみがえり、俺は吐き気を催した。不良30人ほどを前にしてもまったく危機感を覚えなかった俺の体が、急速に身の危険のアラームを鳴らしだす。
ちくしょう。こいつに、血と涙を求めた俺が馬鹿だった……。こうなれば、もはや残された道はひとつしかない。
「そっちがその気なら……」
体中からいやな汗が噴出す。緊張で呼吸がうまく出来ない。
そして、命がけの姉弟ゲンカの開始の合図のように、けたたましいチャイムの音が校内にこだました。