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第19話「砂市(さのいち)の机」

 王都を出て二日目、灰走河の支流が砂に吸い込まれる地点で、道は跡だけになった。風は低く、拍を削る。靴の底は鳴らず、太鼓の皮は自らを黙礼に寄せる。胸の内では、昨夜の一行が砂の方角へ座を指した。

『明日の机は、砂市の無席の上に』


 丘を越えた先に、砂市があった。扁額も台帳もない。帆柱のような棒が砂に刺さり、そのあいだを布と縄が蜘蛛の巣のように渡っている。地面には線がいくつも引かれているが、風が吹くたびに消えては描かれ直す。道は速い。礼は吸われる。


 入口で、顔の半分を布で覆った女が声を放った。拍は短いが、目は正直だ。

「席がいるか。上座、半上、砂座――刻で売るよ。影も風も付ける」

 席売せきうり。胸元の札には席値の式。右上が太く、右下は薄い。礼の脚は最初から省略されている。


 俺は名を道にせず、胸の保護章を示して座りを置いた。

「席は“役に座る”。人は借りる。返すのは働きで。――机を置きに来た」


 女は唇の端を上げ、肩越しに砂市の奥を顎で示した。「座らせられるなら、座らせてみな。風が拍を食う。砂が脚を飲む。席は売られて巡らない」


 四脚の机を砂の上に――段取りは道中で詰めた。木の脚は沈む。なら、脚は砂と風で作る。


右下=礼の脚(砂脚):橋から借りた小石の袋、座札の脚、砂を固める水の一盃。


左上=拍の息(風拍):砂太鼓――皮を半ば砂に埋め、低い一打を砂へ通す。二打は風へ。


左下=重の座(埋錘):黄銅ではなく鉛の薄板を砂に埋め、錘歌の譜を板に刻む。


右上=技の結び(帆結):ほどくための輪を帆縄に先置きし、扉のない市に解の先を座らせる。


 ミラが粉袋を開き、砂に四角の椅子を描く。線は風で消えかけるが、その瞬間に座を刺せば、線は座の影に残る。老司が返礼の息を低く落とし、エリナが杖先で砂を一打 深く、二打 低く――砂太鼓は皮を半ば埋め、低音で砂を震わせる。ゼンジは鉛の薄板を四隅に埋め、錘歌を板譜に刻む。ヘイルは帆柱と縄の交点に結びを用意し、ガロウは抜けの筋を椅子印で丸めた。セヴランは砂糸を風へ晒し、ルシアは書かずに視で青棚の段を決める。


砂机すなづくえ:右下 砂脚/左上 風拍/左下 埋錘/右上 帆結。――命令は最後/礼を先に(王都使が遠くで見ている間)』


 砂がかすかに歌い、風の布の折り目が座った。最初の客は、席売りの元締めだった。高い帆帽、胸に席鏡、腰に旗の柄。名前はタバリ。

「席は“人に座る」タバリは席鏡で俺たちの四角を撫で、右下と右上を入れ替えて見せた。「上座は速い。風は道。砂は道。……机は遅い」


「速さの反動は角を食う」俺は砂脚の右下へ水を一盃、礼で落とす。「借りは座で返す」


 タバリの背後から、帆道師ほどうしが二人、帆を張って走り込んだ。帆の裾に線、二拍目の針。帆道――風を道にする狩りだ。砂面に線が走り、人の足がそれを道だと誤る。

 俺は帆結の輪を先に座らせ、帆の角で解を受ける。ミラの結びはほどくための形でほどけず、線は輪に触れて鈍る。エリナは砂太鼓を低く打ち、風拍で二打目を風へ流す。

 道は輪に変わり、人の足拍が回へ寄る。席鏡の反転は、座鏡の輪で止まった。


「輪歌を砂へ」ミラが子らの群へ声を掛け、輪を作る。「一打 深く、二打 隣へ!」

 砂輪歌さりんか。童歌の輪を砂へ落とし、隣の足へ二打目を渡す。線は輪で解け、道は座に吸われる。


 ――が、砂は座を飲む。

 右下の砂脚が徐々に痩せ、座札の角が沈む。砂は礼を吸う。

 ゼンジが低く唸る。「重さを広げる。点でなく面で」

 彼は鉛の薄板を扇の形に増やし、砂脚の下へ放射状に埋めた。錘歌の譜は長調から低い輪へ。黄銅はない。だが砂粒の擦れが歌に座る。

「右下の脚は“扇脚”だ」ゼンジが汗を拭う。「砂は点を食うが、面は食いにくい」


 扇脚が踏ん張ると、帆道師の線は輪に散った。タバリの席鏡が光を曲げ、上座の幻で観衆を掬い上げようとする。右上の眩しい速さ――奏状の余白を埋めたがる癖。

 パシェルの忠告を思い出し、俺は胸の中へ一行置く。


『上座の幻は、右上の余白で受ける/帆にほどくを先に』


 ミラの輪が帆の角で丸く座り、余白が光を吸う。眩しさは輪に滞り、道の速さは鈍った。


 タバリはやり方を変えた。席値の式を声で売る。

「半上は半刻、砂座は一杯。影は薄い――今なら王名のお墨付き」

 王名――旗歌の臭い。

 俺は声札を座札に重ね、屋台代わりの布の端へ貼る。

『声札:呼は二拍目で伸ばし/侮辱は重く/値は歌に/王名は遠ざける』


 座が薄い市でも、侮辱の重さだけは響いた。席売りの悪口は短く切れ、値は歌になって輪に混じる。

 だが、借りはどこに返す? 台帳がない。

 老司が祈祷書を胸に当て、短く息を置いた。

借席帳かりせきちょう:井戸を右下に/砂輪を左上に/の重みを左下に/帆縄の結びを右上に』


 井戸?

 砂市の中心に、一つだけ深い穴があった。石を積んでいない、生砂の井。そこに座の筋が残っていた。誰かが昔、礼を刺した。右下だけが薄く痩せ、返らぬ借りの匂い。

「井戸守はいるか」俺が問うと、背骨の曲がった老人がよろりと出た。

「水は座る」老人は砂で乾いた咽で言った。「礼で汲めば、道にならない」

 俺たちは井戸を右下に据え、借席帳をそこで開いた。水一盃を返しの最小とし、働きで返す条の歌を書かずに口で広める。


 巡り始めた。席は“役に座り、人は借りる”。


礼監は井戸守――水と札の右下を重く。


拍司は太鼓隊――砂太鼓と輪歌で二打目を隣へ。


計司は量砂師――簀の重みで数を取り、錘歌で歌う。


解司は帆結師――帆と縄にほどくを先に。


 借席の記は水で返り、返礼座は井戸の縁に座った。

 ――そこへ、嵐が来た。

 帆道師が帆を三、四と増やし、香狩りが香を砂に混ぜ、息売りが薄笛で駆け足を刺す。合唱狩りは旗歌の断片を唱え、席師は席鏡で上座をばら撒く。砂市の周縁が一斉に道へ傾いた。

 砂が道になると、机は沈む。右下が飲まれる。

 ゼンジが叫ぶ。「扇脚、もう一段!」

 彼は鉛の扇をさらに広げ、右下の下に面を増やす。ミラは座鏡を二重にし、席鏡の反転を前で受け止める。エリナは砂太鼓を深く低く、老司は返礼の息を井戸から輪へ渡す。

 俺は胸で縛る。


嵐返あらしかえし:右下 扇脚/左上 風拍/左下 埋錘/右上 帆結――王名は遠ざけ、香は低く丸め、薄笛は輪で受ける』


 風の矢は輪で鈍り、香は低く、薄笛は足拍の隣渡しで解ける。旗歌は王都使の封蝋の椅子印に吸われ、遠ざけられた。

 タバリは最後の刃を出した。空席札――脚だけを呼び、役を空にする札だ。右下が深く、ほかは白い。返り先がない借り。

 俺は上席裏で学んだ返礼座を井戸の縁に置き、空席札をそこへ座らせる。右下で受け、左上で返し、左下で計り、右上で解く。水一盃、童歌一節、簀の重み、帆のほどく。――空は空でなくなる。


 タバリの席鏡が砂に落ち、表と裏が混ざった。彼は帆帽を押さえ、短く笑う。

「巡ったな。席が」

「巡らない席は、借りが返らない」俺は答える。「返らぬ借りは欠けになる。欠けは穴だ。……穴は座で器に」

 タバリは井戸の縁に片膝をつき、砂をつまんで風に放った。「砂は座を飲むが、水は座を返す。席を売るだけじゃ、水が痩せる一方だ。――貸す。返させる。働きで」

 席売りの札から、右下が太くなった。式は歌に、声は二拍目で伸びる。帆道師は帆の角に解を刻み、香狩りは香を低く丸め、息売りは薄笛を輪に渡して足拍へ返した。合唱狩りは輪歌に混じり、旗は回った。


 日が傾くころ、砂市の真ん中に机が見えた。木ではない。風と砂と水と帆で組んだ四脚。

 右下は扇脚――井戸と水と扇形の埋錘。

 左上は風拍――砂太鼓と輪。

左下は埋錘――簀の重みと板譜。

 右上は帆結――ほどくための輪が帆縄に座る。

 机の上には、借席帳と返礼座。席札は役に紐づけられ、人は借りる。返すのは水と歌と数と結びで。


 夜、砂は急に冷たくなる。風は拍を奪わず、輪に座る。灯は丸く、影も丸く。席売りの女が井戸の縁に腰をかけ、短い息で聞いた。

「王都へ持ち帰る記は、これで足りるか」

「足りる」ルシアが書かずに頷く。「青棚で『砂市:砂机 成立/席配 巡り開始/席売り→借席』。数はゼンジの板譜で歌になった」

 ゼンジが扇脚を軽く踏み、「重さは歌った」と笑う。

 ミラは帆結をひとつ印に残し、「ほどくは先に座った」と言った。

 老司は井戸へ返礼の短い節を落とし、「返らぬ借りは、今夜ひとつ減った」と目を細める。

 ヘイルは槍を肩に、ガロウはザイルを巻き、セヴランは砂糸を瓶に収めた。


 タバリが席鏡の裏を俺に見せた。そこには小さな歯形――右下。

「欠けの主は、砂にも歯を残した。……返る道が座であることを、お前らが示したなら、それでいい」

 彼は席鏡を砕き、砂へ埋めた。鏡は道でなく、器になった。


 出立の朝、井戸守が水を一盃くれた。「王都で返しておくれ。右下の脚は細い」

 俺は受けて、胸の針簿に短く座りを置く。


『砂市:砂机/借席帳/返礼座。席は“役に座り、人は借りる”。――王都へ答えを置く』


 王都への帰路、風は背を押さず、輪に従った。砂は足跡を飲むが、机の影だけは胸に座って残る。

 城壁が見えたとき、祈祷所の鐘が深く落ち、門の扁額が丸い光で返した。市座の旗は右下を太く、塔の窓は青棚を薄く外へ示す。評定の使者が走ってくる。

 ――『第四回 諮問、明朝。砂市の答えと、席配の巡りを提出せよ』


 俺は縫い所の机の角に、砂市の板譜と借席帳の控えを置き、扇脚の砂をひと握り、返礼座の印の横へ座らせた。黄銅の秤が短く歌い、太鼓は黙礼で薄く応える。

 最終頁に、短く一行座りを置く。


『明日の机は、第四回 諮問の答えの上に』


 正解は、置くもの。

 砂の上にも。井の縁にも。輪の中にも。席の間にも。

 ――そして明日、王都の机に砂市の答えを置く。命令は最後。礼を先に。

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