Shooting.Star/先輩が宇宙に行った日
カチ、と音が鳴り、ザザと画面にノイズが走る。
粗い画面には、漆黒の宇宙をバックに真剣な顔でこちらを見つめる先輩が映った。
「お。映った映った」
問題なく録画が始まったことに気づいたのか、映像の中の先輩はいつも通りへらへら笑っていた。
「こちら宇宙ロケットS.S……皆、見えてるか? すごいだろこの満点の大宇宙! さっきからずっと窓の外眺めてるんだけど、まっじで全然飽きないんだよな、これが」
先輩はカメラに向けて、見せびらかすように背面の大きな窓に手をかざした。そこから見える星の粒は、映像越しでもこの地上とは異なる目を焼くようなきらめきを放っていて。その輝きに釘付けになると同時に、そこに立つ先輩に対して言いようのない苦しさを胸に抱いていた。本当に、どうして――。
どうして、先輩が、パイロットに選ばれてしまったのか。
***
自分がこの宇宙産業に携わる民間企業に転職したのは3年前。JAXAの宇宙飛行士選抜に落ち、それでもどうしても宇宙への夢を諦めきれなかった自分は、日本初の民間主導の有人ロケット打ち上げに挑戦している今の会社に応募した。職種は宇宙工学のエンジニア。そこから現場の最前線で知識と経験を積み、プロジェクトチームの一員として自分たちが設計・開発したロケットの初のテストパイロットとなる。それが自分の立てた夢への道程だった。
今思えば、これも「星」の巡り合わせだったのかもしれない。
不運なことに、自分と全く同じ考えで2年前に入社した人物がすでにエンジニアチームにはいたのだった。
それが、先輩だった。
「よ、お前もパイロット志望なんだって? キツイことも色々あるだろうけど、お互い一緒に頑張ろうな」
気さくで、チームのみんなから好かれている太陽の様な人。それが、先輩の第一印象だった。自分はこれから、同じ宇宙飛行士の枠をかけて、戦っていかなければならない。だからこそ、聞いておかなければ気が済まなかった。
「先輩は、どうして宇宙飛行士になりたいと思ったんですか」
歓迎会の席で自分がそう問いただした時、周りの人間はさも面白そうに囃し立てた。
「お、やっぱそれ聞いちゃうか~!」
「聞いたらびっくりしちゃうんじゃない? こいつ、マジで面白い奴だからさ!」
面白いってなんだよ、と先輩は不服そうに同輩の脇腹を小突いた。そして真剣なまなざしを送る自分に気づいて、酒でへらへらと笑った顔で言った。
「彼女のためなんだよ。俺が宇宙飛行士になりたいのは」
「……彼女?」
ヒューヒューと盛り上がる周りの声を手で遮って、先輩はつづける。
「ああ。俺の彼女。ずーっと宇宙飛行士になりたいってたんだけど、頭悪すぎてスタートラインにすらまともに立てなかったんだよ。だから、俺が代わりになってやろうって感じで目指し始めたんだ」
「で? 念願の宇宙飛行士になった暁には、その彼女にプロポーズするっていう作戦だろ? いや~策士だね~」
やめろよ、と振り払う先輩をよそに、聴衆は今一度口笛と拍手を送って盛り上がっていた。正直理解が追い付かず、怪訝な顔になりそうなのをこらえて質問を続ける。
「ええと……じゃあ、その彼女さんがいなかったら、宇宙にはそんなに興味なかったんですかね」
「ん? ああ、まあそうだな。……ぶっちゃけ今も宇宙自体にはそんなに興味ないし」
周りの雑音にかき消された後半の言葉は、自分の耳に深くこびりついたと同時に、確かな怒りを覚えた。
こんな人間にだけは、宇宙への席を明け渡したくはない。そう強く思った。
だが、その怒りも空しく、入社後のキャリアは困難を極めた。なんとか社内初のスペースミッションのプロジェクトチームに加わることは出来たが、ついていくのが精いっぱいで、大した功績も残せていない。反対に先輩はあまりにも優秀で、プロジェクトのチーフまで任されていた。
「お前、あんまり根詰めすぎるなよ」
誰もいなくなった暗いオフィスで1人、パソコンに向かう自分に先輩は言った。
「宇宙に行くためなら、多少の無理は覚悟の上です」
「そうか」
そのままフロアを後にした先輩には目もくれず、その時の自分は躍起になって仕事を続けた。あの人に負けるわけにはいかない。あの人が恋人やプライベートに鬱を抜かしている今この時間こそ、自分の頑張り時だ。
しばらくして、デスクの横に何かが置かれた。――エナジードリンクだった。
ふと隣を見ると、先輩がデスクに座って、おもむろにパソコンを開いていた。
「何してるんですか?さっき帰ったんじゃ……」
「後輩が頑張ってるの1人残して帰れないだろ。俺も、今日は付き合ってやるよ」
そんな風に、またかっこいいことを言ってくる。この人を追い越したくて頑張ってるのに、これでは意味がない。
「いいんですか? あんまり残業してると彼女さんに怒られますよ」
「あー……まぁ今日ぐらいは許してくれるだろ」
そのまま先輩はパソコンの画面に目を向けた。集中する先輩の横顔は凛々しくて、手つきは素早く、この人の背中がまたどんどんと遠ざかっていくのを感じた。
「先輩最近調子いいですね。やっぱり、愛の力ってやつのおかげですか」
そんな皮肉を思わずこぼしても、彼はそうかもなぁなんて呑気に笑うだけで、その様子に尚更苛立ちが募った。
「何も悩み事とかなさそうでいいですね、先輩は」
「なんだよ。俺だって、物思いに耽ることくらいあるぞ」
「例えば?」
「え、そうだな……。それこそ、ここに就職する前はどうしようか結構悩んだし。でさ、考えた結果、ちょっと回り道してもいいんじゃないかなってさ」
それは、結婚とか、将来の話のことだろうか。若いうちにたくさん挑戦しておきたいとか、そんなところだろうか。
「へえ……」
いまいち何の話かつかめなかったが、特に興味のなかった自分はその時その話を流してしまっていた。
それから、数年の月日がたち、わが社のスペースミッションプロジェクトはすべて順調に進んでいた。このままいけば、日本初の有人ロケット打ち上げの名誉がわが社のものになる。その事実にチームの士気も大きく高まっていた。
そして、運命の日が近づき、ついに打ち上げるロケットに初搭乗するテストパイロットが選抜された。
選ばれたのは、もちろん先輩だった。
異を唱える者は誰もいなかった。チーム内は大きな祝福に包まれ、いつプロポーズするんだ、とか、式場はどこどこがいい、とか、まだ気が早いよとか、そんな会話が繰り広げられていた。
――正直、悔しかった。でも、それ以上に自分が一番この結果に納得していた。この人以外にあり得ない。だって、こんなにもプロジェクトが順調に進んだのは、間違いなく先輩のおかげだから。
完成予定のロケットには、先輩から名前が付けられた。「Shooting.Star」略して「S.S」、流れ星のように宇宙を駆け、みんなの願いを叶える、そんな存在となる様に。
だが、現実はそう甘くはなかった。
ロケットの完成も間近に迫ったある日のこと。発注部品の最終確認をしていた自分は、幸か不幸か、あることに気づいてしまった。
「先輩これ、シールドの部品の発注先、違くないですか……?」
「違わねえよ。こないだの会議で、急遽変更になったんだ。今、国際情勢でごたごたしてんだろ。その影響で、納品が間に合わなくなったらしい」
先輩は柄にもなく、低い声でぶっきらぼうに答えた。
「だからって、こんな無名の熟練度も低い企業に受注して、大丈夫なんですか……?」
「……リフトオフ予定日まで、もう数か月切ってる。広告費含め、このプロジェクトには社の資金を大量投入してるんだ。部品が手に入るのをちんたら待っていたら、競合に日本初の有人ロケット打ち上げの名誉を取られて、うちは正式に終わりだ。だから何が何でもプロジェクトは続行するっていう、上の判断だよ」
「なんで、そんなに冷静なんですか。もしヒートシールドが破損したら、搭乗してる先輩の命に係わるんですよ?」
「まあ、そうだな」
いつも通りへらへら笑う先輩に、ぶちりと何かが切れた音がした。
「そうだな、じゃないですよ! あなたには、帰りを待っている大切な人だっているんでしょう? なら自分の命を、もっと大事にするべきです! このプロジェクトが終わったら、彼女にプロポーズするって……そういう話だったじゃないですか!!」
声を張り上げる自分を見て、先輩は眉を下げて、申し訳なさそうに笑った。
「はは、何の話だよそれ。そんな話、俺は一回もしてねえって」
先輩の表情は朗らかなのに、心が凍りそうだった。
「だって、俺の彼女、3年以上前にもう死んじゃってるからさ」
死んじゃってるから。その言葉が耳の中をこだまして離れなかった。
「……すまん。本当はこんなこと言うつもりじゃなかったんだ。今まで俺何も言ってなかったもんな。勘違いするのも無理ないか」
「……いえ。でも。なん、で」
絞り出した自分の声は驚くほどかすれていて。
「……ダメなんだ」
そういった先輩の声に、かき消されて消えてしまった。
「晴れの日でも、雨の日でも、笑っていても、怒ってても、起きてる時も、目を閉じていても。ふって、あいつの姿がまぶたの裏に浮かんで……。昔の記憶が、あいつが生きてた世界が、色褪せてくれなくて、あいつが、俺を一人にしてくれなくて。だからさ――」
だから、もうそろそろ、あいつののもとへ“いきたい”んだ。
それが、先輩とした、さいごの会話だった。
***
「この景色も今日で見納めか……。まあ、三日間もこんな贅沢味わえれば十分か。自分を選んでくださったチームの皆さんには、本当に感謝しかない。ありがとう」
画面の中の先輩は、綺麗すぎる笑顔でそう言った。まるで、この今際の星の世界に酔っているような、そんな表情だった。
あの人の眼にはあの大星雲のどこかに、星となった愛おしい恋人がいるのだと、そんな風に映っているのだろうか。人類が生まれる遥か昔から、どんなに時代が変わっても。たとえ雲がかかっていても、地上を見守っていてくれている数多の星々、その一つに。
「じゃあ、そろそろ帰還準備に入るんで! 数時間後にはロケットがそっちについてると思うけど、念のため先にこの録画を送っておくから」
決して自分が帰るとは言っていないのが、あの人の素直さに感じて。心が痛んだ。画面に近づいてきた先輩は、ふと優しい表情になった。
「本当に、ありがとう。じゃあ、また――な」
その言葉を最後に、カチリ、と映像が途切れた。瞬間、あついものが頬を伝って。
その時初めて、自分は先輩に“いかないで”欲しかったんだと、
ここにいて欲しかったんだと、
そして、できることなら、ずっと自分のそばにいて欲しかったんだと。
そんな身勝手な願いを抱いていたんだと知った。
熱で融解した機体が、バラバラに成りながら尾を引いて空に線を描く
真っ青な空には不釣り合いなほどに
目も眩むような激しい光を放ちながら
彼女がかなえられなかった夢を、沢山、たくさん集め抱えて
その日、先輩は
流れ星になった




