第一話「観客0人のステージ」
——その日、私のライブを見た人は、0人だった。
放課後の体育館。
窓から差し込むオレンジ色の光が、やけに静かで、やけに広く感じる。
「……ほんとに、やるの?」
誰に聞かせるでもない声が、空間に吸い込まれていく。
返事はない。
当然だ。
だって——
「観客、いないし……」
並べたパイプ椅子は全部空席。
手作りの「ミニライブ!」って書いた紙は、風もないのに揺れてる気がした。
本当は、クラスの何人かには声をかけた。
「放課後、ちょっと見に来てほしい」って。
でも返ってきたのは——
『ごめん、部活ある』
『今日は無理』
『また今度ね』
“また今度”は、たぶん来ない。
「……だよね」
苦笑いが、うまくできない。
でも、それでも。
スマホを取り出して、再生ボタンに指を置く。
「……やるって決めたし」
誰もいなくても。
見てくれる人がいなくても。
それでも——
私は、アイドルになりたい。
理由なんて、うまく言えない。
ただ、あの日。
画面越しに見たステージ。
ライトに照らされて、笑って、歌って、踊って。
たくさんの人を笑顔にしていた“あの存在”。
「……ああなりたいって、思っちゃったんだよね」
だから——始める。
誰にも見られてなくても。
再生ボタンを押す。
軽快なイントロが、体育館に響いた。
「……っ!」
体が、思うように動かない。
頭では覚えてる振り付け。
でも、いざ本番になると、全部バラバラになる。
「違う、そこじゃなくて……!」
足がもつれる。
腕が遅れる。
リズムがズレる。
それでも止まれない。
止まりたくない。
だって——
ここでやめたら、本当に“0”のままだから。
「はぁ……はぁ……!」
息が上がる。
汗が目に入る。
でも、音楽はまだ終わらない。
最後のサビ。
「——っ!」
笑え。
笑え、私。
アイドルは、どんな時でも笑ってる。
誰もいなくても。
誰にも見られてなくても。
それでも——
“見られてるつもりで”笑え。
「……!」
ぎこちない。でも。
それでも、なんとか口角を上げる。
そして——
音楽が、止まった。
「……終わった」
静寂。
拍手はない。
歓声もない。
あるのは、自分の呼吸音だけ。
「……あはは」
笑ってみる。
でも、うまく笑えない。
「……これが、私のスタートか」
観客0人。
完成度もボロボロ。
それでも——
「……いいじゃん」
小さく、呟く。
「0からなら、上がるしかないし」
そのとき。
ギィ……と、体育館のドアが、わずかに開いた。
「……え?」
振り返る。
逆光で、顔はよく見えない。
でも、確かに——
“誰かがいた”。
心臓が、大きく跳ねる。
0だったはずの世界に、初めて“他人”が入り込んできた瞬間。
「……見てた?」
恐る恐る、声をかける。
数秒の沈黙。
そして——
「最初から、全部」
低い声が、返ってきた。
「……え」
頭が真っ白になる。
さっきの失敗も、ぎこちない笑顔も、全部——見られてた。
「……どうだった?」
聞くしかなかった。
逃げたくても、逃げられない。
その人影は、少しだけ肩をすくめて言った。
「——ひどい」
「っ……!」
分かってた。
分かってたけど。
それでも——
その一言で、胸の奥が熱くなる。
「でも」
その声が、続く。
「途中でやめなかったのは、嫌いじゃない」
「……え?」
顔を上げる。
逆光の中、その人はゆっくりとこちらに歩いてきた。
そして——
「名前は?」
「……えっと」
一瞬迷って、でも、はっきり言った。
「——私、アイドルになる」
それは名前じゃない。
でも、それでよかった。
その人は、少しだけ笑った気がした。
「……変なやつ」
そう言って、踵を返す。
ドアの前で立ち止まり、最後に一言だけ残した。
「次やるとき、ちゃんと“見せる気”でやりなよ」
バタン、とドアが閉まる。
静寂が戻る。
「……」
しばらく動けなかった。
でも、ゆっくりと、深く息を吸う。
「……見てくれる人、いたじゃん」
たった一人。
それでも——
“0じゃなくなった”。
胸の奥で、小さな火が灯る。
「……よし」
スマホを握りしめる。
次は、もっと上手くやる。
次は、ちゃんと笑う。
次は——
“アイドルとして見せる”。
0から始まった、このステージ。
でも今——
確かに、1へと進んだ。




