第二話「最初の観客は、たった一人」
——その一言が、ずっと頭から離れなかった。
『ひどい』
「……分かってるし」
帰り道。
夕焼けに染まる道路を歩きながら、思わず小さく呟く。
分かってる。
自分が下手なのも、完成度が低いのも。
でも。
「……ちゃんと、最後まで見てたよね」
誰もいないと思ってた場所で。
たった一人だけ、最後まで見てくれた人がいた。
それだけで——
「……悔しいな」
胸の奥が、じんわり熱くなる。
認められたい。
上手いって言われたい。
“ひどい”じゃなくて——
“すごい”って言わせたい。
次の日、放課後。
また、同じ体育館に立つ。
「……今日は逃げない」
昨日は、ただ必死に踊っただけ。
“見せる”なんて意識、正直なかった。
でも今日は違う。
スマホをセットする。
椅子も、昨日と同じように並べる。
そして——
「……来るかな」
ドアの方を見る。
あの人が来る保証なんて、どこにもない。
でも。
「……来るって決めつける」
そうじゃないと、意味がない。
観客がいる前提でやる。
それが——スタートライン。
深呼吸。
再生ボタンに指を置く。
その瞬間。
ギィ……と、ドアが開いた。
「……っ」
反射的に顔を上げる。
やっぱり——いた。
昨日と同じ、無表情のままのその人。
「……来たんだ」
「まあ、暇だったから」
相変わらずそっけない。
でも、ちゃんとそこにいる。
観客が、いる。
「……今日は、ちゃんとやる」
「昨日もやってたでしょ」
「違う。今日は——“見せる”」
一瞬だけ、相手の目がわずかに動いた気がした。
「……ふーん」
興味なさそうな返事。
でも、それでいい。
逃げない。
もう決めたから。
「……いくよ」
再生。
音楽が流れ出す。
「……!」
最初の一歩。
昨日より、しっかり踏み出す。
リズムを意識する。
腕の角度。
足の位置。
そして——
(見てる)
視線を感じる。
たった一人の観客。
でも、その一人がいるだけで——世界が変わる。
「……っ」
ミスりそうになる。
でも、立て直す。
止まらない。
笑う。
昨日より、ほんの少しだけ自然に。
サビ。
(届け)
誰かに見せるための動き。
誰かに届くための表情。
たった一人でもいい。
その一人に——
“ちゃんとアイドルだ”って思わせたい。
そして——
曲が終わる。
「はぁ……はぁ……」
息が荒い。
でも、昨日とは違う。
逃げなかった。
やりきった。
「……どう?」
怖い。
でも、目をそらさない。
ちゃんと、相手を見る。
数秒の沈黙。
そして——
「……昨日よりはマシ」
「それだけ!?」
「だいぶマシ。ちゃんと“見てる前提”になってた」
その言葉に、胸が強く打たれる。
「……ほんと?」
「うん。でも——」
また来た。
“でも”。
覚悟する。
「まだ“自分のための踊り”が抜けてない」
「……っ」
「あと、笑顔。ぎこちない」
「うるさいな……!」
思わず反発してしまう。
でも、否定できない。
「……でも」
相手は少しだけ視線を逸らしてから、続けた。
「昨日よりは、“見てていいかな”って思った」
「……え」
一瞬、時間が止まる。
「……それって」
「さあね」
肩をすくめる。
でも。
ほんの少しだけ、口元が緩んでいた。
「……名前、まだ聞いてない」
「あ」
そういえば。
ちゃんと名乗ってなかった。
「……私は、白瀬ヒカリ」
「ヒカリ、ね」
「そっちは?」
「神谷」
短い返事。
でも、それで十分だった。
「……神谷」
「なに」
「明日も来て」
「は?」
「ちゃんと上手くなるから」
自分でもびっくりするくらい、まっすぐ言えた。
神谷は少しだけ目を細めて——
「……飽きなかったらね」
そう言って、背を向けた。
でも、今度はすぐには出ていかなかった。
ドアの前で立ち止まり、
「——次は、もうちょい“アイドルっぽく”な」
そう言い残して、去っていった。
「……」
一人、体育館に残される。
でも——
「……やってやるし」
昨日とは違う。
0じゃない。
1がいる。
見てくれる人がいる。
だから——
もっと上に行ける。
その確信だけが、胸の中で強く燃えていた。




