第2話:金常時隼人(前編)
俺の名前は金常時隼人。15歳。どこにでもいる、平々凡々な高校1年生だ。
「ごるあ! てめえ、誰だよ。文句でもあんのか、殺すぞごるあ!」
そう、俺はどこにでもいる平々凡々な高校一年生、のはずなのだが――。
「ごるあ! てめえ、なんか文句でもあんのかっつってんだよ、ごるあ!」
さっきから、ごるあ、ごるあと新種の珍獣の鳴き声みたいな奇声をあげている、スキンヘッドの男の顔が、なぜか俺の眼前に迫っていた。顔中にピアスをちりばめたその様相は、新種の珍獣というよりは見たこともない宇宙人みたいだ。もっとも、宇宙人をこの目で直におがんだことはないが、まあ、そんなことはこの際どうでもいい。
問題は、なぜ平々凡々な高校1年生であるはずの俺が、柄の悪い不良連中に囲まれているのかということだ。
「ごるあ! てめえ、黙って突っ立ってないで、なんとか言ってみろよ! ごるあ!」
俺は仕方なく道路の真ん中に転がっている花瓶を指さした。1週間前、この通りの少し先にある交差点で、交通事故に遭い亡くなった子供への供え物だ。なんの花かは知らないが、小さな花瓶に挿された綺麗な一輪の花を昨日目にしていたので知っている。
――散歩中、たまたま私は不良ですとアピールした身なりをした学生3人が、供え物の花瓶で楽しそうにはしゃぎながらサッカーをしている様子を、うわ……馬鹿丸だし……とか、若干引きながら思いつつ傍観していただけなのだが、不運にも、はしゃぎつつもさりげなくこっちに顔を向けてきた珍獣スキンヘッド(たった今、命名)と目が合ってしまったがために、俺は今こうしてわけのわからない因縁をつけられているというわけだ。
「そこに転がってる花瓶……」
俺は黙ってないで何とか言えというリクエストに、渋々答えた。
「ああ? もしかして、お前、俺らがその花瓶でサッカーしてたとでも言いたいのかよ」
「おいおい。冗談じゃねえよ。俺らがやったって証拠でもあんのかよ。ねえ、ちー君」
「そうだよ、ごるあ! てめえ、妙な言いがかりつけてっとぶっ殺すぞ、ごるあ!」
……いや、証拠もなにも、お前等今その花瓶で楽しそうにサッカーしてたじゃん。明らかに俺と目が合うまで楽しそうにサッカーしてたじゃん。ていうか、今こいつ
「サッカーしてたとでも言いたいのかよ」
って言ったし。もし、この状況だけを見た人間ならいきなりその花瓶でサッカーしてたとは思わないよな。多分、けり倒したぐらいにしか思わないよ。お前、サッカーしてるところ見られたから
「サッカーしてたとでも言いたいのかよ」
って言ったろ。――とか思いながらも、俺がそこをツッコむことはない。別に、ツッコみベタとかそういうことじゃなくて、ただ、俺が無口な上に口下手な人間であり、人並みな平和主義なだけだ。
俺はわけのわからない因縁をつけてくる不良3人を相手にせずに、道路に転がっているひび割れた花瓶を道路脇にそっと戻してやった。
「てめえ、なにシカトぶっこいてんだよ! ごるあ!」
「そうだよ。勝手な因縁つけてといてそれはないんじゃない?」
「君、世の中なめてるでしょ」
やめてくれ。それ以上俺に近づかないでくれ。俺は別にお前等と争うつもりはないんだ。そう思いながらも、作り笑いひとつうまくできないおれは、仏頂面で
「別に……」
と呟くことしかできない。もちろん
「別に」
お前等と争うつもりはないんだ、という意味をこめてのものだが、今まで誰一人として俺の台詞の中身を器用に理解してくれた人間などいたためしがない。
「聞いた? 別に、だって」
「あーあ。完全にけんか売られてるよ」
「いい度胸してんじゃねえか、ごるあ!」
ああ……。やっぱ、こうなんのかよ。なんで、いっつもいっつも俺だけこんな目に――。俺の他にもお前等のこと見てた人間いっぱいいたじゃん。ちょっと目つきが悪くて、ちょっと体が大きいからってなんで俺ばっかり……。
「ごるあ! 天国か地獄、どっちか好きなほういってこいやあ!」
「……」
チンケな台詞と一緒に珍獣スキンヘッドの右拳が俺の左頬をめがけてうなりをあげた。ここで問題を起こしたくない俺は、ぐっと歯を食いしばって受け身の態勢をとる。が、眼前に珍獣スキンヘッドの拳が迫った瞬間、俺の脳裏に刻まれたある恐ろしい記憶が目を覚ました。
天使のような笑顔のもと繰り出される、恐ろしく強烈な正拳突き。思いやりという言葉の意味をまるで理解していない、殺意の乗り移った高速の上段蹴り。意識もうろうとして倒れ込んだ最後にうっすらとした視界の中に見た、情け容赦のないとどめの下段突き。
世にも恐ろしい記憶が、俺の防衛本能を刺激する。コンマ数秒後、俺の意思とは関係なく俺の右拳は珍獣スキンヘッドの顔面にめり込んでいた。
「あ……」
ちょうどクロスカウンターの形で入った俺の拳は、珍獣スキンヘッドの鼻骨と前歯2本を見事にへし折って、珍獣スキンヘッドを吹き飛ばしていた。電柱柱に叩きつけられた珍獣スキンヘッドが
「きゃん!」
と子犬のような高い鳴き声をあげて、地面に倒れ込む。
「きゃああ!」
「いやあ!」
「人殺し!」
「警察呼べ! 警察!」
ピクリとも動かず地面にひれ伏す珍獣スキンヘッド。
その傍らに立ち尽くす俺。
周りから聞こえてくる悲鳴に怒号。
たちまち、逃げまどう人々と騒ぎを聞きつけた野次馬たちで、俺の半径15メートル以内の空間は、パニックに陥ってしまった。
また、やってしまった……。いつの間にか、春姉の恐怖が刷り込まれた俺の体は、熱いものに手を触れると思わず手を離す動作を無意識にとるがごとく、身の危険を感じると反射的に自分の身を守るようになってしまっているのだ。おまけに6歳の頃から約8年間、空手で鍛え込まれた俺の体は、無意識のうちにもその力を発揮してしまう。そのせいで、今まで俺がけちらした不良の数は50人は軽く越え、周りからは
「バーサーカー」
とか
「キラーマシーン」
とか陰で呼ばれ続けてきたのだ。そんなもの、相手が勝手に襲いかかってくる以上、自分ではどうしようもないではないか! 誰も好き好んで不良を半殺しにしてるわけじゃないんだ!
いつの間にかできあがった人垣の中心で、俺は無性にやりきれなくなってぶるぶると肩を震わせた。周りから聞こえてくる
「うわあ、なんかあいつ震えだしたぞ」
とか
「気持ち悪う」
とか
「あの目やばいよ」
とかいうささやき声が、俺の涙腺を容赦なく刺激する。
「ちくしょう! 俺だって好きでこんなことしてるわけじゃねえんだよ! ってか、明らかにこれは正当防衛だろうが!」
そう叫んで泣きながら人垣をかき分けて駆け出すようなかわいい真似ができればいいのだが、維持とプライドが邪魔をしてそれさえもできない。もっとも、いつの間にか珍獣スキンヘッドの連れ2人はいなくなっていたので、俺の無実を証明する術はその時点で消滅している。俺に残された道はもはや仏頂面した悪役として、悠然とこの場を去るのみだった。
「う、うわ、こっち来るぞ!」
「に、逃げろ、殺される!」
人垣をかき分ける必要もなく、野次馬は一目散に俺のもとから逃げ去っていく。そして、1人残らず逃げ去ったそこに存在するのは、ピクリとも動かない珍獣スキンヘッドだけだった。
誰も見ていないところで、俺はホロリと伝い落ちる一粒の涙をゴシゴシと拭った。道路の端っこに踏みつけられた一輪の花は、まるで今の俺そのものだ。
俺は優しく一輪の花を拾い上げて花瓶にさしてやると、悠然とその場を後にした。