第18話「席の配り」
秤の間の黄銅が、朝の湿りを一度だけ歌い、深く座った。胸の内では、昨夜の一行が静かに席の形を示す。
『明日の机は、諮問第三回の席の上に』
王都使オルドラン、門尉長ライサ、市座頭アザミ、関尉ナサ、上席書官長パシェル。塔からセヴランと書記ルシア、祈祷所の老司。仲間のミラ、エリナ、ゼンジ、ヘイル、ガロウ。
評定は机の四角を見やり、黙って始まった。王は姿を見せない。だが、王名は椅子に座っている。
「誰が座るか」オルドランが封蝋の椅子印を指で撫で、短く言う。「四脚は揃った。席は貸し借りできるのか、それとも固定か」
「席は“役に座る」俺は答え、紙を出さずに口で座りを置いた。「人ではなく、働きに。――四脚の席構はこう」
右下=礼監:礼律の保ち手。名を椅子に座らせ、道にしない。
左上=拍司:拍と息の司。一打 深く、二打 低くを保つ。
左下=計司:秤と数の司。返礼と重さを記し、反動を受ける。
右上=解司:技の結び。扉・筆・封へ“先の解”を座らせる。
「役は席札で貸し借りする」ミラが粉袋を揺らし、薄い板札を四枚、机の角に並べた。右下に小さな椅子印、右上に細い結び印、左上に息の点、左下に秤石の刻み。
俺は口上で縛る。
『席札:右下 礼監/左上 拍司/左下 計司/右上 解司。――人は席を借り、働きを返す(命令にしない)』
秤がかすかに歌い、空の布の折り目が座った。
門尉長ライサが右下の札を手にとる。
「門の台で、礼の脚を守る役に座ろう」
市座頭アザミは左上の札を取り、口角を上げた。
「市は拍で立つ。輪歌を回す役は市座が借りよう」
ゼンジは左下の札に指を置く。
「数は嘘を嫌う。計司は商人組に」
ミラは右上の札を俺の方へ押し戻し、首を振った。
「解司は“ほどくための役”。私が座る――けど、“固定”じゃない。扉が多い日は書官が借り、祭の日は市座が借りる。借席帳に返しを書く」
借席帳。ルシアが筆を握ったまま、書かずにうなずく。「名は座りだけを写し、道にしない。席の貸し借りは返礼座で回す」
老司が息で短く添える。
『借席は童歌一節で返す/深い一打の後に』
オルドランは一度だけ頷き、封蝋の椅子印を机の右下へ軽く押した。「――王名は遠ざけられ、秤で支えられる。第三回、答えを置け」
俺は四脚の図の余白に、座りの一行を胸で刻む。
『席配り:役に座り、人は借りる/返礼座と借席帳で巡らせる』
答えは机に置かれた。命令はまだ抜いたまま。礼を先に――
その時、扉の影が薄く揺れ、椅子狩りの新手が三人、面も外套もなく入ってきた。胸に細い鏡。角が右上へ偏った丸い鏡――席鏡。
中央の痩せた男が、鏡で机の角をなでると、右下と右上が入れ替わって見えた。席の向きが反転する。
「席は人に座る」痩せた男――席師が唇を曲げた。「役は後だ。上座は速い」
速さの反動が角を食う――胸内で針が冷える。
門尉長ライサが一歩踏み出した。「王都は席で押さない。礼で座る」
だが席鏡は厄介だ。右下=礼が右上=解に見え、解が礼の顔で命令を通す道になる。四脚は倒れやすくなる。
「裏返しを止める」ミラが短く言い、指で輪をひとつ空に作る。「**座鏡**だよ」
座鏡――“映す前に座らせる輪”。俺は礼で縛る。
『座鏡:右下は右下に/右上は右上に――先に座を置く(命令にしない)』
ミラの輪が机の上に薄く座り、席鏡に映った偽の角が鈍る。
席師は鏡をひとつ増やし、左上と左下も反転させようとした。拍と重を入れ替え、“速い数”を通す気だ。
ゼンジが秤石を左下に二つ落とし、黄銅が低く歌う。「数は速く見えても、重くなければ歌わない」
エリナが一打 深く、二打 低くを床へ刻み、老司が「息は売らない」と返礼の息を添える。左上が座り直った。
だが席師の最後の鏡は、“上座”の幻を作った。王の机の右上が眩しく速い道に見え、筆吏が無意識に余白を埋めようと身を乗り出しかける。
パシェルが片眼鏡を外し、低く言った。「奏状は余白で座る。――命令は最後」
俺は胸の針簿へ短く座りを置く。
『上座の幻は、右上の余白で受ける/ほどくを先に』
鏡の速さが輪に引かれ、右上はほどくの座で安定した。席師の肩がわずかに落ちる。
「人が座らねば、席は空だ」
「働きが座る。人は借りる」ミラが輪を指先で弾き、微笑んだ。
鏡を下げる前に、席師は細い札を机の下に滑らせた。右下だけが深い白――空席札。脚だけを呼び、役を空にする札。
ゼンジが皿へ載せる。黄銅は歌わない。数が取れない。「返り先がない」
上席裏の夜を思い出す。空脚は座で受ければいい。俺は頷き、返礼座を小さく起こす。
『返礼座:右下 受け/左上 返し/左下 計り/右上 解く』
空白の札は右下に座り、左上の童歌で返り、左下で数になって、右上で解けた。席師の眉がほんの少し上がる。
「……席は座る。道には落ちない、か」
門尉長ライサが礼監の札を胸に当て、短く言う。「門で試す。席は貸し借り、礼は先」
市座頭アザミが拍司の札を袖に差し、「市場で回す。輪歌は席で回る」
ゼンジが計司の札を腰に入れ、「返礼は数で歌う」
ミラは解司の札を髪に挿し、「扉と筆と封にほどくを先に」
オルドランは封蝋の椅子印を四隅に順に押し、諮問の文を置いた。
――『第三回 諮問答:席配は“役に座り、人は借りる”。借席帳と返礼座で巡らせる。王名は遠ざけられ、秤で支えられた』
秤が深く歌い、祈祷所の鐘が二度低く応えた。答えは受理された。
席師は鏡を畳み、扉の影へ退く前に、薄い声を残した。
「席が巡れば、脚は保つ。――だが“巡らない席”が王都の外にある。砂市だ。机を持たない市。席は売られ、礼は砂へ吸われる」
砂市――橋も門も台帳もない市場。道だけがある。
セヴランが糸を肩に巻き直し、目を細める。「青棚は砂に弱い」
ルシアは筆を握りなおし、書かずに見出しを目で添えた。『砂市:席売り/無机/無札』
王都使は封蝋をしまい、低く言う。「第四回――最後の諮問までに、“机を持たぬ市へ机を運べ。席が巡ると示せ。命令は最後、礼を先に」
俺は針簿の余白へ清書した。
『席配:役に座り/借席帳で巡る/返礼座で返す。――砂市に机を』
縫い所へ戻る支度をしながら、段取りを四つに割る。
門:ライサの礼監、席鏡対策の座鏡を常設。
市:アザミの拍司、輪歌と声札を席と結ぶ。
塔/祈祷所:セヴランと老司で返礼座の文言を青棚と巻末へ。
出立隊:俺、ミラ、エリナ、ゼンジ、ヘイル、ガロウ、ルシア――砂市へ。
ミラが結びを一つ、机の右上に座らせる。「砂はほどけやすい。輪で受けよう」
ゼンジは小錘の袋を叩き、「重さは砂にも降りる」
エリナは杖先を軽く握り、「一打 深く、二打 低く。砂でも拍は立つ」
ヘイルは槍を肩に、ガロウはザイルを巻き、ルシアは席札の控えを束ねる。老司は祈祷書の端に短い旅の節を縫い、セヴランは砂用の細い糸を巻いた。
出立の前、パシェルがそっと近づき、奏状の右上に小さな余白を残して渡した。
「砂では紙が道になる。余白で座れ」
アザミは市座の印を右下に押し、「値を歌で回す席を貸す」
ライサは門の木札を差し、「道が速くても、礼は先に」
俺は太鼓を低く一度打ち、最終頁に短く座りを置いた。
『明日の机は、砂市の無席の上に』
正解は、置くもの。
席の上に。輪の上に。礼の上に。拍の上に。重さの上に。結びの上に。
――そして次は、机を持たぬ市へ机を運び、席を巡らせに行く。