第15話:特殊能力解禁!(その4)
「ね、ねえ、金常時君……。ついてこいって、いったいどこに行く気なの?」
「いいから、来いよ」
「で、でも……こっちは僕の家とは逆方向なんだ。困るよ、僕……。今日、塾があるんだ」
「いいから、黙ってついてこい」
ひと睨みしてやると、男子生徒、もとい、坂本は
「ひ」
と短い悲鳴をあげて、文句を言うのをぴたりとやめた。
坂本の怯えた表情は、どう見ても今にもとって食われることを懸念しているようにしか見えない。
そして、もちろん坂本からすればその恐怖の対象は少し前を歩いている俺で、少しもそんな気のない俺が不機嫌になるのは仕方のないことで、不機嫌な顔をした俺を見て坂本がさらに怯えるのは仕方のないことで――。
とまあ、そんな具合に俺と坂本はさっきから悪循環の無限ループにはまりこんでいた。そこから抜け出すには、坂本が、俺が決して傍若無人な人間ではないことに気づくか、俺が坂本に微笑みかけてやるかのどちらかしか方法がないのだが、つい10分ほど前に初めて言葉を交わした他人同士の俺たちには、まあ、それは到底無理な話だった。
大体にして、坂本は俺のことを知っているようだったが、俺は坂本のことを不良に絡まれるために存在している人間、としか認識していなかったのだ。
その人間に坂本圭という名前が付いていて、おまけに俺のクラスメイトだったことも、ついさっき本人に聞くまでまるで知らなかった。
そんなわけで、とりあえず目的地に着くまでは俺も坂本も、この無限ループの中をさまよい続ける他なかった。目的の場所は、俺の家路の途中にある通りだった。そこに着いた頃には、ちょうど日が暮れかかり、少女の言っていたとおり、通りの一角には柄の悪い見たところ高校生らしい集団が、すでにたむろしていた。
「き、きき、き、金常時君……?」
坂本は、理解しがたい奇抜なファッションをした集団を見て、後ろから俺に恐る恐る声をかけてきた。
「も、もしかして、あの人たち……き、金常時君の……お、お友達?」
どういう意味だ、そりゃ。
無言で坂本に目をやると、坂本は
「ひい」
と短い悲鳴をあげて、俺から逃げようとした。
「お、おい!」
慌てて坂本の襟首を背後からつかむ。坂本は、手足をじたばたさせながら見苦しい悲鳴をあげた。
「う、うわああーー! た、助けてよお! あ、あんな大勢に囲まれたら、ぼ、僕死んじゃうよお!」
「待てよ! なに勘違いしてんだよ、お前!」
「うわああああー! お願いだよお! 助けてよお!」
「おい、坂本!」
「うわわあああー!」
「おい!」
「あああああー!」
だめだ、こりゃ……。
自分が集団リンチされると勘違いした坂本には、もはやなにを言っても無駄だった。坂本はこの場から逃げようと、一心不乱に手足をばたつかせながら、間抜けなダンスを踊り続けた。
間抜けなダンスと悲鳴に興味を示した不良集団が、馬鹿笑いとともにこちらに近づいてくる。どうやら、本当にこいつは不良に絡まれるために存在する人間らしい。俺は一心不乱に間抜けダンスを踊る坂本の背中に同情のまなざしを向けた。
「ねえねえ、なにしてんの?」
いやらしい薄ら笑いを浮かべて、リーダー格らしい男が先頭に立って俺に話しかけてきた。
これでもかというほどおっ立てられた金髪の髪。剃り込まれてなくなった眉毛に、鼻ピアス。なるほど。確かにこいつが一番頭悪そうだ。
「なになに、こいつら」
「あっ君の知り合い?」
リーダー格の鶏男(面倒くさいので)の後ろから、似たような人間が5人近づいてくる。坂本はまだ間抜けなダンスを踊っていた。
「おい。いい加減落ち着け」
いい加減、坂本のダンスを支えるのに疲れた俺は、坂本の襟首から手を離した。
「うわあ!」
バランスを崩した坂本が、派手に地面に転がった。それを見て、不良たちは一斉に笑い出す。
「き、ききき、金常時君……」
不良集団に囲まれている状況にようやく気づいた坂本は、地面にへたり込んだまま泣きそうな顔を俺に向けた。
「いいから、お前はそこで見てろよ」
「み、みみ、見てろって……」「お取り込み中、申し訳ありませーん」
そう言って、鶏男は俺の肩に手を置いた。
「さしつかえなければ、君たちの財布の中身見せてもらえませんか?」
「ってか、さしつかえあっても見せてくださーい」
耳障りな笑い声が重なって響きあう。俺はため息をついて、不良集団と向き合った。
「質問1」
「あ?」
「そこの交差点で事故に遭って亡くなった女の子のこと、お前等知ってるか?」
「はあ? なにそれ」
「質問2 あったはずのその女の子のための供え物の花瓶と花が、どこにも見当たらないのはどうしてだ?」
鶏男は仲間と顔を見合わせてから、吹き出して言った。
「さあ? 誰かが持ってったとか? お前、知ってる?」
「知んない。あ、でも昨日まではあった気がするね」
「そうそう。通行の妨げになるから、俺たちが責任もって処分したような、しないような」
「質問3」
「おっと。もう次行くの?」
「お前等、幽霊見たことあるか?」
俺の言葉と同時に、冷たい風が辺りを吹き抜けた。それを合図にしたように、空気が小刻みに振動してじわじわと肌にまとわりつく。不良たちは異変に気付いて、5人一斉に後ろを振り返った。
なにもない空間に、ゆっくりと少女の姿が浮かび上がる。不良たちの目が一様に少女の足元に注がれて、また少女の顔をなぞる。事故に遭った当時の姿を再現した少女の姿は、そこら辺のホラー映画に出てくる妖怪などよりよほど迫力があった。
「かえして……」
うつむいていた少女の顔が、ゆっくりと上がる。
「お花……かえして……」
「う、うわあああああああああああ!」
たちまち、不良たちは恐怖に我を忘れ、我先にとこの場から逃げ出していった。まあ、これでもう奴らがこの場所に近づくことは二度とないだろう。俺は遠くからまだ聞こえてくる不良たちの雄叫びに苦笑しながら、少女に目を向けた。
「――悪かったな。こんな使い方してよ」
「ううん……」
「あの花の代わり……は、いらねえか」
「お兄ちゃん……」
「もう逝けよ。今度は迷子になんじゃねーぞ」
「……うん」
少女は小さく肯くと、静かに目を閉じた。
「お兄ちゃん……」
「いいよ。言わなくても、霊(お前等)の気持ちは全部伝わってくる。そういう体質してんだ」
「じゃあ……きっと、だよ……」
「ああ」少女の笑顔がゆっくりと薄らいで、やがて、それはもうこの世界から完全に消えていった。
「――当たり前だろ。馬鹿……」
俺は少女のいなくなった虚空に、そっと呟いた。
寂しさしか伝わってこなかった。ただ、それが少女のすべてだった。だから、余計寂しかった。
悲しみと寂しさの狭間にあるのが涙なら、涙に流せなかった感情はどこに流せばいいのだろう。ただ、とめどなく溢れる寂しさは、どこに流せばいいのだろう。
流せなかった寂しさは、気付いてもらえなかった寂しさは、いつか誰かが拾ってくれますか? でも、もしそうだとしても、これだけは分かってほしい。
私は、ただぎゅっと手を握ってほしかっただけだってこと。私はただ、ぎゅっと抱きしめてほしかっただけだってこと。私はただ、あなたを求めていただけだってこと。
――お母さん。この寂しさを拾って欲しい人があなただけだったってこと。
ただ、それだけは分かって欲しい――。
冷たい風が流れた。ただ、冷たいと感じたのは、この風のせいじゃない。きっとそれは、少女の気持ちに触れたせいだ――。
「き、きき、金常時君……? い、今のって――?」
腰を抜かした坂本が、情けない声を出しながら俺を見上げた。
「昔から、俺は霊の存在を感じることができんだよ。見ることもできるし、話すこともできる。その気になれば、さっきみたいに他人に見せることもな」
「へ、へ……?」
「今のガキは、交通事故に遭って死んじまった幽霊だ」
「き、金常時君?」
「いいから、黙って聞いてろよ」
俺の言葉に、坂本は力なくうなだれた。
「初めからそうだったわけじゃない。多分、俺の成長と一緒に勝手に俺の特殊能力も成長しただけの話だ。ある日突然、相手が霊なら意思とは関係なくそいつ等の気持ちを感じることができるようになった。そいつの思い出とか、記憶とか、考えてることとか、全部だ。迷惑な話だぜ」
「……」
「さっきのガキは、母親に虐待されてたってよ」
俺はそう言って
「はは」
と笑った。
「父親はいない。母親は酒乱。あいつの記憶の中には、痛いのと辛いのと寂しいのしかねえ。
あいつが母親のことママって呼ぶと、母親は不機嫌になってあいつをぶった。
外に出るとき手をつなごうとしても、面倒くさそうに振り払われた。話しかけても、無視された――。でも、ある日突然、母親が話しかけてくれた。眠ってるところを叩き起こされたことも、部屋の中がまだ真っ暗で少し怖かったことも、母親の息が酒臭かったことも、そのときはどうでもよかった。ただ、母親が自分に話しかけてくれたことが、なによりも嬉しかったんだ。
あいつは母親の言いつけ通りに、500円玉一枚握りしめて酒を買いに外に出た。外は真っ暗だ。いつも見てるはずの景色が全然違って見えて、まるで別世界の中に放り出されたみたいだった。怖くなるぐらい不安でよ、すぐ家に戻りたくなった。けど、あいつはどうしても母親の役に立ちたかった。だから、すくむ足を無理矢理引きずって、前に進んだ。
母親は近所のコンビニまでだからどうってことない程度に思ってたんだろ。
ただ、あいつはコンビニで酒が買えることなんて知らなかった。自販機で済ませられるなんてことも知らなかった。どうすればいいのか分からない。でも、どうしても母親の役に立ちたかった。散々、暗闇の中を歩き回った。気がついたら、自分がどこをどう歩いているのかも分からない。その時、道路を挟んだ向こう側に母親がいるのを見つけた。
道路を挟んだ向こう側にはちっぽけなスーパーがあった。もう閉まって明かりなんてついてなかったけど、その店の前に置かれた自販機の明かりの中に見つけた人間が、あいつには母親に見えたんだ。その時、今までずっと我慢してた感情が溢れだした。どうしようもなく不安で、どうしようもなく寂しかった。
気が付いたら、泣きながら、ママって叫んでた。あいつは何度もママって叫びながら、道路の向こう側にいる母親の元へ駆けだした。――けど、あいつは母親には触れられなかった」
「き、金常時君……」
「あいつが死ぬ前に泣きながら叫んだ言葉は、多分、そこにいた人間から母親に伝えられたんだろ。事故後に供えられた花は、あいつの母親からのものだ。だから、俺に代わりの花なんて用意できねえんだ」
「……」
「花を供えにきた母親がなにを思ってたのかは分からねえ。あれから、もう一度もここに来ないのは、あいつに愛情をかけてやれなかった後悔からか? それとも、自分の娘を死なせちまった罪悪感からか? あいつにも、俺にも、本当のところがどうなのかなんて分かんねえんだ。ただ、分かってるのはあいつの母親がその時、泣いてたってことだけだ」
俺は少女が最後に残した思いを手繰り寄せた。
あのね、お兄ちゃん……。
(私の代わりに、ママにごめんなさいって……伝えてくれる……?)
「それが、あいつが最後に望んだことだ。――馬鹿なガキだろ? 最後なんだ。最後ぐらい、文句の一つでも吐いてりゃ俺がちゃんと伝えてやったのによ」
――俺は最後に見た少女の笑顔を思った。
ゆっくりと薄らいでいくその笑顔が、やがて消えてしまうその刹那に見た少女の夢は、母親が花を供えながら泣いてくれている姿だった。
ねえ、お兄ちゃん……。ママ、私のために泣いてくれたのかな……。今度は私のこと……抱きしめて……くれる……かな……。
なにをされても泣かないガキだった。虐待されても、つなごうとした手を振り払われても、無視されても――寂しさがどんなに溢れてきても、あいつは泣かなかった。
そんなあいつが最後に見せた涙は、ちゃんと母親の元に届いただろうか。
あいつが流せなかった寂しさを、母親は拾ってやったのだろうか。
逝くその瞬間にあいつが見た夢が紛れもない真実なのなら、その真実の中であいつが最後に望んだことも真実だったと信じたい。それが刹那に過ぎなかったとしても、それはあいつのすべてだったから。
あいつの想いは、確かにここにあったから――。